第25話 模擬戦(中)
ヨルトは大きく口を開けて下卑た笑いを浮かべる。
ラジはその笑いを耳に入れないまま、地面を蹴ってヨルトに急接近する。今度はヨルトの反応が遅れた。
「……っ!」
ヨルトの速度についてくることが可能な冒険者など、上位区画でも少数の為、驚愕で反応が遅れた。ラジの攻撃を、身体を半回転させることで躱すが、全てから逃れたわけではなく、ヨルトの身に纏う防具が裂けた。
(冗談だろ……? この服、ギルドから支給された上物だぜ……? こいつ、一体何者だ)
ステータスがラジよりも劣るヨルトが攻撃を躱せたのは、偏に経験の差である。ラジは魔物喰いだけで成長したが、ヨルトは迷宮での経験により成長を遂げている。そこだけがヨルトが勝っているところであり、ラジに勝利するにはその経験を生かさねばならなかった。
しかし傲慢なヨルトは、劣っているのを認めたくはなかった。ラジが上位迷宮に出現するモンスターなのであれば、警戒を引き上げただろう。しかし目の前にいるのは、下位冒険者であり、はじまりのラジと揶揄されている弱者だ。その思い込みがヨルトの足元を掬う。
「やっぱり、上位冒険者は強いですね」
「どの口が言いやがる……。お前も十分過ぎるほど強ェじゃねえか……。話が違うぜ、下位冒険者(ラジ)さんよォ」
ラジは過去の人間、シェイカーやギドラなどを思い出していた。やはりあの二人とは力量が違う。ヨルトは今まであったどの敵よりも強力だ。
模擬戦であれば、ラジも適当なところで戦闘を終わらせようと思考していたのだが、しかしヨルトを見る限りこれは模擬戦などではなく、新人潰しだ。
ならば、潰されないように動くしかない。
相手がシェイカーやギドラのような下位冒険者であれば、ラジもまだ手加減が出来ただろうが、今目の前に存在するのは上位冒険者である。手加減は出来ない。本気でぶつかるしかない。
魔法戦では埒が明かないと悟ったヨルトは、接近戦に切り替える。ラジが武器を所持していないというのも理由のひとつだ。いくらなんでも、上位冒険者である自分が、素手の下位冒険者に後れを取る筈がない。そう考えた末の結論である。
自分でも気が付いていないが、ヨルトは先程までの下卑た笑みではなく、純粋な笑いを浮かべていた。
(俺より強い人間が、まだ存在していたのか! この世界もまだまだ楽しめそうだなァ……)
勿論これでヨルトが善人になったわけではない。今までの悪行の数々が彼の足を掴み、善人になることを許さない。
しかし、今この場においてだけは、ヨルトは昔の自分に戻っていた。ただ戦闘が好きだったあの頃に。国やギルドのしがらみなど何一つとしてなかったあの頃に、戻っていた。
――面白ェ!
