第19話 装備

 酒屋という体のギルドへと戻ってくる。

 ラジはカウンターに三十万リルを無造作に投げて、その奥にいるトルトを見る。


「帰りました」


 ラジのその言葉に反応してトルトは軽快に笑おうとするが、ラジのボロボロになった服装を見て、出かかったその言葉をせき止めた。


 観察する。

 元々冒険者には相応しくない軽装だとは思っていたのだが、ラジのステータスやフェリアがトトリカ入りを間接的にであるが許可しているということを鑑みて、トルトはラジのその服装についてなにかを言及することはしなかったのだ。

 それに一応ラジも冒険者である。身を護る為の物は揃えているだろうと勘違いをしていた。普通の服装に見えるだけの防護服であると思い込んでいたのだ。


 それが本当に普通の服だったとは、思ってもいなかった。


「服、どうした? 何があった?」


 ラジはトルトのその言葉を聞いて、初めて自身の服装を見る。

 一応服としてのそれは保ってはいるが、しかしこれで外を出歩くとなると些か不安が残る服装だった。特にこのトトリカでは。


 恥ずかしがるように頭を掻きながら、ラジは適切な言葉を探すように唸る。


「色々、炎系統の魔法を撃ちこまれてしまいまして……。身体は大丈夫だったんであんまり気にしてなかったんですけど、流石にこの服装は不味いですね……あはは」


 トルトは驚く。

 この世界において、服は頑丈に造られているのだ。なぜなら、そこかしこに迷宮が乱立しているからである。一般人が迷宮内に赴くことなどは滅多にないが、迷宮内のモンスターが外に出てくるのは多々あるのである。

 その時に身を守れるよう、ある程度は丈夫に造られているのだ。


 だからこそ今のラジの台詞を咀嚼することが出来ないでいた。

 そんな衣服が、これほど無残な状態になるまで、ラジは魔法を受け続けたということになる。そして当の本人はそれをなんとも思っていない。底の知れない目の前の無垢な少年を見て、トルトは唾を呑んだ。


 絶対に敵に回してはいけない。

 この少年(ラジ)を敵に回せば、この世界で生きていくことは出来ない。

 トルトは静かにそう思ったが、その思いは心中に眠らせておく。


「大丈夫なら良い。それで報酬だが」

「信頼と信用。貰えますか?」


 トルトは大きく笑って、


「勿論だ」


 と答えるのだった。


 トルトは魔法袋を取り出して、ラジに投げる。

 突然投げられたそれを、ラジは体勢を崩しつつ捕まえた。


「三十万リルで売ってくれるんですか?」


 確か相場は五十万リルだった筈だ、とラジは脳内の隅に小さく蹲っている記憶を引っ張り上げる。

 自身の強さに甘んじることも高慢になることもないラジを見て、トルトは微笑んだ。


「いや、それはもうラジにやる。気に入った人間に譲ると決めていたからな」


 この魔法袋は、トルトが初めて迷宮で手に入れた魔道具なのである。その為、特にレアな魔道具でもないそれを大事に持っていたのだ。

 トルトは向上心のある人間や、純粋な人間が好きなのだ。そういう人にこの魔道具を持っていてほしいと、これを連れて上まで登って行ってほしいと、そう願っていた。


 それはトルトの潜在的な意識からくる願いでもある。

 早々に冒険者に向いていないと悟ったトルトは、ラジと違って冒険者という職業をすぐにやめてしまった。しかし、成り上がりたいという気持ちだけは心の片隅にずっと居座っていた。

 この魔法袋には、そういうトルトの願いも込められているのだ。


 しかし、トルトは今ギルドという成り上がりの手段を見つけた。そして上に登る為の努力もしている。

 この魔道具に思い入れはあるが、しかしもうトルトには必要ないものなのである。

 だから、譲った。


「でも、流石に申し訳ないです」


 ラジは本当に困ったように眉を顰める。


 トルトはならば、という言葉の後に続けるようにして、


「装備はこのギルドで整えていってくれ。どの道その服じゃあ帰れないだろう」


 目的は魔法袋だった為、装備を整えるつもりはなかった――その必要もなかった――のだが、魔法袋を譲ってもらった手前、それを無下に断るのも憚られる。


 ラジはこくりと頷いて、それを了承した。


「予算は、二十万リルで」

「そんなにいいのか?」

「むしろ二十万リルだけでいいんですか?」


 勿論、ラジが装備を購入すればトルトの財布は潤う。その狙いもあるにはあったのだが、トルトの本当の狙いは顧客の確保である。フェリアには悪いが、ラジをこちら側へと引き抜こうとしていた。


 その為の撒き餌なのだ。今ここでラジが大金を使うのは有難いが、それを強要して関係が切れてしまう恐れが少しでもあるならば、トルトは装備を売らないつもりでいた。


 しかしラジにそんなつもりはない。継続的に利用すると約束しているというのもある。この世界において口約束など少しの信用もないのだが、ラジにその知識はない。

 口約束も契約の範疇であると本当に信じ切っていた。


 図らずも騙したような形となり、トルトは少々の後悔を噛み締める。まさかラジが突然敵に回ることはないだろうが、しかしその種を態々植えたままにする必要もない。


 トルトは常識を説明する。


「二十万リルも使ってくれるなら嬉しい限りだが、無理をしているならやめてくれていい。それに、口約束は契約に入らない、ラジがここで装備を整える必要も、本来なら無いんだ。フェリアの顔を立ててそっちで買ってくれてもいい」

「口約束って……。その口約束の依頼達成の報酬を、トルトさんはくれたじゃないですか。それに僕はもうトルトさんを友達だと思っているので。友達を贔屓するのは、別に禁止されてないでしょう」


 困ったようにはにかむラジを見て、トルトは「そうだな」とだけ呟き、ラジに装備を売った。


 五十万リル相当のそれらを、二十万リルで。


 ラジはその莫大な値引きに気付いていないようだったが、しかしそれでも良かった。


(友達を贔屓するのは、禁止されていないしな)


 新調した装備を身に纏い、冒険者らしい恰好になって喜んでいるラジを遠目に眺めながら、トルトはそんなことを考えていた。


 ラジはトルトに小さく頭を下げ、礼を言う。

 対価はしっかりと貰っている為、そんなことはしなくてもいいと言うトルトだったが、しかしトルトはラジのそういう性格も含めて好きになっているのだ。零れる笑みを隠さないまま、トトリカを出て行くラジに手を振った。


 喧噪が消えた酒屋(ギルド)で、トルトは一人、口癖になっているそれを呟く。

 どこまでがフェリアの計算内なのかは知らないが、トルトはその友人に頭の中で深く感謝をした。


 トトリカ地区での出来事は、ラジにとってもトルトにとっても、大きな第一歩目となったのだった。

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