第44話 とりとめのない

「なんで立ってるの」


 場面は切り替わる。

 ラジが今いるのは、上位区画の高級料亭だ。下位区画のそれとは比べ物にならない程の美味しさの食と、そして値段である。


 フェリアから報酬を受け取った後、そのまま拠点へと戻ろうかと思ったのだが、それはそれで味気ないだろうと判断し、メリルを連れてここに来ている。


 懐が潤ったからここに来ているわけではない。美食家、と自称しているのだ、モンスターだけではなく本当の美食を体験していないと、嘘になる。

 そういう理由もあって、この場所に訪れているのだが……。


「奴隷だからです」


 メリルは頑なに食事を取ろうとしないのだ。

 なんでも、奴隷は主の食事が終わるのを立って待ち続け、その残飯を食すのが当たり前であると思い込んでいるらしい。ルベルの教育も、ここまで来ると恐れ入る。

 純真無垢だからこそ、そう教え込むことができたのだ。これは形を変えた洗脳だ。

 美味しい食事をとっている筈なのに、ラジは憤ってしまう。


 ラジだけが豪勢な席について、美食を貪っている。

 上位区画の為か、奴隷に理解がある人間が多く、立たせていることに対してなにかを言われることはないが、しかし目立つ。


 ラジとしても、座って同じ食事を同じ速度で食べてくれた方が有難い為、もう一度説得にかかる。


「座りなよ、美味しいよ、これ」


 そういってラジは、上位迷宮に存在するホワイトラビットの肉をフォークで刺し、メリルに見せつける。


 ラジは例外であるが、本来モンスターというものは口にしてはいけないものである。しかし、ホワイトラビットというモンスターのそれが皿に綺麗に盛り付けられている。

 核がないわけではない。それを、取り除いているから、食せる。


 小柄ながら強力なモンスターであるホワイトラビットの核を、その他の食せる部分を残したまま取り出すのは不可能に近い。しかし、稀にそれが出来る人間が居る。そしてこの料亭では、その人間を多額の金で雇っている。

 核を無くした純粋なホワイトラビットの肉、だからこそ値段は高くなる。そしてそれ相応の美味しさもあるのだ。ラジならば迷宮で狩ったホワイトラビットをそのまま焼いて食べることも出来るのだが、そうすると味は落ちる。核という不純物がある為である。


 核を除いたモンスターを食しても、スキルポイントが得られるわけではないので、これは本当に食に特化したものであるが。


 ミディアムレアに焼かれたその肉が、ラジの舌をこれでもかという程に刺激する。そこにはモンスター特有の生臭さや獣感はない。


 ただ純粋に、美味しい。


 頬が落ちるという表現すら生ぬるい、堕ちる、美味しさの向こう側まで堕ちていく。這い上がってこれない程深くまで。しかしそれが良い。


 そんなラジを見て、メリルの腹が不器用に鳴る。


「やっぱり、食べたいんでしょう。一緒に食べよう」


 何度となく繰り返した問答である。

 ラジのその問いかけに否を返していたメリルも、空腹には耐えられなかったようで、申し訳なさそうに俯いて、


「……いいんでしょうか」


 と小さく呟いた。


 勿論ラジがそれを拒否する筈もなく、首肯することで答えを返す。

 奴隷以外の扱いを受けることに慣れていないメリルは、ラジの優しさを深読みしてしまうが、しかしラジに邪な気持ちはないし、これから先なにかをさせるわけでもない。


 メリルはテーブルを隔てるようにしてラジの目の前に座る。

 ご丁寧にメリルの分の食事もラジが頼んでいたらしく、それは既に目の前に存在した。


 美味しい匂いが鼻腔をくすぐる。良い具合に焼かれた肉の香りが、そのまま五感を蹂躙する。


「いただきます」


 メリルは手を合わせ、食に感謝を告げる。

 奴隷だというのに、その作法を知っているのか、とラジは驚くが、奴隷だからこそ知っているのかもしれない、とすぐに自身の考えを改めた。

 奴隷だからこそ、作法が必要だ。上位区画の冒険者を相手にするのであれば、それは必須となる。こういった具合に、敷居の高い料亭に訪れることも、上位冒険者ならば多々あるだろう。その時に粗相があってはいけないのだ。


