第41話 決意
「って感じで連れて帰ってきたは良いものの。どうしよう」
ギルドから派遣された奴隷商ルベルにあれだけ憤りを感じたというのに、ギルドからの報酬であるこの家に帰ってきているのだから、なんとも皮肉なものである。
一人で暮らすには大きすぎたそれだが、しかしこうもあっさりと同居人が増えるとなると、些か違和を感じてしまう。
ラジは隣にいる、ベッドにちょこんと腰掛けている少女を見て、ふうと息を吐いた。
「邪魔、でしょうか」
「いやいや、そういうわけじゃないよ」
口や表情に出してしまったのを後悔する。
邪魔ではない。奴隷などを購入しても、その使い道が分からないのだ。
これがラジでなければ、それこそ迷宮攻略時の盾や、その他諸々の口に出せないようなことにこの少女を消費していただろう。
しかしラジは違う。そもそも、奴隷という制度自体が嫌いなのである。そんな人間が、奴隷を購入したところで持て余してしまうだけなのだ。
それに、だ。
「ねえ、僕の元じゃなくて、別に好きなところに行ってもいいんだよ。今の僕なら、上位区画にも下位区画にも、嫌だろうけどトトリカ地区でも顔が利くし……奴隷のような扱いはさせないよ、これは僕が僕に誓う」
「行きません」
「だよねぇ……知ってたけどさ」
ラジが自由に生きて良いと促しても、少女は頑なに首を縦に振らないのである。
首肯一つで、自由になれるというのに。彼女はそれをしない。
ラジは部屋にある簡素な椅子に静かに腰かけて、首を上に向け、天井を眺める。
この行為に理由はないが、何故か上を見て現実から逃げたくなった。
上位区画の人間ではあるが、人ひとりを養っていける程稼いでいるわけではない。ラジは少女に迷宮攻略を手伝ってもらう気はないのだ。それはつまり、ラジが二人分の働きをしなければならないということである。
資金が貯まれば、この部屋からも出て行ってやろうと少しは思っていたのだが、それも先の話になりそうだ。
ただでさえする気のなかった奴隷購入で報酬金が消えていっているのである。この先の生活費を考えると、あまりこの優雅な休息を味わっている暇は無さそうだ。
久しぶりに休めるかと思ったのに、とラジは思うが、しかし迷宮探索、攻略が心躍る事象であることもまた事実の為、その憂いが長続きすることは無かった。
そうだ、とラジは少女を見る。
「名前は?」
そう、名前を聞いていないのだ。
購入してしまった今、この少女がラジの元にいることを選択している以上、放り出すわけにもいかない。それはつまり、長い期間この少女と行動を共にすることになるということだ。
名前を知らなければ、不便なのだ。
少女はちらりとラジを見て、囁くように言う。
「メリル」
言ってすぐラジから目を逸らすメリル。
嫌われているのではないか、と思考するが、ルベルから助け出したのだ、流石にそれは有り得ないだろう。とラジはその推測を自身で否定する。
「じゃあメリル。僕はギルドにクエストを受注しに行くから、帰ってくるまでここで待っていて」
生活する上で、お金というものは大きなウエイトを占めてくる。ラジが働かなければ、生きていくことは出来ない。
「私も、行きます」
「ギルドに? 冒険者だらけで面白いものなんてないよ? ついてくるなら止めはしないけど」
「違います。私も、迷宮に行きます」
「……え?」
困惑した。
そもそも、メリルがギルドについてくるメリットなどないのだ。奴隷だというだけで嫌悪感を抱く冒険者も、奇異の目を向けてくる冒険者だっているだろう。そんなところに、態々赴く必要はないのである。
ギルドでさえそれなのだから、一人間であるメリルが迷宮についてくるなど、有り得ない。少なくともラジの中ではそうだった。
下位迷宮ならまだしも、ここは上位区画であり、上位迷宮探索のクエストしか転がっていない。そんな危険な場所に、メリルを連れていくつもりはなかった。
しかしメリルの意思は固く、家を出ようと立ち上がったラジの服の裾をしっかりと掴んでいる。
ひとつ溜息を吐いてから、ラジは諦めたように笑って、
(流石に、フェリアさんから迷宮の恐ろしさを教えてもらえればついてこない、か)
と、メリルの説得をギルド職員であるフェリアに丸投げすることにしたのだった。
