第26話 模擬戦(下)

 ヨルトのその一声で、空気は動いた。

 ――新人潰しは止めだ、こんな面白い人間を潰すなんて勿体ねえ。


 ラジは先手を打たれる前にヨルト目掛けて炎系統の魔法を唱える。魔物喰いで強化された魔法ステータスがそれに乗って、ヨルト目掛けて飛んでいく。

 ヨルトはそれを寸前のところで避ける。


 対象を見失った魔法はそのまま迷宮内の壁にぶつかり、消滅した。

 その場に残ったのは、崩壊した壁と茫然とそれを見つめるヨルトだった。


「いきなりこんな物騒なもん飛ばすなよ!」

 ラジはヨルトに倣うようにして、迷宮内に声を響かせる。


「迷宮内のモンスターが攻撃すると言ってから攻撃しますか?」

「はは! 違いねえ!」


 少年のような笑みを張り付けたまま、ヨルトは先程ラジに折られた短剣の刃を拾って、その動作のまま一瞬の隙も作らずラジに投げる。


 それはそのままラジに突き刺さる。


 正確には、突き刺さったように見えた。


「冗談だろ、ラジ、お前の防御ステータスどうなってんだ……?」

「660ですね」


 魔物喰いで獲得したスキルポイントは、防御以外に振っている。その為、ラジの防御ステータスに変動はない。

 しかし、その数値はヨルトが驚愕するに相応しかった。


 ラジの身体に刺さった――当たった短剣の破片は、ラジが持ち得る防御ステータスの力には勝てず、するすると地面に落ちた後、砕けた。


「俺でも400だぞ、なんで下位区画で生活してたんだよ? もう少し早く来てくれれば、俺も退屈しなかったんだがな」


 流暢に口を動かすヨルトだが、しかし呑気に会話に興じている場合ではないと判断し、次の一手を講じる。

 しかしラジはその上を行く。


 経験が乏しい故に、ラジは戦況を見ずに直感で行動する。その為、思考してから最善の一手を打つ戦い方をするヨルトの反応が一瞬だが遅れてしまう。


 本来は直感で動く戦闘スタイルなど、迷宮内において最も行ってはならない行為なのであるが、ラジの強さがそれを無理矢理に可能にする。

 強さが定石(セオリー)を凌駕する。


 表情こそ変えないが、現場を間近で目撃していた審判員は驚愕していた。

 あのヨルトが圧されている。上位区画の頂点に君臨しているヨルトが攻撃を浴びているところなど初めて見たので、審判員は信じられないとでも言いたげに口をぽかんと開けた。


 ラジの行動は穴だらけであり、隙など指摘しようものなら両の指の数では足りない程なのだが、しかし持ち得る圧倒的な力でそれを封じている。強制的に隙を無くしているのだ。間違っても、下位冒険者に甘んじるような器ではない。

 将来も視野に入れてよいならば、彼はヨルトをも超えるだろう。そう審判員は思っていた。


 地面を蹴って、ラジは迷宮内を駆ける。対象は勿論ヨルトである。

 隙だらけのその身体だが、それに対してヨルトが攻撃を仕掛けることはなかった。

 否。

 動くことが出来なかった。


 今動けば、殺されてしまう。


 勿論ラジにそんな意思は無く、仮にあったとしてもヨルトであればそれを避けるくらい造作もないことなのだが、しかしラジの気迫がそれを封じていた。

 上昇しすぎたステータスが、そんな穴だらけの推測を正しいものと錯覚させていた。


(動かない……? 罠か……)


 ラジは微動だにしないヨルトを見て、攻撃をやめる。

 罠などではないのだが、しかしラジがそれを知ることは無い。


 突然去った脅威にヨルトは驚くが、しかしこれは好機でもあった。今しかないと思考した後、静かに魔法を詠唱する。


「ファイアウォール」


 トトリカ地区でラジが使用したその上位魔法を、今度はヨルトが使用する。

 上位冒険者の魔法ステータスで構築されたそれは、以前ラジが使用したものとは異なっていた。


 本当に壁がもう一つ出来たのではないかという錯覚に陥る。……あながち錯覚ではないのかもしれない。


 何故なら本当に壁がもう一つ出来ているのだから。


「ヨルト様、ラジ様を殺すつもりですか?」

「死んだら死んだで、その程度の奴だったってことだろ」


 審判員が慌ててヨルトに声を掛け、行動を制止する。いくらギルドでも、人殺しの罪をもみ消すのは些か骨の折れる作業だからである。


 しかし生み出した炎の障壁が消滅することはない。

 ヨルトは楽しんでいるのだ、この状況を。審判員の一声など、聴こえない程に戦闘に没頭している。


 そして、この魔法でラジが死んでしまうことはないとも踏んでいた。

 もし万が一死亡してしまったとしても、ヨルトがその責を被ることはないし、罪悪も感じない。今まで何人も再起不能にしてきているのだ、今更それが一人増えたところで、感情が動くことは無い。


 ラジが弱かっただけ、それで片付く話なのだ。弱者は強者に搾取され、蹂躙される。それが当たり前の世界で、ヨルトは今まで生活してきたのだから。


(さあ、どう対処する?)