 ラジに倣って、メリルは肉を口に運ぶ。

 肉汁が咥内に滴る。それすら、美味である。その残滓ですら商品にできるのではないかと疑いを持ってしまう程の味だ。


 美味しそうに肉を頬張るメリルを見て、ラジは満足気に笑う。

 無表情だったメリルが、色々な表情を見せてくれるようになったのを、ラジは嬉しく思っていた。


 奴隷という身分を忘れて、奴隷であった過去を忘れて、今に没頭してほしいと強く願った。


「美味しい?」

「はい!」

「良かった」


 あまりの妙味に大きな声を出してしまったことを、メリルは恥じた。

 ラジは気にしていないようだが、しかしメリルは今だ自身を奴隷であると思っているし、事実契約上はそうなっている。


 奴隷が喜び、嬉々として声を上げるなど、言語道断なのだ。少なくともメリルの中の造られた常識はそう言っている。奴隷としての生が、喜怒哀楽を奪ってしまっている。


 だからこそ、ラジは笑った。喜んでくれてよかったと、心の底から思っていた。


 頑なに無表情を貫いてきた少女の笑顔を見ることが出来て良かった、と。


「……申し訳ございません、はしたない真似をしてしまって」

「そんなの、気にしないでいいのに」

「……ありがとうございます」


 もしも目の前に居たのがルベルだったならば、私はどうなっていただろうか。とメリルは想像して身の毛がよだった。ラジという少年の優しさを強く噛み締めながら、食事と一緒に飲み込む。


 ――しかし自身は奴隷という身分、必要以上にラジと仲良くなってはいけない。どうせ、そう遠くない未来、関係は切れてしまうのだから。


 ルベルも言っていたが、奴隷というのは代替が利くのである。代わりなどいくらでもいるのだ。

 ラジがメリルを捨てて新たな奴隷を買うなどあり得ないのだが、しかしメリルはそれを恐れていた。


 どうせなくなるのが決まっているのなら、泡沫のような思い出はいらない。


 口いっぱいに食を頬張るラジと対になるように、メリルは丁寧にそれを食していく。

 魔物喰いの弊害である。迷宮内では作法に気を使わなくても良い為、ラジは少々食べ方が雑になってきていた。


(そういえば、魔物喰いもいつかはメリルに言わなきゃなあ……)


 ラジはホワイトラビットの肉を頬張り、顎と脳内を全力で回転させて思考した。

 いつまでも魔物喰いを隠し通せるわけもない。これからも行動を共にするのであれば、メリルには告げておかなければならない。


 フェリアにはさらりと告げてしまったそれだが、しかしフェリアの反応からあまり口外しない方が良い事柄であるのは、既にわかっている。だからこそ、躊躇いを持ってしまう。

 メリルを信用していないわけでは決してないのだが、如何せん共にしてきた時間に差があり過ぎるのだ。


 一旦それを保留として、ラジはメリルに問う。


「僕はまた迷宮に行くけど、メリルはどうする?」

「行きます」

「わかった」


 今回は予想内の返事であった為、ラジがそれを咎めることはなかった。

 本音を言ってしまえば、あまり付いてきてほしくはないのだが、外側から変えられる程の柔い意思でないことは分かっている為、ラジは口を閉じた。


 メリルに付いてきてほしくない理由はもう一つある。

 魔物喰いが出来ない、ということだ。メリルがそばにいる以上、魔物喰いなんていうイレギュラーな行為は出来ない。それに、レベルが露呈してしまった時の言い訳が利かない。レベル1なのに異常な程の力を持っている、それがメリルに知れてしまった時、彼女を納得させられるだけの言葉を紡ぐことが難しいのだ。


