第54話 次の迷宮

 声が漏れそうになる程驚愕した。

 それはメリルも同じなようで、物静かな筈のメリルがトルトを見据えて言う。


「本当ですか? 売却させる為の嘘ではないんですよね?」


 メリルのその懸念通り、ラジは迷宮武器の性能が芳しくないのであれば、それを売却してしまおうと思っていた。売って得た金銭で他の武器を購入した方がよいのではないか、という思いが、根底にある。


 しかしトルトは首を横に振り、違う、とだけ呟く。


 ということは、本当にその迷宮武器は使い物にならないということだ。

 メリルはまだ疑っているが、このトルトというギルド経営者はラジと旧知の仲であるということから、ラジに損をさせるような嘘はつかないだろうと判断し、取り敢えずの理解を噛み締める。


「でも、迷宮武器ですよ?」


 やはりメリルは問う。

 迷宮武器というのは、その出現自体が稀である為、その性能は計り知れない。というのが定説なのだ。そして他の迷宮武器はその例に漏れず強力である。


 自分達が運よく拾ったこれだけが、その例外だとでもいうのなら、私達はどれ程まで運が悪いんだ。と憤るようにして思った。


 トルトはその小さな口をゆっくりと開き、その性能について語る。


「いや、違う。厳密に言えば、生命線としては使い物にならない。不意打ちの一撃必殺であれば、この短剣は世界一強力だ」


 とんとん、と短剣の柄でリズムよく机を叩きながら、トルトはそう言う。


 ラジはその意味が理解できず、深くまで踏み込んだ説明を促した。


 メリルもトルトの発言を待つようにして黙っている。

 それを見て、トルトは短剣を宙にくるくると回転を交えつつ投げて、丁度落ちてきたタイミングでそれを器用に掴みとり、ふぅ、と一つ溜息を吐いて続けた。


「これ、使用回数の限度が、一回だ。つまりこの迷宮武器は、一度使用すればその瞬間壊れて使い物にならなくなる。そして付け加えると、その一回だけはどんな防壁魔法も、どんな防御ステータスも関係ない。相手の防御を無視して攻撃を叩き込める、一回に限れば最強の武器だ」


 ラジもメリルも、トルトのその説明を聞いてやっと意味が分かる。

 なるほど、という言葉を脳内に充満させ、ラジは短剣を見て、言う。


「確かに一回で壊れちゃうんじゃ、少し頼りないですね」


 それでも売却するつもりはなかった。

 ギルドに貢献したくないだとか、そういう理由では勿論無い。


 トルトは使い物にならないと言っていたが、しかしそれはそれをメイン武器に据えるのであれば、の話である。不意打ちの一撃必殺であれば、最高峰の武器であることは説明からして間違いない。

 それなら、所持したままでも問題はない。


 生命線として活用できないのも確かに分かる。その一回だけの攻撃では、モンスターが死なない可能性もある。上手く急所に叩きこめば結果は分からないが、しかし二体目、三体目、と次々に出現した時点で死亡が確定してしまう。そんな泡沫のような武器。流石にそれを最後の頼みの綱として使用するのは、馬鹿のすることだ。


