第45話 溜息の意味
上位迷宮にかつかつと足音だけを響かせる。
生憎今立っている迷宮の探索クエストなどは張り出されておらず、この迷宮をいくら見て回ろうが金銭は発生しない。
そんな迷宮に足を踏み入れると聞いた時のフェリアの顔は、逆にこちらが驚いてしまう程に、驚愕に染まっていた。
ギルド職員と冒険者という関係性上、探索許可証は発行したが、本当ならば、無意味に危険に飛び込むような行為はしてほしくない、と口に出すことはなくともフェリアは思っていた。
普通の冒険者であれば、こんな無意味な迷宮入りは拒むであろう。それはその冒険者の意識が低いわけではない。自衛として当然のことだ。
ラジが異常なのである。
金にならない迷宮探索程嫌なものはない、とヨルトが言っていたのを思い出し、ラジは少しだけ口角を上げた。
メリルの足に装着されている奴隷の証、つまりは鉄の輪が、金属音を響かせる。
奴隷ではないのだから、その鉄の輪を取り外しても構わないとラジは昨日の夜に告げたのだが、しかしメリルがそれを外すことは無かった。
というよりも、外せなかったのだ。頑丈すぎるそれは、ラジの上がり切ったステータスですら跳ね返した。だから、半ば仕方なくそれを装着したままなのである。
このままずっと付けているのなんて可哀想だし、なにより不便すぎる。とラジは思うのだが、しかしだからと言ってすぐに解決できる話でもない為、取り敢えずこの件は保留という形を取っている。
「少し寒いね」
「……そうですか?」
空洞だけがずっと続いているのではないかと錯覚するような迷宮の中、ラジはメリルを視界に入れて話しかける。
本当は寒いなど思ってもいない。仮に寒かったとしても、冒険者用防護服を身に纏っているラジにとって、その冷えは取るに足らないものだ。
メリルに話しかける口実を、ずっと探していたのだ。
迷宮に入ってからというもの、会話がない。
どこか気まずさを抱えながら、ラジは迷宮を進んでいる。
しかしメリルはその無言をさして気にしてはいない。否、気にすることが出来ない。
迷宮において、油断というものは自身の首を絞める麻縄になり得るのだ。だからこそメリルは無駄な会話に興じない。警戒だけを高め、自身と、ラジの無事を祈っている。
予想以上に早く会話が終わってしまった為、ラジは必死に次の話題を探す。
メリルとしては、気が散る為やめてほしいのだが、しかし主であるラジにそんなことは言えない。それに奴隷と主という関係だ、いつかは縁も途切れてしまう。上位冒険者であるラジと、ただの奴隷であるメリル。両者の関係がこれからもずっと継続すると推測する人間はいないだろう。だからこそ、必要以上に仲良くなりたくないのだ。
終わった時の絶望が、より深くなるから。
しかしラジは、そんなメリルの気持ちの裏を知ることなく、話を続ける。
「ねえ、この迷宮ってなんで空の迷宮っていうの?」
「……元々空にあったものが落ちてきて、それがそのまま迷宮になったから。と言われています」
「へえ。物知りだね」
興味なさげにラジは呟く。
訂正すると、なさげ、ではなく、本当に興味がない。
会話を引き延ばす為だけに使用した言葉でしかないのだ。空の迷宮という名称に少しは疑問を抱いていたが、しかしどうしても解消したいそれではなかった。
それに迷宮内において名称などはどうでも良いのだ。自身に害成すそれらを蹂躙する。それが迷宮におけるたった一つの明確なルールなのだから。
そんなラジを見て、メリルは追加で説明をする。
「と言ってもそれはただの迷信、……というか御伽噺の類で、本当はこの迷宮の最深層に、空が見える大きな空洞があいているからです」
「そうなんだ。でもそれだとこの階層にも穴があいてないとおかしくない?」
ラジの疑問は尤もだ。
下の階層から空を見ることが出来るのならば、この階層にも空洞が出来ていないとおかしい。下から見上げる形になるのは間違いないのだから。
メリルは続ける。
「はい。その通りです。実はその空洞、迷宮が持つ魔素が見せる幻覚なんです。……でも本当に綺麗ですよ、ラジ様も一度見に行った方が良いです。見せられて、魅せられますから」
迷宮に幻覚を見せられ、そして魅せられる。
悪魔じみた魅惑に憑りつかれるのだ。
そしてラジも、その魅惑に憑りつかれた一人である。
だからこそ、その光景が気になった。
「じゃあ、魔法袋を討伐したら行こう」
「はい。楽しみです」
「でもメリルはなんでそんなに詳しいの? もしかして僕の為に調べたりしてくれた?」
「いえ。私は前からここを知っていたので」
ぴしゃりと言う。
奴隷という立場であるメリルが、この空の迷宮を知っている。そのことにラジは違和を覚えたが、聞かれたくないこともあるだろうと深く追求することはなかった。
迷宮内には似つかわしくない談笑を繰り広げている最中、ラジの視界の隅で影が揺らいだ。
メリルが「左方三十二メドル先、マジックバッグがいます」と静かに呟く。
今度はその索敵の精密さに驚くことなく、ラジは笑って頷いて、指先に意識を集中させて魔法の準備に移行する。
無詠唱であるのにも関わらず指先に炎が集まっていく様を見て、メリルは愕然とした。
無詠唱でここまでの火力を出している、ということにも勿論驚いたが、ラジがそれを当たり前のように使用しているという点に、感情の大半を奪われる。
マジックバッグが、ラジの魔力に気付きに逃げ出そうとする。
言わずもがなではあるが、マジックバッグは上位モンスターである。
それが、逃げ出す程の魔力量。
普通ではない。しかしラジはそれを普通だと思っている。それが既に、普通ではない。
当然だが、ラジがモンスターを逃がす筈がない。
放たれた炎は、そのまま寄り道せずに真っ直ぐと対象を蹂躙する。
「あ、これじゃあ死体残らないかも……」
対象を焼き尽くす業火を放った人間だとは思えない程抜けている声で、ラジはそれだけ呟く。
マジックバッグを魔法袋として使用する為には、当然だがその死骸が必要なのである。今ラジが放った魔法の威力では、強力すぎるがあまり、死骸が残らない。
炎系統の魔法というものは、核以外の全てを焼き尽くす為、美麗な核の取り出しには向いている。しかし現時点においては、その特性が空回りしてしまっているのだ。
はあ、と一つ溜息を吐いて、ラジは今しがた討伐したマジックバッグの核を回収する。魔法袋として使えないのであれば、せめて売却して金に換えた方が良い。
膝立ちになって核を回収しているラジを後ろで眺めながら、メリルはその溜息の意味を、勝手に解釈した。
(溜息を吐いたということは、ここまで綺麗に、強力な魔法を使用しているのに、まだそれに納得がいっていないということ……?)
声に出さないその推測を、ラジが訂正できるわけもなく。
少しの勘違いを抱えたまま、メリルはラジに続くようにして迷宮を進んでいく。
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