 それに、迷宮内は危険だ。

 こんな少女を、危険に晒したい男などいない。


 恋愛感情こそないが、ラジはメリルを大事に思っている。思っているからこそ言えないし、出来ることなら迷宮にも連れていきたくない。

 それでもついてくると言うのならば、自身が守る。それだけの話である。


 ラジは残り少なくなった肉を口に放って、よく咀嚼もしないままに飲み込む。

 ごくん。という気持ちのよい音が喉から伝わり、胃にそれが落ちるのが分かる。


 メリルはそんなラジを見ながら、これからについて問う。


「どの迷宮に行くか決まっているんですか?」


 ラジは少し悩んで、「決まってないなあ」とだけ言った。


 メリルは、表情こそ変えないが、若干の呆れを含んだような息を漏らす。

 ――この人にあるのは、迷宮で強くなりたいという衝動だけなのだ。

 と、思う。


 だからこそ次の行き先を考えていない。ただ漠然と迷宮に行くという目的だけを、持っている。悪いことであるとは言わない。その考えで上位区画まで辿り着いているのだから。

 しかし、良い考えであるとも、言えないのだ。


 メリルはラジに提案する。


「魔法袋が欲しいんですよね?」


 先程のフェリアとラジの会話を聞いていたメリルは、確認を取るようにして言う。それにラジは首肯することで返答し、メリルの次の言葉を待った。


「では、獲りに行けばいいのではないですか? ちょうど、魔法袋(マジックバッグ)が出現する迷宮はBランク迷宮からですし」


 そう、魔法袋とはただの魔道具ではない。マジックバッグというモンスターの死骸を加工したものなのだ。


 下位冒険者は上位迷宮に入る機会がない為、魔法袋を手に入れようと思えば、大金を叩いてそれを購入する他ないが、上位冒険者は違う。

 自身で、魔法袋を狩れば良いのだ。


 それをそのまま魔法袋として利用すればよいだけの話なのである。そして今のラジであれば、マジックバッグ程度のモンスターに後れを取ることはない。


 メリルの提案を呑み込んだ後、ラジは首を縦に振る。


「じゃあ、そうしよう。Bランク迷宮なら必ず出るんだっけ?」


 Bランク迷宮を知らないラジはメリルに問う。


 しかしメリルは困惑した。

 上位区画に拠点を置く冒険者が、迷宮の詳細を知らないことに。今時下位冒険者でも、自身が入ることの出来る迷宮の詳細は調べている。当然だ、情報が、迷宮では命綱に変わるのだから。その手間を惜しむ冒険者など、いない。


 いないと思っていた。

 ラジはどうやらその手間を惜しむような冒険者らしい。とここまで考えて自分の考えが間違っていることに気が付く。


 手間を惜しんでいるのではない。

 本当に、なにも知らないのだ。


 無知から来る純粋さ、無知から来る無鉄砲さ、無知から来る真っ直ぐな心。


 ラジは全てを知らないからこそ、メリルという奴隷にも分け隔てない態度を取っている。そこには多少性格も関わってきているかもしれないが、奥底にあるのは、その知識の乏しさだ。

 だからこそ甘い行動を取る、取ってしまう。


 普通ならば、そんな人間は上位区画に来る前に淘汰され、死亡するか冒険者稼業を辞めてしまう。

 しかし、ラジはやめることなく続けている。持ち得る力だけで、押し通している。それだけの力を持っている。


 メリルはラジを少しだけ恐れたし、その情報を忘れないように、と記憶に深く刻み込んだ。


 少しの間を空けて、メリルはラジの問いに答えを提示する。


「はい。Bランク迷宮以上なら出現します。出現しますが、魔法袋が多く出現する迷宮も存在します」

「そうなんだ。じゃあ、そこに行こう」

「下調べもなしに、ですか?」


 本来、迷宮に赴く前はその迷宮について調べてから行くのが常識だ。出現するモンスター、地形、その他さまざまな情報を頭に入れてから、迷宮に行くのがこの世界における当たり前なのである。

 その為に情報屋という職業があるくらいなのだ。


 しかしラジはそれをしない。

 何故だ、という疑問がメリルの頭を埋め尽くすが、しかし答えはすぐに出た。


 ――調べる必要が、ないのだ。


 圧倒的な力を持ってモンスターをねじ伏せるだけでいい。そしてそれが可能なラジにとって、情報など取るに足らないものであると認識されている。


 勿論、金銭が絡んだり、心理戦などではそのラジの考えが足を掬うだろう。情報を軽んじているラジは搾取される側に回ってもおかしくはない。

 しかし、こと迷宮において、それは関係がないのだ。


 迷宮で一番発言権を持っているのは、力のある者、なのである。


 それはモンスターだったり、冒険者だったり、色々とあるが、しかし一度(ひとたび)ラジが迷宮に足を踏み入れれば、発言権は必ずラジへと移動する。


 絶対的な王者が、情報などという小さな武器を拾う必要は、ないのだ。


 ラジは意図的にこれをしているわけではない。

 情報などなくても乗り切れる、そういった異常な経験が積み重なった結果だ。


 困惑の表情を浮かべるラジを見て、メリルは「いえ、なんでもありません」と小さく零し、続ける。


「出発予定はいつ頃ですか?」

「そうだなあ。今日は遅いし、明日でいいか」


 今から行こう。と言い出しかねないと思っていたメリルは、ほっと胸を撫で下ろす。

 出発時刻はラジにあわせるつもりでいたが、しかしつい先程迷宮から帰ってきたばかりなのだ。少しの休息は得たい。


 最後のひとくちを名残惜し気に噛み砕きながら、ラジは明日の迷宮探索に思いを馳せた。

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