 しかし態々それを手放すのが最適解であるとも、また言い難いのだ。

 それならば、所持していたままでも問題はない。幸い、短剣という形状の為、持ち運びに不便を感じることはないのだ。


 次に潜った迷宮で、また迷宮武器を手に入れることが出来たのであれば、その時にこれを売却すればいい。


 それにラジは知っていた。

 装備している品で、人からの評価は変わる、と。


 良い物を身に着けていれば、冒険者としての実力もあるのだろう、と判断される。逆もまた然りだ。

 だから今は、全てのメリットデメリットを考えて、これを手放すつもりはなかった。


 上位区画で生活している今、あの時のように恰好だけで判断されるようなことがあるとは思えないが、しかし持っていないよりは持っている方が良いのは確かなのだから。


「どうする? 売ってくれるなら高値を出そう。投資だ」

「いえ。売りません。それにこれは僕がはじめてメリルにあげた贈り物でもあるので。大切にしたいです」


 何気なく言った一言なのだが、それを聞いたメリルは恥ずかし気に顔を下に向ける。

 ラジのその何気ない言葉が、その優しさが、奴隷であるメリルには新鮮だったからだ。


 トルトはそのラジの言葉を聞いて、半眼に閉じた目になり、呆れるように告げた。


「……ここにいるのがフェリアでなくて良かったな」

「えっ? 僕なにかフェリアさんに悪いこと言ってましたか?」

「自覚がないのが尚悪い」


 ラジは自らの発言を振り返ったが、それでもトルトの言っている意味は理解できなかった為、気持ちの先を今後の迷宮探索に切り替えた。


(自分一人なら上位迷宮のクエスト色々受けるんだけど、メリルがいるし、勝手に決めるわけにもいかないよね)


 そう思ったラジは、隣で未だ俯いたままのメリルを確認し、言葉を投げかける。


「これからどうする? メリルの意見も聞いておきたいんだけど」


 メリルはゆっくりと顔を上げて、しかし恥ずかしくなる為、極力ラジと目を合わせないようにしながら呟く。


「ラジ様に合わせます。と言いたいところですが、ラジ様のあの話を確認してみたいという気持ちもあります」


 メリルの言うあの話とは、魔物喰いの話だろう。

 トルトには話してもいいと思っているが、しかしここでまた一から説明するのは少々骨が折れる作業でもある為、今はメリルの気遣いに乗っかっておくことに決めた。


 それなら、とラジは受ける迷宮探索の依頼を決めた。

 ギルド内に存在するクエストボードなる板から、目的の依頼を引き剥がし、トルトに突きつけるようにして手渡し、笑う。


 トルトはそれを確認した後、理解が出来ない、とでも言いたげにラジとその依頼を交互に見つめ、呟いた。


「今更、はじまりの迷宮……?」

「はい。今回はそれで」


 魔物喰いをするのに、あれ程適している環境はない。

 それに、少しだけ下位区画の懐かしさを堪能したい気分でもあったから。


 トルトはそれを聞いて、分かりやすく目を細める。


「なんの為に? まさか下位区画に戻ろうっていうんじゃないだろうな? 休めとは言ったが、やり直せとは言ってないぞ」


 トルトの疑問は当たり前だ。

 上位区画まで到達した人間が下位区画に行く時は、大抵が自身を見つめ直し、一からやり直そうとしている。

 以前ヨルトに模擬戦を申し込み、立ち直れなくなるまで実力の差を見せつけられた冒険者がいた。彼はやはり下位区画に戻り、一から冒険者といいうものをやり直している。


 トルトはラジがそれになったのではないだろうか、という懸念にも似たなにかを持っていた。


 勿論内情は全く異なるのだが、しかしトルトがそれを知ることはない。

 魔物喰いを知らない人間だからこそ来る、不安と焦燥だ。なにせこのギルドが大きくなったのには、ラジという冒険者が在籍している、ということも大きく関わっているのだから。


 ラジは安心させるように言う。


「いえ、僕は迷宮攻略が好きなので。下位区画に戻って一から、なんてしませんよ。上位迷宮に入れなくなるの、嫌ですし」


 その言葉を聞いて、一先ずは安心する。

 上位区画が嫌になったわけではないようだ。


 トルトは少しの手続きの後、はじまりの迷宮探索許可証をラジに手渡す。

 久しぶりに見るそれに、ラジの心は躍った。


 全てはここから始まったのだ。


 懐かしさや嬉しさ、今の自分の境遇など、全ての感情が綯交ぜになった息を吐いてから、メリルの手を取り、


「じゃ、行こうか」


 と呟いた。


 下位区画に赴くラジの後ろ姿を見ながら、トルトは一人、ラジが今更はじまりの迷宮に赴いた理由を探していたが、しかし納得のできる答えが浮かぶ筈もなく、やがて業務へと戻るのだった。

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