第18話 追跡の果て
荒野を歩く。
魔法ステータスを30まで上げることにより習得可能な『追跡』という魔法を使い、ラジはトルトの店から立ち去った男二人を追っていた。
30で覚える事の出来るような魔法の為、対象の詳細な位置情報までは確認できないが、それでも居場所を特定するくらいは可能である。それに、仮に対象を見失ったとしても、辺り一帯を虱潰(しらみつぶ)しに確認していく覚悟は出来ていた。
ラジはその追跡が指し示す方向に向かってゆっくりと歩く。
これは悠長にしているわけではなく、相手に気取られないようにである。もし仮にラジがこちらへ向かっているということが彼らに露呈してしまえば、ラジ対策のなにかを講じる時間が出来てしまう。それを突破できるだけの力はあるのだが、しかしラジは自身の幸運の低さを見積もって、対象に悟られないように静かに近づいていく。
トトリカ地区十二番街を抜けた先のすぐ近くのところで、対象の動きは止まっていた。追跡のお陰か、そういった情報が脳髄にダイレクトに染みわたっていく。あまり心地いい感覚だとは言い難く、ラジは追跡魔法は金輪際使わないようにしようと決意するのだった。
ラジは走り出す。
止まっているということは、ラジに感づいてなにか対策を練っている可能性もあるからだ。拠点にしている場所がそこだという可能性もある。その場合、トルトに危害が及ばない内に潰しておかなければならない。
ラジは既にトルトのことを一交渉相手であるとは思っていないのである。その扱いは、フェリアに対する扱いと同じなのだ。守るべき対象であり、良き相談相手。そんな人間を危険に晒すことは出来ない。
「待ってろ」
誰にも聞こえない呟きは、しかし自身に重くのしかかった。
絶対に逃がさないという決意を身に纏い、ラジは二人が佇んでいるであろう崩壊した建物へと歩みを進める。
十二番街を抜けた先にあったのは、もう建物としての機能を成していないようなそれであった。
追跡魔法をもう一度確認し、対象がここにいるということを再認識する。
警戒を緩めないように、ラジは建物内へと侵入した。
ラジという異物が侵入してきたことを悟った男二人は、顔を見合わせて笑い合う。
――あの最弱冒険者であるラジが、俺達に報復しに来たのか。
と嘲笑を片手に、ラジから奪った三十万リルという、トトリカ地区ではあまり見ないような大金を見る。
ラジが今、どれだけのものを所持しているかは定かではないが、向こうから来たのであればその全てを奪いつくし蹂躙してやろうと思っていた。
ラジはこつこつと足音を響かせながら、建物内部を練り歩く。この時点において、隠密な行動など既に無意味なのだ。ここは敵の拠点である。侵入した時点で、相手にはそれが露呈している筈だ、とラジは思っていた。そしてそれは間違いではない。ラジを待ち構えるようにして待っていた二人と、二度目の対面を果たす。
「今日会うのは二回目じゃねえか、ラジ」
「また俺達に金品を奪われに来たのか? 国家の介入を期待しているなら無駄だぜ、ここはトトリカ地区だ。法なんて機能していない」
ラジは大きく溜息を吐いて、薄く笑う。そんなことはトトリカに入る前から理解している。
それを見た男二人も笑った。この場この状況において、ラジはまだはったりで誤魔化そうとしているのか、と。大きく笑った。
建物内に笑い声が木霊する。気持ち悪く反響するその音が収まった瞬間に、ラジは建物のガラスを割り、その破片を両手に持ち、距離を詰めた。
「僕が質問したことにだけ答えろ。それだけは許可してやる」
背後に回り、そのガラスの破片を二人の首に押し付ける。
たらりとその首元から血が流れ落ち、床が赤く染まったのを見た男達は顔を青に染めた。
「お、おい。なんの真似だ、ラジ」