風を切るようにしてヨルトはラジに接近する。腰に刺さっている短剣を取り出して、その切っ先をラジに向けて、なぞるように切る。
しかしその刃がラジの身体を通ることはなかった。
「なんだそれ、ありかよ、そんなの」
ヨルトが目の当たりにしたのは、その刃を二本の指だけで掴むラジの姿だった。
掴んだ短剣を、ラジは二本の指だけで折る。ぱりんと気持ちの良い音が迷宮内に鳴り響き、遅れてヨルトの笑い声が響く。
「おいおい! そりゃあギルドから支給された非売品の強力な短剣なんだぜ? 力量に関係なく、Cランク迷宮のモンスター程度なら一撃で葬れる程の! それをお前、簡単に! 面白ェ! 何者なんだ、お前!」
ヨルトの動きが止まる。純粋なラジへの興味が、戦闘欲求より勝った。
しかしラジがその疑問を解消することはなく、額に焦燥の汗を浮かべる。
ヨルトは困惑した。短剣を折って、確実に事は有利に運んでいるのにも関わらず、なにを焦ることがある。と。
そこで一つの結論に至る。
「お前、まさか筋力増幅薬、使ってんのか?」
その薬の効果は大きい。一時的にだが、自身のステータスを無理矢理上位冒険者級に押し上げる事の出来る代物も存在する。
しかし、その効果は数十分と持たない。加えて効果が切れた時、想像を絶する程の痛みが伴う。無理矢理筋力を押し上げたことによる副作用だ。
今ラジは、その副作用に苛まれているのはないか、と推測する。
そんな薬でもカード所持という目的の為に、服用してから模擬戦に臨む人間も存在する。
ヨルトは失望した。やはりこいつは上位冒険者の器ではなかったのか。と。少しでも楽しんでしまった自分を、愚かにさえ思った。
ラジの胸倉を掴み、詰め寄る。
「上位区画を舐めてんのか? そんな薬で力を得て、何になる?」
「ち、違いますって! 使ってないです、そんなの!」
慌ててラジは否定の言葉を並べる。そして焦っていた本当の理由を口にした。
「非売品なんですよね? それ。……僕お金持ってないですし……弁償代がいくらになるか想像してしまって……」
地面に転がる短剣の残骸を絶望した表情で眺めながら、絞り出すように呟くラジを見て、やはりヨルトは笑う。
「ラジ、お前面白いな。その短剣のことなら気にすんな、適当な理由を付けて言い訳しておいてやるさ」
「本当ですか! 良かったぁ……」
ほっと胸を撫で下ろし、安心の吐息を吐き出すラジを見て、ヨルトは毒気が抜かれる。
どしんとその場に座って、ヨルトは天井を眺めながら煙草を咥えて火を付けた。
思い切り吸い込んで、煙を肺に循環させた後、吐き出す。薄煙が空気中に舞って、霞むようにして消えた。
「止めだ止め! なんか気分じゃなくなった!」
ラジは今度こそ本当に焦燥に捕まれる。
ヨルトの気分で試験を終えられては困るのである。目的のカード所持許可がまだだ。この模擬戦で自分の力量を証明できたかも怪しいのである。
慌てふためき辺りを見回すラジを見て、ヨルトが審判員に言葉を投げつける。
「審判員! ラジの力は上位区画でも通用するよな?」
遠くの方で模擬戦を見ていた審判員が、その言葉に反応する。
「はい。上位区画のトップ冒険者であるヨルト様と互角、またはそれ以上の戦い振りでした。カード所持を認めるに値する冒険者で間違いありません」
「それ以上ってか、言ってくれるねェ……」
「いえ! 決してヨルト様が弱いと言っているわけでは……」
審判員のその台詞を、ヨルトは手を振って制す。
「別に気にしてねェよ。ラジが強いのは確かだ。俺も強いがな」
二人の会話を聞いて、ラジは良かった、と一人呟く。
どうやら目的は達成されたようだ。あの数十分の戦闘で自身の力が推し量れたどうかは疑問ではあるが、しかし認められている以上受け入れるしかない。
その判断に間違いはないのだから。
ラジは戦意を閉じ込めて、迷宮の出口に向かって歩き出す。ヨルトと共に戻ろうかとも思ったが、しかしそれをする理由も見当たらなかった為、その考えを仕舞い込んだ。そもそもこれから上位区画で何度も顔を合わせるのだ。不必要に今仲を深めておく必要もないと判断した。
そんなラジの背中越しに、ヨルトは言葉を投げかける。
「待てよラジ。まだ誰も負けを認めてないぜ。はじめの約束事を忘れたか?」
振り返るとそこには、煙草を吸い終わったヨルトが、にやりと気持ちの良い笑みを浮かべてふらりと揺れるようにして立っていた。
ラジはすぐさま臨戦態勢へと回帰する。
「――さあ、模擬戦再開と行こうじゃないか」
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