第29話 依頼
下位区画へと帰ってきていた。
トルトはギルド経営で忙しいらしく、あれから未だに会えてはいないが、フェリアには会える。厳密にはトトリカ地区に行けばトルトにも会えるのだが、一瞬だけだ。なにやら口癖だった「トトリカから成り上がる」が現実味を帯びてきたらしく、会話をするだけの時間を捻出できないらしい。
ラジはそれを、フェリアから口頭で伝えられていた。
「久しぶりね、何してたの?」
そうラジに声を掛けるのは、紛れもなくフェリアである。最弱の冒険者と揶揄されていた時と同じように、下位区画のギルド内で二人は会話に興じていた。
「色々あって……。でももう落ち着いたので、迷宮探索を再開したいと思ってます」
視線を泳がせながら、ラジは頬を掻いてにへらと笑う。
上位冒険者、つまりはCランク以上のクエストを受注できる資格を得たラジが、こうして下位区画に帰ってきているのには理由がある。
フェリアに現状を報告する、という目的も勿論あるが、もう一つの理由が存在する。そちらが今回の核だ。
一拍の間を置いて、ラジは口を開いた。
「砂の迷宮探索の依頼って、まだ残ってます?」
ラジの言葉には迷いがあった。何故ならその依頼は、フェリアから行かないようにと忠告されていたものだからである。
フェリアではない別の人間を介して受注すれば良いだけの話なのだが、しかしそれはラジの性格上難しい。今まで世話になった人物を捨ててしまう形となる為である。
冒険者であればそんなことは日常茶飯事なのだが、ラジがそれに倣うことはなかった。
だからこそラジは、フェリアを筆頭に様々な人間に好かれているのだ。
フェリアは手早く確認を済ませて、――済ませた振りをして、脳内で捏造した結果を告げる。
「残ってないわね」
「本当ですか……?」
「ええ」
「嘘だ」
疑心の瞳で刺されたフェリアは、諦めたように溜息を吐いて、「なんでそういうところだけは勘が良いのかしら……」と投げやりに呟いた。
クエストそのものを無いことにしてしまえば、流石のラジでも諦めがつくだろうと判断しての嘘だったのだ。
あれから何度か国自体が大勢を迷宮に派遣しているが、例外なく人が戻ってきたことは無い。しかし、かと言って死人が出ているかと問われれば、分からないと答えるしかない。
迷宮に赴いた人間は、その全てが忽然と姿を消すのだ。
その為、砂の迷宮でなにが起こっているのかを知っている人間は、この世界に存在していない。
そんな危険な場所に、ラジを行かせるわけにはいかない。という思いが、フェリアに嘘を吐かせた。
「……残ってるわよ。解決していない以上依頼が取り消されることはないしね」
ラジの追及に折れる形で、フェリアは諦観を携えながら口に出す。
そう、残っているのだ。そもそもこれは、国からの依頼の為、解決が難しいからと言って取り消されることはない。国としても、内情を把握できていない迷宮をそのまま放置しておくわけにはいかないからだ。
元はEランククエストの為、当初はそれ程危険視していなかった迷宮であるが、派遣した冒険者全員と連絡がつかなくなってしまっている今、それの危険度は格段に上昇している。
何もわからないからこそ、その迷宮は危険なのだ。
ラジは瞳の色を迷宮入りの時のそれに変貌させ、フェリアを見た。正確には、フェリアを通してその依頼を見据えた。
「それ、受けます」
「言うと思った。でも無理よ」
「大丈夫です。生きてここに帰ってこれる自信があります」
上位区画の冒険者として認められた今、ラジは以前のように自身を卑下しすぎることは無くなっていた。
だからこそ、砂の迷宮への興味が危険という不穏分子に勝っている。
今の自身の力があれば、死ぬことはない。
そしてそれは慢心でもなんでもなく、事実であり現実だ。
しかしフェリアは否定の言葉を続ける。駄目、ではなく、無理だ、と言ったのには理由がある。
「違う違う。あのクエスト、Cランククエストに引き上げられたのよ。だから下位冒険者のラジくんじゃ受けられないわ」
「あ、そういうことですか。なら大丈夫です」
ラジは即答する。
そんなラジをフェリアは不思議そうな表情で見つめるが、朧気ながらもその理由に辿り着いたのか、驚愕や称賛、愕然や諦念といった様々な感情を内で歪ませながら、しかし変わらない表情のまま、推測した答えを口に出す。
「まさかとは思うけど、上位区画に行ったの?」
「はい、そこでカードも貰ってきました」
フェリアは頭を抱えたくなった。
受付嬢と冒険者という関係なのだ。行動を随時報告などする必要もないのだが、ラジのことを好いているフェリアは、勝手に上位区画へ赴いたことについて些細な不満を感じる。