 今気が付いた、とヨルトは笑う。

 ――俺は弱者を蹂躙するのが好きなんじゃなかった、ただ単に、面白いことが好きなだけだったんだ。


 確かにヨルトは悪よりの思考回路の持ち主ではあるが、何も初めからそうだったわけではない。その証拠に、新人潰しとは言っても、上位区画で生活出来るだけの冒険者には、カード所持を素直に認めているのだ。そうでなければ今頃、上位区画の冒険者は減少していることだろう。


 ぎりぎりの線で踏みとどまっているからこそ、ヨルトは裁かれずに生きている。

 荒々しい性格であるのは確かだが、冒険者などは軒並みそうである。人間関係を気にして、迷宮内でさえも優しい判断を下すラジが異常なだけなのだ。


 自身に迫りくるその炎の壁をどこか俯瞰的に眺めながら、ラジは思考する。


(逃げようかと思ったけど、これじゃあ間に合いそうもないや。なら)


 ラジは静かに息を吸ってから、呟くように詠唱した。


「ファイアウォール」


 トトリカで使用した時とは違う、禍々しささえ纏うそれが出現する。ヨルトのそれが光なら、ラジのそれは闇である。

 自身で使用した魔法なのにも関わらず、どこか他人事に、色が逆だろう、とラジは思っていた。


 毒を以て毒を制すでは無いが、強大な力に同等以上のそれをぶつけることで、相殺しようと考えていた。

 冒険者に有るまじき間違った知識である。自身に危険が迫っている時は、防壁を出せるならそれを出現させるか、そうでなければその場から離れるのが正しい。先に放たれた魔法は、その分威力が乗っている為である。後から放つ魔法の威力がそれに追いつくまでのコンマ数秒のラグが、自身の首を締め上げるのだ。


 ヨルトは笑う。

 なんでこんな無知な冒険者が、ここまでのし上がってきたんだ。と。称賛を込めて大きく笑う。


 両者の魔法がぶつかり合い、迷宮内に爆裂音が鳴り響く。地響きを伴うそれに、審判員の身体が縺れた。


 隙だらけのラジを見て、ヨルトはそこを突いて勝ちを奪ってやろうかと一瞬思考するが、しかし止めた。そんな小手先の勝利を掴むくらいなら、勝敗はさておき正々堂々と決着を付けたかった。


 ヨルトの顔が歪む。

(俺の方が先に魔法を撃った筈なのに……! 力負けしている、だと……! 有り得ねェ、なにがはじまりのラジだ、冗談が過ぎるぜ……)


 ヨルトの魔法ステータスは450である。当たり前だが、これは上位区画でもトップレベルの数値だ。

 得意としているのは魔法ではなく接近戦の為、攻撃の数値よりもそれは劣るが、しかし下位区画の冒険者に力負けするような数値ではない。


 しかし、現実としてヨルトは圧されている。つまりラジのステータスは450よりも上だという証左でもある。

 加えてヨルトは先に魔法を撃っているのだ、450が放つその全力を、ラジは助走の内から対処しているということでもある。


「冗談じゃねえぞ。お前みたいな化物が、どうしてずっと下位区画に居たんだよ……ッ!」


 化物、という表現に込められているのは侮蔑ではない。口調からラジはそう判断したし、そしてそれは間違いでは無かった。

 それに、モンスターを食べて歪な成長を刻むなど、化物と言っても過言ではないのだから。


 ラジは自らの手から離れた炎の壁に、有りっ丈の魔力を込める。元々大きかったそれが、どんどんと加速度的に成長していく。

 対してヨルトは魔力枯渇を起こしかけている。どちらが勝者かは既に明白であった。


 力負けしたヨルトの炎の壁が、ラジのそれに飲み込まれるようにして霧散する。ヨルトは自身に迫るそれを、残していた魔力で防壁を構築することによって対処した。


 緑の防壁がヨルトを守る。

 数秒の煉獄が襲うが、しかし守られているヨルトは外傷を負わない。


「……負けた」


 その紅の中、ヨルトは生まれて初めて、負けを認めていた。

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