「見て分からない? お前達を殺そうとしている。そういう真似」
「殺そうと……!? お前、人殺しはこの国において極刑だぞ……!」
「面白い冗談だね。トトリカでは法なんて機能してないんじゃないの?」
ラジは首元に押し付けているガラスの破片を、もう少し深くまで突き刺す。男から掠れた呻き声が漏れる。
「かっ……は……っ。返す、三十万リルの為に殺されるなんて、堪ったもんじゃねえ。返す、だから一度解放してくれ……!」
「いいよ。ただし開放するのは一人だけだ。そして解放した人が逃げたり、僕を襲ってきた場合、もう一人を殺す。いいね?」
分かった。と右手の男が小さく呟く。
それを聞いて、ラジは右手に持っていたガラス片をファイアで消滅させた。捕らえられたままの男が、突然無詠唱で発動した魔法に驚き、震える。
瞬間。
「ファイア」
とラジから解放された男が、ラジに向けて魔法を放つ。寸前のところで避けるが、服の裾が燃え、消滅した。
突然のそれにラジも驚いてしまい、左手に持つガラス片で牽制していた男を逃してしまう。
「お前! 俺にも当てる気か!?」
「当たってないから良いだろうが! ……さっきは不意を突かれたが、今度はそうはいかねえ。なにせ、こっちは二人だ。そしてお前は一人、どちらが優勢かは明白だ」
二人はラジを見てにやりと笑う。勝利を確信しているようなその表情を見て、ラジは困ったように頬を掻いた。
あまりの頭の悪さに、頭を抱えたくなる。
「どちらが優勢かは明白だって? それ、勿論優勢なのは僕なんだよね?」
二人を純粋な瞳で見つめながら、当たり前のことを確認するように呟く。
男達はそれを挑発であると受け取った。
「ラジ、さっき上手くいったからってあまり調子に乗るなよ。俺達はトトリカで暮らせるだけの力があるんだ。対してお前ははじまりの迷宮で躓いていた最弱の冒険者、多少強くなっているようだが、それでも俺達二人を相手して勝てる筈がない」
「そうだと良いね。それで、僕の三十万リルはどこに?」
男の発言を、どうでもいいと切り捨てるようにラジは欠伸をしながら問う。
本来の目的はそれなのだ。奪われたものを取り返す。その為だけにラジは態々ここまで足を運んでいるのである。
そんなラジの態度を見て、二人は激昂する。
先程までガラス片で生命を握られていたのにも関わらず、それを忘れたかのように男はラジに詰め寄って胸倉を掴み上に持ち上げる。
強くなっているとはいえ、体重までは増えない。元々小柄なラジは、いとも容易く持ち上げられてしまう。行き場を失った両足がたらりと垂れ下がるが、ラジがそれを気にするわけもない。
その態度ですら気に食わないようで、ラジを取り囲むような形で二人は立つ。
「誰が教えるか。お前がこれ以上調子に乗らないように、教育してやる」
「教育? どうやって?」
その言葉の軽さに、ラジは苦笑した。
「こうやってだよ」
持ち上げていたラジを地面に叩きつける。一度大きく跳ねた後、ラジは地面と密着した。
起き上がらないラジを見て、男は今が好機だと思ったのか、攻撃魔法を幾度となく詠唱していく。
男がファイアと唱える度に、ラジの身体が炎に包まれる。そして魔法詠唱のインターバル時は、もう一人が物理でラジを攻撃する。
見るものが見れば、凄惨な事件の現場であると思うだろう。
「どうだラジ! 辛いだろう! 金も取り返せず! 自ら焼死体になりに来たんだよ! お前は!」
「馬鹿すぎるなあ? 俺達二人の攻撃と魔法の合計数値は120だ! はじまりのラジが太刀打ちできるような数値じゃねえんだよ! 後悔しながら死にやがれ!」
一頻りラジを攻撃した後、魔法を詠唱していた男が魔力枯渇を起こす。当然である、魔法の使用にも個人個人で限界というものがあるのだ。連続で魔法を撃てる程、男は強くはない。
