第47話 迷宮武器
「迷宮武器?」
ラジはメリルの言葉をなぞるようにして問う。
メリルは迷宮武器を知らないラジのことを、呆れにも似た表情を携えて確認して、しかしラジという人間はこういう人間だったな、と思い直し、その表情を底に沈めた。
徐に口を開いて、メリルはその短剣を視界の隅に置きながら、早口とも言えるそれで説明する。
「はい。Bランク以上の迷宮で稀に出現する強力な武器です。迷宮内の魔素の塊とも言われています。……尤も、本人にそれを扱えるだけの技量がないと使えないんですけど」
それでも、ラジ様なら使用できると思います。とメリルは続けて、ラジにその短剣を装備するように促した。
特にこの場所は他の迷宮よりも、他の階層よりも魔素が濃い。迷宮武器が生まれやすい環境なのだ。
しかしラジはメリルのその促しを無視して、迷宮武器、つまりは先程拾い上げた短剣をメリルに手渡す。
「じゃあこれ、メリルが持っておきなよ。僕には使えそうもないし」
嘘だ。
とメリルは思った。
柔和な笑みを浮かべ、その優しい手で短剣を握らせようとしてくるラジをいなしながら思考する。
マジックバッグを一撃で葬れる程の力を持っているラジが、この短剣を装備出来ないわけがない。彼にはそれを扱えるだけの技量が、器が、ある。
しかしラジは短剣を手放そうとしている。
この行動が意味するのはひとつである。
メリルを、想っているのだ。
ラジは既に、これ以上強くならなくて良い程、力を得ている。慢心しているつもりはないが、ラジ自身もそう思っていた。そしてそれは正しい。下位区画は勿論、上位区画にもラジを超える冒険者はいない。
だからこそ、この短剣はメリルが使用するべきだ。そう思っていた。
ラジはメリルが戦闘しているところを見たことがない。かといってステータスを問える程の関係性を築いているかと言われれば、まだその域には達していない。
これはメリルがラジに対して一本、見えない透明な線を引いているからである。
ラジもその線を飛び越えようとは思っていない。いつかは無くなってくれれば、とは思っているが。
力量のわからないメリルにこの短剣を渡し、命綱代わりに使用させる。
合理的な判断だ。
迷宮には常に死の可能性が漂う。
だからこそ、その可能性を一パーセントでも減らす為に、短剣はメリルが持っておいた方が良い。
Bランク迷宮についてくるくらいだ。メリルもそれなりの力はあるのだろう。その証拠にマジックバッグを見ても眉一つ動かさなかった。内心では恐怖していたのかもしれないが、それを表に出さないようにできるくらいの冷静さは、迷宮内でも持っていたということだ。
だから、短剣を扱える器ではない、ということはないだろう。
ならば、ステータスが上昇しきっているラジよりも、力が未知数なメリルにそれを渡した方が、結果的に全員生存率は上がる。
先程のラジの台詞には、そういった思いが込められているのだ。
そのラジの気持ちを感じ取ったメリルは、申し訳なさをその手に含ませつつも、手渡されたその柄を握り、そのまま流れるような動作で腰に差した。
冒険者用の防護服は、こういったところが便利だな。と思う。迷宮内で新しい装備を手に入れることを加味して造られたその防護服は、迷宮武器である短剣さえも受け入れた。
奴隷をしていた頃では考えられない程、高額な装備を身に纏っている。これもラジから与えられたものだ。感謝と、少しの心咎めが胸で膨らんでいく。
(この関係も、長くは続かないのに)
とメリルは思っている。奴隷と主は、得てしていつかは別々になるものなのだ。
続かない関係性の人間に、ラジは投資をしている。言ってしまえばリターンは零だ。
そんなことをさせている自身に腹が立ったし、そんなことをしてくれているラジに感謝もした。
メリルは深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
「いいって! そんなことしなくても」
ラジは両手を左右に振って気にするなと告げる。
しかしそれでメリルの申し訳なさが薄れるわけではない。ラジは恐らくこの迷宮武器の価値が分かっていないのだ。
メリルに短剣の所有権が移り、それに満足したラジは、踵を返すようにして帰路につく。
地図などは持っていないが、今来た道を逆戻りすればいいだけだ。ここに来るまでの道中モンスターも粗方討伐済である。危険はないと言っても過言ではない。
ラジはメリルの手を引くようにして、この幻想的な風景に別れを告げる。
名残惜しさが体中を這いずり回るが、しかしこの風景を見ることができるのはなにも今だけではない。明日も、明後日も、迷宮が潰えていなければいつでも見に来ることが出来るのだ。
そんな場所を教えてくれたメリルに感謝しながら、足を逆方向に向け、目的地を上位区画に変更する。
「さ、行こう。マジックバッグの加工もトルトさんに頼まないといけないし」
ラジの言う通り、マジックバッグは討伐するだけでは魔法袋として使えない。完全な魔道具にする為に加工が必要なのである。
そしてその加工技術を持っているのはギルド関係者のみだ。冒険者には一切知らされていない。
冒険者がそれを知ってしまえば、ギルドの収入源が無くなってしまうからである。
搾取している、とまではいかないが、冒険者の反感を買うのは事実である。これも、冒険者とギルド職員が良い関係性を築きづらい原因の一つだった。
迷宮攻略以外興味がないラジにとって、それは気にするところではないが。
メリルがちょんちょんとラジの防護服の袖を引っ張る。
まさか今更迷宮が怖くなったのか、と思うが、しかしそうではないらしい。
その証拠に、メリルは遠方を睨み付けながら呟く。
「前方三百七十二メドル先、こちらに対して敵意を持った生命体がいます」
「モンスター? この辺りのモンスターは討伐した筈なんだけど。見逃してたのかな」
一帯のモンスターは、ここに来る前に討伐済である。
何故ならモンスターに邪魔をされては、この幻想的な風景を十分に楽しむことが不可能な為である。
気を取られないように討伐し尽くした筈なのだが、打ち漏らしがあったのだろうか。
ラジは思案顔でメリルを見るが、しかしメリルが次に発する言葉はラジの理解を超えていた。
「違います。あれは恐らく、人間です」
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