第40話 その後ろ側で

 痛覚が声高に痛みを主張しているが、敢えてそれを聞かないように、聞こえない振りをして、ルベルはラジを睨み付ける。


 ルベルは後悔していた。

 また、販促方法を間違えたらしい。


 奴隷を気に掛ける程の心優しい少年が、ここまで簡単に刃を向けてくるとは思っていなかった。

 それにルベルはあの目を知っている。あれは、人を殺したことのある目である。


 成人もしていないだろう少年に、人殺しの経験がある。ルベルは恐怖で顔が歪む。敵に回してはいけない人間であったと、果てしない後悔を抱える。

 躊躇なく攻撃したことから分かるように、ラジはそれを躊躇ってはいない。


 本当に、五万リル分、ルベルを貰うつもりでいるのだ。


 それはつまり、ルベルの半分が機能しなくなるということでもある。それに気が付いたルベルは、慌てて言葉を紡ぐ。


「私も奴隷商なんです。こんなこと、好きでしているわけではない」


 嘘である。ルベルもこんな場所で身体の半分を失いたくはない。だから、情に訴えかけた。好きでしているわけではないと。生活が懸かっている為、仕方なくしていることなのだと。


 しかしラジは嘘を見抜く。


「こと商談において、金銭が絡む場合の戯言は御法度なんでしょう? ということは、今までの行為は全て冗談ではないということじゃないか」

「……冗談は不得意でも、皮肉は得意なようだ」


 窮地に追いやられたルベルは、しかし笑っていた。

 まるで、勝ちは揺るがないとでも言いたげに、歪な笑みをその表情に張り付けていた。


 不気味な笑みに当てられたラジは、少し後退する。油断してはいけない。それは上位区画に来てから学んだことの一つでもある。


 ルベルは大きく息を吸い込み、叫んだ。


「デザイナーヒューマン達よ、ラジ・リルルクを――」

「……っ!」


 ラジは今からルベルが彼らに何を命令するかをいち早く読み取り、言葉の続きを紡がせない為に、最速で指先からルベルに向けて炎を走らせる。


 しかし、遅かった。数秒の遅れが、ラジの足元を掬った。


「――殺せッ!」


 人間兵器(デザイナーヒューマン)達は心を持たない。

 だからこそ、主の命令には忠実に動くのだ。そして、現時点においてその主とは、ルベル・オートルその人である。


 総勢十二人の人間兵器達がラジを殺さんと殺意を剥き出しにする。13番と呼ばれた青髪の少女だけは、それをじっと眺めていた。人間であるという証左だ。心まで、無くしてはいない。


 彼らの放った魔法がラジに接近する。慌てて防壁を出すが、十二人合計での攻撃の負荷に耐えきれずに、防壁には僅かなひびが入る。

 このままでは、破壊されるのも時間の問題だ。


 決して油断しているわけではない。人間兵器達の、不正に弄られたステータスが、ラジを攻め、その生を奪い取らんと暴れ回っている。

 ラジは知る由もないが、彼らのステータスは上位区画冒険者のそれなのだ。当然と言えば当然でもある。上位迷宮に出現するモンスターようの兵器なのだから。彼らのステータスは、それに耐えきれる程まで上昇させられている。

 その対価に、力を得る為の料金として、彼らは心を奪われているのだ。


 人間兵器といえども、姿形は人間そのものだ。

 だから、殺せない。


 ルベルもそれを分かって命令していた。

 流石に人間兵器といえど、上位区画トップレベルの力を持つラジには勝てない。しかし、ラジが攻撃をしないのであれば話は別だ。


 一方的に叩ける。一つ一つのダメージは軽微であろうと、それが積み重なれば必ずラジは死ぬだろう。一人の力はラジの下だろうと、人数を集めればラジを超えることが出来る。

 それに、ラジは防壁を維持する為に魔力も消費しているのだ。魔力枯渇を待てば良いだけの話なのである。


 だからこそ、右足を失っても尚、ルベルは笑っていたのだ。

 絶対的有利はこちら側にあると確信していたから。


 しかし、その確信が、油断が、慢心が、身を亡ぼす。


 ラジはギルドから得た報酬から百五十万リル程を抜き取り、ルベルに投げる。

 紙幣はルベルの周りに四方八方に散らかり、その端正過ぎる顔立ちと相まって、今のルベルは悪趣味な成金のように見えた。ルベルは自身の近くに散らばったそれらを拾い上げる。