○
「それで、この子を連れてきたってわけね……」
「……。はい」
トルトが一枚噛んでいる上位区画に新たに設立されたギルド内にラジはいた。対面しているのはフェリアである。
余談ではあるが、新興ギルドにしては人が多い。これもトルトの手腕なのだろうとラジは片隅で思っていた。
ずいぃっと顔をラジに近づけて、フェリアは言う。
「ラジくんが、奴隷ねえ……。そういうの、好きではなさそうだけれど」
「色々あって……」
「また色々ではぐらかしてる。あんまり危険なことはしないでよ?」
「はい。分かってます」
危険なことをしているのではなく、向こう側から危険なことが押し寄せてきているだけなのだが、しかしそれをフェリアに話しても呆れられるだけだろう。そう判断してラジは口を閉じた。
メリルは表情を変えない。心はある筈なのに、それが感じられない。
いつも同じ顔だ。その端正な顔立ちも相まって、まるで精巧な人形のように見える時さえある。
「……というかそもそも、奴隷って上位迷宮に入れるんですか? 僕らが上位迷宮に入るには、カードが必要じゃないですか」
自分の口から奴隷という単語を発してしまっている。ラジは自己嫌悪に陥るが、詳細を問う為ならば仕方がないと割り切った。過去のラジであれば聞いていなかっただろうが、様々な危険を知ったというその経験が、良くも悪くもラジを変えていた。上位区画に染まっているとも言える。
ラジの疑問は尤もである。
その強さを保障された冒険者だけが、上位迷宮に足を踏み入れることが出来るのだ。
言っては悪いが、メリルが上位迷宮に耐えうる人材だとは思えない。だからこそラジは一人で迷宮探索に赴こうとしていたのだ。……たとえ戦力になったとしても、危険なところにこんな幼気な少女を連れていくつもりは毛頭なかったが。
フェリアは説明しづらそうに、否、したくないを全身に滲ませるが、ラジの疑問を解消できるのであれば、と仕方なく口を開く。
「言い方は物凄く悪いけれど、奴隷は迷宮内で物として扱われるの。魔法袋を上位迷宮に持っていく時にカードが必要ないように、奴隷を連れていく……持っていく時も許可は必要ないわ」
「……そうなんですか」
「言っておくけど、これは私の考えじゃないからね。上位迷宮にその子を連れていくのは、あまり勧められないわね」
フェリアはちらりとメリルを見る。
「分かってます。フェリアさんがそういうのを嫌っていることくらい」
分かりやすく内に怒気を秘めたフェリアの説明を聞き終わったラジは、どっと押し寄せる不快な波を避けるようにして溜息を吐く。
奴隷は、物。
単純が故に、不快だ。
フェリアが決めたことではないということくらい分かってはいるが、その説明を受けている時のラジの表情は憤りで満ち満ちていた。
ラジは連れてきた、――ついてきたメリルに視線を移し、優しく、語りかけるように告げる。
「ね? 聞いてたでしょう、今の話。上位迷宮は危ないところだし、それに迷宮内でメリルは物扱いだ。僕はそんなこと思わないけど、迷宮に来ている他の冒険者に手を出されてしまうかもしれない。だからやめておいた方が良いと思うよ」
しかしメリルは首を横に振って、
「ついていきます。ついていかなくちゃ、いけないんです」
とだけ、強い決意を語気に滲ませて告げた。
何故そうまでして自分についてこようとするのか、ラジには理解できなかった。
そんなラジを見て、メリルは微かな声音を持って呟く。
「……助けてもらった、から。迷宮で、恩を返したいから、です。助けてもらったことを、忘れたくないから」
ラジはどうすればいいか分からずに、人差し指を曲げて頬を掻く。
メリルの気持ちは嬉しいが、しかし迷宮においてこの少女はただの足手纏いだ。ついてくるのであれば、勿論守るつもりではいるが、それも確実ではない。何度も言うようだが、迷宮には万が一があるのだ。
それにラジはメリルを助けたつもりはない。当たり前のことをしただけなのだから。
諦観を多大に含む溜息の後、ラジは軽く笑いながら、
「わかったよ」
と呟いたのだった。
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