それに、ラジが上位区画に生活基盤を置いてしまえば、もう会うことは無いのだ。その事実がフェリアを一層悲しみに叩き落とす。
ラジが今ここでクエストを受注しに来ている以上、そんなことはないのだが、しかしフェリアの持つ冒険者としての常識が、その線を消していた。
上に上がった冒険者は、余程のことが無いと下位区画に戻ってくることはない、という常識が、――ラジには適応されない常識が、フェリアを苦しめる。
「また勝手に……。良いけど……」
頬を膨らませ、僅かな怒りを見せるフェリアを見て、ラジはいたたまれない気持ちになったが、それでも砂の迷宮への興味は失せない。
「これで正式に受けられますよね? 探索許可証発行してもらっても良いですか?」
「あー……。これなんだけど、最低二人一組になっての探索じゃないと許可できないのよね……」
「嘘ですか?」
「これは本当!」
また自身を迷宮に行かせない為の嘘かとも思ったのだが、どうやら違うらしい。ラジは身を乗り出すようにして詳細を問い、フェリアはそれに応えるようにして言葉を続ける。
「……二人で行けば、一人を囮にして帰ってくることも出来るでしょう。上層部は迷宮でなにが起こっているか知りたいだけだから、その場で何人死のうとも一人が生きて帰ってきて内情を報告すればそれでいいのよ。だから最低二人のパーティじゃないと、許可は出来ないわ。……本当はそれでも許可したくないんだけど……気、変わらない?」
ラジはしばし思考してから、にこりと微笑んで「変わりません」と答えるのだった。
しかしフェリアは安心していた。これまで最弱冒険者だったラジに、迷宮探索に一緒に赴いてくれるような冒険者の知り合いが存在するとは思えないからだ。トルトも一応まだ冒険者という肩書を持ってはいるが、あの子が迷宮に潜ることはもうないだろう、と旧知の仲であるフェリアは思っていたし、そしてそれは間違いではない。
「じゃあ、受けます。それ」
「え?」
だからこそ、予想を反したラジの言葉に、置いていかれた。
「いや、でも、私もトルトも行かないわよ? 冒険者の知り合い、いるの?」
「知り合いというか……って感じですけど。誘ったら来てくれそうな人はいます」
フェリアは思考した。
下位区画でラジと仲が良い人間は皆無と言っていい。はじまりのラジという蔑称を肴に酒を飲んでいた人間しか存在していないからだ。
ということは、ラジの言うその知り合いとは、上位区画の冒険者ということになる。
(上位区画の人間同士って、無駄に慣れ合わないから仲良くなることは難しいって聞いたことあるんだけど……)
フェリアが聞いたというそれは正しい。戦闘中に合理的な判断が出来るように、情を抱いてしまうことがないように。上位区画ではそれが暗黙の了解となっている。
だからこそラジの台詞に驚いた。
ラジの知り合いだというその人は、ラジと関わって損はない、と思考したということの証左でもあるからだ。
知らない内に大きく成長を遂げたラジを、感慨深げに見つめる。
「一応聞くけど、誰?」
ギルド職員ではあるが、全ての冒険者の名前を記憶しているわけではない。しかしフェリアは好奇心を抑えることが出来ず、問う。
ラジは何故か困ったように笑って、告げた。
「ヨルトさんです。知ってます?」
「……」
簡単にその名前を出すラジに、フェリアは卒倒しかけた。何とか持ちこたえて、脳内でヨルトという文字を反芻させる。
「……ヨルトって、ヨルト・ウェインよね。上位区画トップの……」
ヨルトさんの本名ってそれなんだ、とどこか見当違いなことを思いつつ、ラジは頷く。
しかしフェリアは心配していた。
ヨルト・ウェイン。それは上位区画、下位区画の憧れである。しかしその反面、良い噂を聞いたことがないからだ。
冒険者を半殺しにまで追い詰めて、強制的に前線を退かせたという話も、事実として入ってきている。
そんなフェリアの心配そうな目に気が付いたのか、ラジは優しく笑って答えた。
「大丈夫ですよ。乱暴な人なのは確かですけど、不器用なだけです」
そんなことを柔和な笑みを浮かべながら口にするラジを、無下に追い返すことなど、フェリアには出来なかった。
(ラジくん……どこまで行くんだろう……)
もしかすると、トルトより先に成り上がってしまうのではないだろうか、などという考えが、フェリアを埋めていた。
クエストを受注したラジは、その足のままもう一度、ヨルトの居る上位区画に赴いた。
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