 未だ攻撃を続けている兵器達を尻目に、ラジは鈴の音のような凛とした声で告げる。


「買う。今からこの兵器達の主は僕だ」

 ルベルを睨んでいた瞳を、体制を変えないまま眼球だけ器用に動かし、視線の先を人間兵器達に変更する。


「……攻撃をやめて、これからは好きに生きていい。それが僕からの命令だ」

「い、一方的な契約は……!」


 認められない。そう言い終わる前に、デザイナーヒューマン達は攻撃をやめていた。

 ルベルの思惑とは裏腹なそれに、驚く。


 ルベルは金銭を受け取ってしまっているのだ。その意思がなかったとはいえ、ラジから投げられたそれらを手に取ってしまっている。


 人間兵器は、心を持たない。

 だからこそ、契約には忠実だ。


 好きに生きろ、というラジの言葉に従って、彼らは好きに動き出す。

 ――ルベルに向かって、魔法を放つ。


「ど、どうしてだ! お前らには心はない筈! どうして私を攻撃する……!?」


 理由は簡単である。

 人間兵器は心を持たない。それは正しい。


 しかしだからこそ、主の命令には従う。知能がないわけではないのだ。主(ラジ)に害をなすであろう人間を、みすみす見逃す筈がない。

 主に仇成す者の排除は、奴隷の役目だ。


 ルベルはその構造に気付くが既に遅い。

 全身が炎に包まれている。ラジがやめろと一声かければやめるのであろうが、ギドラのこともある。ここで見逃して、後から的外れな復讐心を抱かれても困るのだ。


 ルベルのことは先程購入したデザイナーヒューマンに丸投げする。生かすも殺すも、好きにすればいい。ラジが命令したのは、そういうことだ。


 ラジはそのまま人工迷宮を後にしようとしたが、一つのことを思い出した。


(そういえば、人間の女の子がいたような……)


 デザイナーヒューマン程の力があれば、この先一人でも生きていけるだろうが、しかしあの少女は人間である。

 ラジがここで少女を見捨てれば、未来は潰えるのだ。一人で生きていくだけの力もないであろうその少女を想って、ラジは足の向きを変えて少女に近寄り、手を差し伸べる。


「行こう」


 少女は差し出された手を見て、首を横に振った。


「行けません」

「どうして? なにか理由でもあるの?」

「私が、奴隷だから。まだ、ルベル様に、飼われている身、だから」


 ここまで少女を縛り付けていたルベルに、恨みにも似た諦観を抱く。

 十万リルを無造作に掴んで、ルベルの方へと放り、少女を見つめる。


「これで買ったことになる。行こう」

「……一方的な契約は」

「そんなことどうだっていい。契約は結んだ。だから行こう」


 有無を言わせないその態度を見て、少女はこくりと小さく首肯した。

 手を引くようにして、迷宮を抜け出す。


 モンスターが出ない迷宮でよかった。ラジは強いが、誰かを守りながら戦ったことはないのだ。

 その安心を心に秘めながら、ラジは人工迷宮を逆に進む。


 その後ろ姿を見て、少女は小さく呟いた。


「……ありがとう、それと、」


 ごめんなさい。


 そう少女は言ったのだが、ラジの耳にそれが届くことは無かった。

 悲しげな表情を携えた番号の少女が、背中の後ろで俯いているのを、ラジは知らない。

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