第34話 記憶と気づき
炎は消えるが、しかしラジ達の身体は既に満身創痍である。回復薬が無ければ死亡していた。しかし回復薬を買わなければ、こんな目には遭っていなかった。
ぎりりと歯ぎしりをする。打つ手立てが、何もない。
ラジは久しぶりに、自分が弱者であったことを思い出していた。
ギドラはやはり笑みを崩さない。
「おーおーおー。上位区画の冒険者様が二人揃ってこの有様か! 恥ずかしくはないのかよ!」
ギドラは下卑た表情で下卑た言葉を吐き、ヨルトに近づく。
そして、倒れているヨルトの左腕を、体重を乗せるようにして踏んだ。
人間として考えられない方向に腕は曲がる。ヨルトは苦悶の表情を浮かべつつも、「死体蹴りか? 恥ずかしくないのかよ?」と自身を鼓舞するように軽口を叩いた。
「自分で死体同然に成り下がったことを認めているお前の方が、恥ずかしいだろう?」
「うるせェよ」
ギドラは思う。
(ああ……。これでやっと報復できる……)
念願であったラジへの報復を目の前に、自然と笑みが零れる、眼球が上へと移動する、口角が歪に吊り上がる。
殺せる、殺せる、殺せる。
――俺の腕を奪った人間を、殺せる……ッ!
当然の報いだ、人の未来を奪ったのだから、当然だ。殺されるのは、当然だ。これは正当な主張だ。
倫理観がないから人喰いをしたのか、はたまた人喰いが倫理観を失わせたのかは定かではないが、ギドラは内側から湧き上がる歪でどす黒い快楽を、抑えることが出来ないでいた。
目の前に小さく蹲る生傷が絶えないラジを見て、ギドラは大きく口を開いて低俗に笑う。
「残念だったなぁ、ラジ。お前は俺に勝てない。その上死んだ後すら、人喰い冒険者であるという悪評が知れ渡る! はじまりのラジなんて蔑称とは比にならない! フェリアは勿論、トルトとかいう女にもお前は最低な人間だったと記憶されるだろうなあ! 誰もお前の死を悲しむ人間なんていない! 俺が存在させない!」
自身にゆっくりと近づいてくるギドラを見上げながら、ラジは考える。
――なにか、なにかある筈だ……ここを切り抜けることの出来る方法が……!
人間は死ぬ間際や死を近くに感じた時、今までの人生全てをなぞっていくという。所謂、走馬燈だ。
ラジの脳内には今、それが表示されていた。
猛スピードで直近の記憶がサルベージされる。
はじまりの迷宮、魔物喰いの発見、フェリアとの食事、砂の迷宮、トルトとの邂逅、魔法袋の存在、上位区画、カード所持、ヨルトとの模擬戦、ステータステスト、そして、今。
ラジはにやりと笑う。
(これだ……。勝てる……ッ!)
ラジはヨルトに言葉を投げる。
「ヨルトさん! 申し訳ないですが時間稼ぎをお願いしますっ!」
「こんな状態の俺に時間稼ぎを頼むなんて、お前くらいしかいないぜ! 勝算はあるんだな?」
「はい!」
ヨルトはふらふらと起き上がる。
「聞かせろ、何秒だ」
「十秒、それで片を付けます」
二人は顔を見合わせて頷き合う。
「仕方ねェ! 可愛い後輩からの頼みは断れねェしなァ!」
「よろしくお願いします」
ギドラはそのやり取りを聞いて疑問を浮かべた。
自分の戦いに穴はない。ステータスも自分の方が上だ。この二人に、負けるわけがない。
その考えに至るのは当然であった。何故なら本当に、現時点ではラジ達に勝ち目はないのだから。
「なにをするつもりかは知らないが、たかだか十秒で俺の勝ちが揺らぐ筈がない」
しかし瞳に自信の光を浮かべているラジを見て、不安に駆られる。
――俺はなにか、ミスをしたのか。
(まあいい。ミスをしていたたとしても、十秒無ければ俺に勝てないんだ。今のヨルトを倒すなど、三秒あれば足りる)
起き上がったヨルトは、魔法を詠唱する。
襲い来るであろう攻撃に、ギドラは身構えたが、一向にそれが来る気配はない。
それもその筈、ヨルトが使用したのは、初級魔法であるウインドだ。その場に風を吹かせるだけの、ただそれだけの、攻撃を目的としない魔法。
「はぁ? 遂に頭までやられたか? 馬鹿になったのか?」
「馬鹿はお前だ」
その台詞と共に、迷宮内に風が吹き荒れる。
ここでやっとギドラはその目的に辿り着いた。
(……っ! 目くらましか……!)
この迷宮の名前は、砂の迷宮である。
迷宮内は無風の為、砂塵が舞うことはなかったが、しかし今は違う。
ヨルトが巻き起こした風に乗るようにして、その砂が一斉にギドラへと向かう。勿論ダメージはない。砂程度で傷を受けることは無い。少し経てば元に戻る程度の、戯のような魔法だ。
しかし現時点においてその数秒の価値は大きい。
「ラジ! もう時間は稼いだぞ! 後はお前がなんとかしろ!」
「言われなくてもッ!」
ラジは地面に落ちていた小さな石をギドラに向かって投げる。
否。
投擲する。
投擲という攻撃方法は、自身の攻撃ステータスが純粋に反映されるのだ。武器の性能は、関係ない。それは先日行ったステータステスト時に学んだ。
つまり今ラジが投げた石には、ラジ自身の攻撃ステータスがそのまま乗っているのだ。
ギドラは笑う。こんなもので、勝利を確信していたのかと、笑い飛ばす。
油断しているからこそ、ギドラはそれを避けなかった。
ずどんという重低音と共に、その石はギドラの頭部に命中する。
「ど、どういうことだ……」
ラジの攻撃力に勝る防御を持っているというのに、ギドラの頭からは赤い血が滴り落ちていた。
――ラジは、喰ったのだ。
人ではない。魔法袋を。
正しくは、魔法袋という名の、マジックバッグというモンスターの核を。
上位区画に入る前の門衛との雑談を、ラジはこの場で思い出したのだ。彼が言っていたことを、この土壇場で思い出した。
『それな、マジックバッグっていうモンスターの死骸だ』
と、門衛は確かに言っていたのだ。
元がモンスターならば、喰えばいい。喰って、ポイントを得ればいい。
それでギドラを、越えればいい。
賭けに近い部分もあったが、それを食した瞬間、やはりスキルポイントを10獲得した。今のラジの攻撃数値は750である。
これは、ギドラの防御を1だけ上回る。
つまり、今からのラジの攻撃は、しっかりとギドラを貫く。
「貴方は知らないだろうけど、1は、大きいんだ」
フェリアの言葉を借りるようにして、ラジは不敵な笑みを浮かべて、迷宮内でそう呟いた。
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