第16話 不運
勿論店内は無事である。というよりも、ラジが防壁を張っていたお陰で店に傷は無かった。
それに気が付いたトルトが、あんぐりと口を大きく開いて、カウンターを飛び越えるようにしてラジに詰め寄る。
「ほ、本当に大丈夫なのか!? あれだけの攻撃を喰らって尚、お前は防壁まで出したと!? あり得るのか、そんなこと!」
「あり得てるのであり得ます」
「それは分かってる! 分かってるんだが! 理解が追い付かない! これは夢か!?」
冷静なラジと慌てふためくトルトの対比は、傍から見ていれば確かに面白いのだろう。しかし二人は当事者である。
トルトはひとしきり騒いだ後、ラジの隣の椅子に腰かける。
落ち着いたトルトを見て、ラジは本題に入った。
「これで譲ってくれます?」
「……譲らないなんて言えるわけがないだろう」
トルトは頭を掻きむしり、未使用のグラスを二つ、机に投げるように無造作に取り出す。そこにラム酒を注ぎ込み、左手で押すようにして片方をラジに渡した。
「お酒、得意じゃないんですけど」
「お気に入りの奴にお気に入りの酒を振舞うだけだ。金は取らない。魔法袋もやる。座ってくれ」
アルコールは苦手だったがトルトの厚意を無下にするわけにもいかず、ラジはトルトの隣に腰かけて、渡されたグラスに口を付ける。
睡眠薬などの混入を疑うべきだったか、と飲んでから思ったが、トルトがそんなことをするわけがないと考えを改めた。
案の定酒は不味かった。いつもの癖でステータスを確認してしまうが、勿論獲得スキルポイントは0である。自分で自分の行動に苦笑してしまった。
トルトは隣にいるラジに近づく。急接近するトルトにたじろいでしまうが、悪酔いの末の行動でないことは目を見て理解した為、ラジは出そうとしていた軽口をラム酒と一緒にして飲み干した。
「ラジ、お前が強いことは分かった。そこでお願いがある。これは交渉の内に入らない、ただの個人的なお願いだ」
「なんですか?」
ラジは半分ほどになったラム酒入りのグラスを丁寧に置いて、身体をトルトに向ける。
「ラジはきっと近い将来、上位冒険者になるだろう」
「あ、ありがとうございます」
思いのほか高い自分への評価に驚く。これまでははじまりのラジという蔑称だけが纏わりついていた為、ラジはその称賛が心から嬉しかった。
お世辞であるとラジは思っているが、これはトルトの本心である。互いの齟齬の隙間が埋まることはないが、しかし会話はぬるりと噛み合う。
「上位冒険者になっても、この店を贔屓にしてほしいんだ。酒屋としてではなく、ギルドとして」
「それは勿論、はじめからそのつもりでしたけど」
「そうなのか? それは嬉しいな」
表に出さないように努めてはいたが、トルトは内心飛び跳ねたくなる程に喜んでいた。
ギルドというものは、信頼の上に成り立っていると言っていい。様々なクエストを冒険者に依頼できるのも、そのクエストを出した人間からの信頼がある為であるし、そのクエストを受注する冒険者もまた、ギルドというものを信頼している。そして勿論言うまでもないが、ギルドも冒険者と依頼人を信頼している。
三者が寄りかかるようにして成り立っているのだ。
そして他の冒険者からの信用を勝ち取る為には、冒険者が必要なのである。それも、とびきり強い冒険者が。
強い冒険者が在籍しているギルドと銘打つだけで、そのギルドに人は殺到する。流石に国から認められて営業しているような大手ギルドにこそ敵わないが、しかし同じ土俵に立てる。
――トトリカから、成り上がることができる。
トルトにとってラジは、どこからともなく現れた最強の人間であり、そして願ってもないチャンスなのである。ラジ自体の幸運ステータスは、周りには関係しないらしい。
ラジを気に入ったのは確かだが、それだけで魔法袋を譲る気はない。ラジの持つその強さに、トルトは先行投資しているのである。
ラジという大きく太いパイプを掴んでおいて損はない。
損得勘定で動くような人間ではないが、殊更経営に至っては話は別だ。
トルトは、大志を抱いているのだから。
そんなことを考えている時、店の扉が開く。
入ってきたのは、みすぼらしい服を身に纏った男二人だった。
年齢はラジよりも少し上だろうか。
トルトは、交渉用の表情から客人用のそれに張り替え、接客を行う。
「いらっしゃいませ」
しかしそんなトルトの声が届いているのかいないのか、男達は何も言わないまま、ただ真っ直ぐにラジとトルトの方へ向かう。
ラジは彼らを訝しんだが、トルトがなにも言っていないということは、トトリカではよくあることなのだろう、と結論付けておく。
男二人はラジを取り囲むように座った後、そのままの流れでラジの頭を乱暴に掴んで机に叩きつけた。
どうやら彼らも冒険者の端くれであるようで、その威力はなかなかのものだった。机が真っ二つに割れる。
「っ!?」
トルトは驚きで声を無くしていた。
いくらトトリカだからといえ、こういった人間に襲われたことなど今まで一度もなかったからである。
トルトは知る由もないが、それは当然と言える。今この状況に陥っている原因は、ラジの幸運の低さに依存している。
レベルが上がって真っ先に成長するのは幸運なのだが、レベルが上がったことのないラジにはそんな情報など入ってこない。だから幸運を軽視し過ぎていた。
ラジがトラブルに巻き込まれやすいのは、なにも最弱であると知れ渡っているという理由だけではないのだ。幸運が、著しく低すぎる。しかし、それを指摘する人間は周りにはいなかった。
ラジは机に埋まった頭を強引に持ち上げて、男達を確認する。
何一つ傷を負っていないラジを見て、男二人は少したじろぐが、しかし敵愾心は薄れない。
男は自らを鼓舞するように、「久々の上物なんだ、絶対に逃がすかよ」と呟いた。
そんな彼らを見て、ラジは冷静に問う。
「なにが目的ですか」
「言う義理もねえよ」
「そうですか。……トルトさん、この人達と知り合いですか?」
一応トルトに確認を取る。もしかすると、彼らがトルトの知り合いの可能性もあるからである。限りなく薄い線ではあるが、もしそうであった場合、ラジはその知り合いに危害を加えることになる。
トルトはラジのその問いに、首を横に振ることによって答えを返す。
ラジはそれを見た瞬間、使用可能な魔法を確認する。
――丁度良い。ここで試し撃ちをさせてもらおうか。
今まで魔法というものと縁遠かった為、ラジはそれを詳しく知らないのである。この不運を、魔法の確認用の場に脳内で作り替える。こう考えてみると、僕っていう程不運ではないのかもしれないな、と苦しい言い訳じみた考えを身に纏った。
「ファイアウォール」
ラジが唱えたのは、文字通り、炎の壁を作り出す魔法である。
男二人は、ラジの詠唱を聞いて一瞬身体を震わせるが、しかし笑う。
「驚かせるなよ。お前、よく見ればはじまりのラジじゃねえか」
「本当だ、良く気付いたね。はじまりのラジが炎障壁(ファイアウォール)なんて撃てるわけがない。はったりだ」
二人の台詞を聞いたラジは、不満気な表情で「僕の噂、どこまで広がってるんだ……」と独り言ちた。
ラジは両手を大きく広げ、それを二人に向ける。トルトにそれが当たってしまわないように気を付けながら。
どんどんと肥大化する炎を目の当たりにした二人の額から、大きな冷や汗が零れ落ちる。
「おい、聞いてないぞこんなの……」
「そりゃあそうでしょう、」
空白。
「言ってないんですから」
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