第32話 動く怨念

 ラジは目の前に不遜に佇む男の名前を口に出す。

 ギドラ・コル。

 砂の迷宮で遭遇した、Eランク冒険者である。ラジを殺そうとした人間の名でもある。


「知り合いか? ……の割には友好的じゃねェが」

「……僕を殺そうとしてきた人です」


 ヨルトは驚きを隠さずにラジをちらりと見た後、しかし視線をギドラに戻す。


 ギドラはカチカチと不快な金属音を迷宮内に響かせる。音の出所は義手だ。

 苛立ちをぶつけるようにして、ギドラは自身の右腕を、――人の血が通わなくなってしまったそれを、迷宮内の壁にぶつけた。


「俺の腕がこうなってしまったのも、全部お前のせいだ、ラジ」


 怒気を滲ませて呟くギドラの表情は、苦悶と怒りで満ち満ちていた。

 彼が義手をしているのには理由がある。

 以前砂の迷宮でラジと邂逅した時に折られた腕は、高価な回復薬を使用しても修復不可能な程、細胞というものが死滅していたのだ。

 本来細胞とは再生するものではあるが、ラジの攻撃力とギドラの防御力の差異がそれを不可能にしていた。


 呪いじみた力を発揮して、ギドラの腕は二度と動かすことが出来なくなる。

 その恨みが、怨念が、ギドラを突き動かした。


 ギドラが殴った壁に大きな蜘蛛の巣状のひびが入る。


 ラジとヨルトはそんなギドラから距離を取るが、ギドラは無理に離れた距離を詰めようとせず、ただ笑った。被虐的な笑みのまま、ラジを見る。


 ヨルトの言う通り、友好的であるとは間違っても言えないその態度に、ラジは刺激しないようにと細心の注意を払いながら、問う。


「どうしてここに?」


 ギドラは大きく口を開き、黒く染められたその瞳でラジを突き刺して答えた。


「お前を殺す為」


 今のギドラを突き動かしているのは、ラジに対する殺人衝動である。

 黒く胸の内側で蟠るそれに、ギドラは支配されていた。


 腕を潰された恨み、弱者に蹂躙された屈辱、当時抱いていたラジへの恐怖心、それらすべてが綯交ぜになって、殺害の衝動へと変貌している。

 以前遭遇した時とは違う、その本物の感情に、ラジは少しの不安を感じていた。


 これ程真っ直ぐに悪意を向けられたことはなかったからである。最弱の冒険者と揶揄されて、そういった類の悪感情をぶつけられるのは慣れていると思い込んでいたが、どうやらそれは間違いだったらしい。


「これやったのもお前かよ?」


 ヨルトは蛋白質の塊と成り下がったかつて人であったものに視線を動かして、静かに問うた。

 ギドラは高く笑う。その笑みには愚弄、嘲笑、蔑み、その他多くの黒い感情が詰まっていた。


 息を吸い込み、ギドラは吐き捨てる。


「ああ、俺だ」

「……何の為に? 僕を殺すのが目的なんでしょう。他の冒険者は関係ない」


 怒りを隠さず、ラジは言葉を飛ばす。


 ギドラの笑みが増々深くなる。

 まるで死神に憑りつかれたかのように、噛み殺すような異様な笑いを浮かべているギドラに呑まれてしまわないよう、ラジは意識を集中させた。


 ギドラは笑いを収め、声の調子を落として静かに言う。


「人を喰ったら、レベルが上がるんだよ」

「……っ!」


 他人事と唾棄できる内容の物ではないそれに、ラジは焦燥を表に出さないよう小さく下唇を噛む。

 密室である迷宮内に吹く筈のない冷たい風が、頬を殴打しているような錯覚に陥った。


 ヨルトは思わぬところで気になっていた噂の真相を知る。

 人は多大な経験をしている、その人を殺せば、その経験値が得られるのは自然の道理と言えなくもない。非人道的行為、道徳的に行えないような行為、だからこそ経験は手に入る。

 しかし、それを実際にやってのけた人間を見るのは、初めてだった。


「なんだ、お前、知らなかったのか? 何にも知らないんだな。俺はラジのことならなんでも知ってるっていうのに」

「……どういうことですか」


 ギドラの言葉の意味が理解できないラジは、敵であるそれに答えの提示を求めた。ギドラはそれを拒否するでもなく、簡単に事実を述べる。


「あの時ラジに追跡の魔法をかけておいたんだ。いつかお前を超える為に、お前の力を測る為に、またあの時のように負けてしまわないように。俺は俺自身を守る為に、俺の恨みを晴らす為に、お前を追っていたし、お前についての情報だって集めた。だから、なんでも知っている。お前が人に話していないあのことについてだって、俺は知ってる。迷宮探索に異常なまでの執着を持っていることもな。だからこそ、俺はここで待った。一度踏破した迷宮に異変が起きれば、お前は必ず戻ってくると思って、俺はここで人を喰い、お前よりも強くなって、待っていた」


 ラジはここで初めて、視線の正体を知る。

 トトリカ地区で感じた視線は、あの時襲い掛かってきた二人の視線ではなく、ギドラの追跡による視線だったのだ。それならば、継続的に視線を感じていたのにも納得できる理由が付く。


 そして以前砂の迷宮でギドラは口にしていた。『俺は魔法にスキルポイントを30も振っているんだぞ』と。ラジもそれを使用したからこそ知っていることであるが、追跡の習得方法は魔法にスキルポイントを30振ること、なのだ。あの時に追跡の魔法をかけられていたとしても、不思議はない。

 つまりラジの今までの行動は、全てギドラに筒抜けということになる。


 魔物喰いも、だ。


 ラジの頭の中で全てのピースが繋がる。


 自身が砂の迷宮でギドラを撃退したあの時から、この怨念(ギドラ)は動いていた。そして今それは鋭利な刃となって喉元に迫ってしまっている。

 正当防衛と主張できるそれだが、しかし当人が恨みを抱いてしまっている為その主張は通用しない。法を介入させれば解決できるであろうそれも、ここ迷宮においては塵と化す。


 何故なら、迷宮での死は、その原因がなにであろうと「迷宮での死」として処理されてしまうのだから。


(……どうすればいい……。ここにいるのは僕とヨルトさん、そしてギドラだ。いっそ、ヨルトさんだけを先に帰すべきか……)


 それならば、この迷宮についての謎は解ける。ラジの生死がどうなるかはさておき、だが。

 そもそも依頼は迷宮内部状態の把握なのだ。無理にギドラと戦う必要はない。戦略的な撤退も視野に入れておかなければならない。


 ラジのそんな思考を見抜いたギドラは、大声で叫び、迷宮内に獣じみた声を轟かせる。


「逃がすかよ! ラジとヨルト、双方上位区画トップクラスの冒険者だ! 天は俺に味方しているようだな! 人喰いの罪をお前ら二人に擦り付けて、俺はこの迷宮で起きた事件の解決者として報酬を得る! 特に急成長したラジなら全ての説明が付く! お前は人を殺して得た経験で成長したどうしようもない人間だと周囲に認識されるだろう! 死人に口はない、全て俺が考えたシナリオの上で動かしてやる! 安心しろ、冒険者初の人肉嗜食(カニバリズム)主義者として有名にしてやるさ!」

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