普段の迷宮探索であれば、魔力枯渇は死活問題なのだが、しかし今いるのは迷宮でもなく、加えて対峙しているのは人間だ。それもはじまりのラジという蔑称付きの。
それもあって、ラジという人間を侮っていた。
男達は横たわっているラジに近づいて、その生死を確認する。
「死んだか? これからは喧嘩を売る相手を間違えないようにな。まあ、もう遅いが」
その言葉を聞いて、ラジはすくりと起き上がる。
「そうだね。喧嘩を売る相手は間違っちゃいけない。間違ってもね」
散らかった髪を無造作に整えながら、ラジは二人に詰め寄る。
「どうして生きている……!? それに、無傷……有り得ない、こんなこと」
「有り得てるから、有り得る。勉強になったでしょう?」
教育(・・)する。有り得ないは有り得ないと。
喧嘩を売る相手を間違えてはいけないと。
ラジは二人同時に胸倉を暴力的に掴み、持ち上げる。自身の体重よりも重いであろうそれらを軽々しく持ち上げるその姿に、最弱などという蔑称は似合わない。
正真正銘の冒険者になれたのだな、とこの状況だというのにも関わらず感慨深くなる。
胸倉を掴み持ち上げられ、呼吸するのが難しくなった男が、しかしそれでも疑問を解消すべくラジに言葉を投げつける。
「俺達の合計数値は120なんだぞ……!? これでもトトリカ地区では強いと言われてるんだ!」
「僕の防御の数値、660だから。それにその合計数値、僕の攻撃の数値より遥かに低いよ。喧嘩を売る相手を間違えたみたいだね」
それに、とラジは付け加える。
「解放した人が逃げたり、僕を襲ってきた場合、もう一人を殺す。って言ったよね? そして貴方達はそれを了承した筈だ。さあ、どっちが死ぬ?」
ラジの瞳からハイライトが消えていく。
迷宮外の瞳から、迷宮内での瞳に変貌する。既にラジの目は、迷宮内でモンスターを見る時のそれと同じになっていた。そしてそれはつまり、最悪本当に殺してしまうのも辞さないということと同義でもある。
男達も一応はトトリカ地区で生活する冒険者の端くれである。ラジの異様な変化に気が付き、足が震えた。静かに、しかし大きく震える。
――ここでの判断を誤れば、俺達は本当に殺される。
そう思った。
男はすぐさま三十万リルが入った封筒を取り出し、持ち上げられたままそれをラジに手渡そうとする。しかし極度の恐怖で握力がなくなってしまっていた為、それは地面に落ちてしまった。
焦燥する。ラジの機嫌が、生死に直結していると悟ったからである。
ラジは二人から手を離し、先程自分がやられたことと同じことをする。
二人を地面に叩きつけ、空になった手で封筒を拾い中身を確認する。しっかりと三十万リルは残っており、取り敢えずの殺意は消えた。
ラジは忠告するように吐き捨てる。
「トトリカで暮らすのは認めてやる。ただし、トルトには近づくな。勿論僕にもだ」
這うように後ずさる男達を見下ろす。
「わかった、近づかない! こんなことはもうやめる!」
「それと、今まで奪ってきた金品も全て元の持ち主に返せ。使ってしまった分は、正規の手段で稼いで全て返却しろ。もう気づいているかもしれないけど、君達のことは追跡で監視している。妙なことを起こそうとした瞬間、命は無くなるものだと思え」
恐怖で声帯もまともに動かなくなった男達は、ラジのその言葉に頷くことで返答する。
それを確認したラジは、男達の横を通るようにして帰路につく。隣をラジが横切った瞬間、男達は全身が硬直する。ラジの魔法の効果でもなんでもなく、それは純粋な恐怖から来る硬直だった。
ラジはトルトから受け取ることのできる報酬に思いを馳せながら、三十万リルを抱えて荒野を駆けた。
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