第31話 望まない再会
いつか訪れた場所に、もう一度舞い戻ってきている。
しかし今はあの時のように一人ではない。仲間、というには些か躊躇いがあるが、今はパーティを組んで砂の迷宮に訪れている。
許可証を確認するギルド職員等はどこにも存在しておらず、その場には砂だけが吹き荒れていた。
風の流れに乗って飛んできた砂塵が瞳に侵入し、反射で涙が出た。魔物喰いという人間としてイレギュラーな行為をしているにも関わらず、防衛本能というのはまだ機能していたんだな、と少しだけ安心した。
人間ではないという錯覚が、ラジを包み込んでいたのだ。それがさらりと消えていく感覚は、心地よかった。
ヨルトと共に迷宮に入る。それと同時に砂が吹き荒れることはなくなる。当然だ、迷宮だとはいえ、建物内なのである。風の通り道は出入り口にしか存在していない。
下層に行けば、無風となるだろう。
ラジは違和を感じていた。
(モンスターが少なすぎる……。いや、いない……?)
迷宮内部を見渡すが、そのどこにもモンスターらしき影は見当たらない。
ヨルトもそれに気が付いたのか、静かに発話する。突然上位クエストに位置付けられた曰くつきの迷宮なのだ。モンスターが知能を得て、隠れて冒険者を伺ってるという可能性もある。だからこそ、ヨルトは静かに、撫でるようにして言葉を紡いだ。
「どこにもモンスターいねえな。これが上位クエストだってんだから驚きだ。こんな簡単な仕事はないぜ」
軽口を叩くヨルトだが、それはラジから緊張を取り除く為の気遣いでもあった。
性格や言動の是非はさておき、ヨルトはAランク冒険者なのである。モンスターが居ない迷宮を上位区画が請け負うことの異常さを知っていた。
口には出さないが、二人は確信していた。
この迷宮には何かがあると。
そもそも何かがあるからこそ国自体が依頼をしているのだが、実感してやっとそれが現実味を帯びてくる。
元はと言えば下位区画のクエストである。そして一度その迷宮を経験しているからこそ来る慢心を、ラジは後悔していた。回復薬を購入しておいて正解だったかもしれない、とも思う。
何もない、が怖いのではなく、何があるかわからない、から怖いのだ。
迷宮の恐ろしさを、ラジは久しぶりに実感していた。忘れていた感覚が蘇る。
昔はいつもこうだった、と。
ラジは辺りをもう一度見まわすが、モンスターの気配すら感じられなかった。経験の無さから来る認識不足かとも思ったが、ヨルトも同じ反応を見せている為、そうではないだろうと論結した。
つまり、ここには本当になにも存在していない。
迷宮であるのにも関わらず、だ。
モンスターは勿論、ラジ達より前に派遣されたであろう冒険者達でさえ見当たらない。モンスターに襲われて死亡したのであれば、その死体くらい残っていても不思議ではないが、残滓でさえこの場所には無かった。
「どうする? 今ならギルドに戻れるが。……まあ、何の成果も出してないから報酬は無いだろうがな」
「いえ。行きましょう。元よりそのつもりで来たんです。違和を承知で。それが帰る理由にはなりません」
「まあそうだな。俺も言ってみただけだ」
会話を終えて、二人は進む。奥へと、奥へと。
進むにつれて、違和が膨れ上がる。
(ここまで何もないのは、流石におかしくない……? 攻略難易度が引き上げられた迷宮なのに……)
とんとん拍子に歩みを進めることが出来る。
だからこそ、おかしいのだ。
上位区画のクエストなのに、ここまで簡単に進める出来るのは、おかしい。こんなものは攻略でも探索でも何でもなく、ただの散策だ。
それくらいは経験の乏しいラジでも理解出来る事象だった。
二人はその違和を噛み締めながら、砂の迷宮最深部へと足を踏み入れる。
「なんだ、これ……」
ラジは目の前に広がる惨状を見て、絞り出すように呟いた。
モンスターが見当たらないとはいえ、ここは迷宮である。無防備な状態になるなど有り得ないし有り得てはいけないのだが、しかしそれでもラジは両腕をだらんと地面に向けて、脱力してしまった。
眼前に広がるは、冒険者達の死体の山である。
それも普通の死体ではない。
――喰われている。
四肢が消え、胴体だけとなった冒険者の死体、頭部の半分がない死体、腹部に歪な穴が空いている死体。
どれも、死体というより、残骸、と表現した方が正だ。歪な歯型だけが存在し、それがより一層不気味さを際立たせている。
歯形をよく観察するが、その大きさから推測するにさほど大きなモンスターではないようだ。拳大程のその歯形が、自身の存在を声高に叫んでいるように見えた。
冒険者達が忽然と姿を消している、という言葉の意味が漸(ようや)く理解できた。
姿を消しているのではない、喰われている為に、それそのものが無くなっているのだ。この死屍累々も、後々胃に詰められるのだろう。
湧き上がってくる嘔吐感を必死に押さえつけるが、しかし嗚咽が零れる。ラジが腐臭漂うそれらを極力視界に入れないようにと、下を向くことしか出来なかった。
ヨルトはただ何も言わず、それらを眺めているだけである。上位冒険者の矜持とでもいうのだろうか、依頼された迷宮内部の把握をこなしているようにも見える。
ラジはヨルトのその精神力を目の当たりにして、自身との違いを思い知った。
力では優に勝っているが、しかし経験では負けている。
「酷ェ有様だ。砂の迷宮で起こっていいことじゃねえな」
苦虫を噛み潰したような表情とはよく聞くが、ヨルトの表情はそんなものでは形容できない程に酷く歪んでいた。
(モンスターの仕業か……?)
漸くラジは、今自身が立っている場所が迷宮であったと思い出す。
だらりと垂れ下がっていた腕を緊張状態に戻して、今この場に存在するであろう人喰いモンスターを警戒する。
これがCランク迷宮で起きていることなのか、とラジは思考していた。
ギルドがこの状況を把握すれば、すぐさまランクは上へと引き上げられるだろう。何も把握していないからこそのCで、把握していないからこその死体の山だ。
いくらカード持ちとはいえ、Cランク冒険者がなんとかできるような代物ではない。
「――漸く来たか、ラジ。待ちくたびれたぞ」
背中側から声を掛けられる。ヨルトの声ではないそれに警戒を高めながら、ラジはゆっくりと振り返った。
そこには右腕を義手に変えた、記憶に古くない男がにやりと不敵な笑みを携えて立っていた。
「……ギドラ・コル……」
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