第53話 性能
快晴。
といっても今はギルド内にいるし、この後も迷宮に赴くつもりでいるのであまり空の機嫌はラジ達に関係ないのだが。
ラジは机を隔てた向こう側にいるトルトを見る。
「おはようございます」
「三日後とは言ったが、まさか本当に三日後すぐに来るとはな……。もっと休んでも良いんだぞ?」
「いえ。大丈夫です。冒険者は迷宮探索が仕事なので」
金の為に冒険者をしている人間は数多く存在するが、ラジのように迷宮探索そのものが好きで冒険者をしている人間は少ない。
トルトもそれを感じて、将来大きくなるであろうラジと仲良くしておこうと思っていたのだが、あまりの攻略ペースに心配の方が勝ってしまう。
それにラジは今一人で行動をしていないのだ。メリルの負担も考えたらどうだ、と言いたくなるが、一ギルド経営者がそこまで冒険者に突っ込んで意見を言っていいものなのだろうか、という思いから、その言葉は意識して出さないようにしていた。
それにラジのことだ。奴隷とは言っても、まさか本当に奴隷としての扱いをしているわけではない筈だ。そんなことをしているのであれば、あの善の塊のようなフェリアが、ラジに傾倒することはないだろう。
だからその点については心配してはいない。しかしラジは常識というものが著しく乏しい。知らず知らずの内に負担をかけている可能性は否めない。
トルトは机の下から加工済のマジックバッグ――つまりは魔法袋としての形となったそれを出し、無造作に机に置く。
しっかりと二つ分だ。当然、ラジとメリルの分。
ラジはそれを確認し、手短に感謝を告げてから問う。
「加工代は?」
「私とラジの仲だ。無料で、と言ってやりたい気分でもあるが、しっかりと貰うぞ。二つで三十万リル」
「はじめから払うつもりですって」
不貞腐れた顔を浮かべながらラジは呟いて、衣嚢から三十万リルを取り出す。
思いのほか安く済んで、頬を緩めた。
なにせメリルに衣服を買ったせいで、所持金が心許ないのである。勿論、下位区画で生活していた時に比べれば、比べるのも馬鹿らしくなってしまうくらいの蓄えはある。
ただ、ここは上位区画なのだ。
下位区画と比べて、物価が異常なまでに高い。下では安い値段で購入できるようなものも、ここではその倍以上の金が必要になる。
たとえば、食事などだ。
しかしその代わり栄養価も高く、なにより美味しい。そしてその金を使って、その他の設備や武器の種類などを賑やかにしているのだ。だからあながち不当に金を取られているというわけでもない。
それならば下位区画に一度いって、目当てのものを購入してから戻ってくればいい。と思う人間もいるだろう。フェリアなどがそうだ。金にあまり興味がないラジなどと違って、フェリアはそれを大切に使用している。
それでも下位区画にいかないのには、理由がある。
一に、距離がある。冒険者ならば簡単に飛び越えていけるようなそれでも、一般人であるフェリアにはそれは難しい。
そして二に、これが一番の理由でもあるが、一度上位区画で売っている品物や食を経験してしまうと、下位区画の類似品では物足りなくなるのだ。一度甘い蜜を吸ってしまえば、人はそれから逃れられなくなる。
尤も、売っているのは良質な品ばかりであり、健康にもなるし生活が豊かになるので間違っているとは言えないが。
余談だが、一度上位区画にあがった人間がもう一度下位区画に戻ると、あまりの生活環境の劣悪さに精神が壊れてしまうらしい。まことしやかに囁かれているだけの噂話なので、その真偽は定かではないが。
トルトはラジから受け取った三十万リルを確認し、交換するようにして魔法袋を差し出す。
それを受け取ったラジは、ひとつをメリルに渡す。
「はい、どうぞ」
「こういったやり取りはもう数え切れない程繰り返していますが、本当に宜しいんでしょうか……」
「いいよ、気にしないで」
渋るメリルに押し付けるようにしてそれを渡す。
そもそも受け取ってもらえなければ、十五万リルが無駄になるのだ。受け取ってくれた方がラジは有難かった。
トルトは二人のそんなやり取りを見て安心する。
やはり奴隷としては使っていないみたいだ。と分かり切っていた答え合わせをした。
その流れのまま、トルトはメリルを観察する。ラジは基本迷宮以外に興味がないが、しかしかといって人間にも興味がないわけではない。
嫌いな人間とは距離を置くし、好きな人間とは積極的に関わる。人間として、当たり前のこと。
しかしラジはこれまで一人で迷宮を攻略してきた筈だ。そんな人間が、隣に置いていても良い、そう判断するくらいの少女のことが、トルトは気になっていた。
観察していると気取られないように、トルトは上から下までをちらりと確認する。
そこで目に入ったのは、腰に差さっているひとつの短剣だ。銀の刃が光に反射してきらりと怪し気に光っている。
「ラジ、その子の腰に差さっている短剣。もしかして迷宮武器か?」
「よく分かりましたね。そうです、迷宮でたまたま見つけたので」
迷宮武器。
その存在についてはトルトも知っていたが、長らくトトリカで生活していた彼女にとって、その実物を見るのは初めてのことだった。
途端にギルド経営者の顔に様変わりして、その武器を睨む。
「売ってくれ」
「嫌です」
即答した。
しかしトルトとしても引き下がるわけにはいかない。
売っている武器の棚に迷宮武器がひとつあるだけでも、ギルドの評価は変わるのだ。
それを迷宮から持ってこれるだけの力を持っている冒険者が在籍していて、そして尚それを簡単に手放しても構わないと思っている。そういう規格外な人間を抱えている、というだけで評価は上がる。
端的に言えば、ギルドとしての格が一段階上昇する。信用に直結するのだ。
勿論強制的に、とは言わないが、しかしそれでもその武器が欲しいのは確かである。
「大丈夫だ。客寄せに飾るだけだ。それを売るつもりはない」
「嫌ですよ。二つ持ってるとかならまだしも。それにあれはメリルの物なので、メリルに交渉してください」
トルトは体の向きをメリルに変更する。
「売ってほしい」
「ラジ様の許可がないと、売れないです」
そうだよな。と当たり前のことをトルトは思う。
迷宮武器という装備を、おいそれと奴隷の一存で手放せるわけがない。
ラジは先手を打つように伝えた。
「いくら積まれても売るつもりはないですよ。一応、僕が迷宮で動けなくなった時の為の、いわば最後の生命線なので」
「……そんなに強力な武器なのか?」
いわばラジの代わりを担える程の武器である。ということになる。
確かにそこまでの強力な武器であれば、トルトも売ってくれなどとは言えない。
しかしラジは硬直した。
メリルも、ではあるが、迷宮武器がレアな魔道具であることは知っていても、この短剣がどういった性能なのかは把握していないからだ。
そんなラジの態度を見て、トルトは頭を抱えたくなる。
何故先にそれを調べないんだ。と叱責したくなる気持ちに駆られるが、しかしラジにその常識は通用しないということも知っている。
その為、なにかを言うことはなかった。
しかし、ギルド経営者として、元冒険者として、その迷宮武器の性能は気になるところだ。
既に売ってくれなどというつもりはないが、ここは上位区画のギルド内であり武器の性能を確かめる為の環境も整っている。
トルトがその疑問を解消せずに、日常に戻ることはない。
迷宮武器を見ながら、口を開く。
「性能を確かめてもいいか?」
ラジは少しの間逡巡し、「それくらいなら、というか、お願いしたいです」と告げた。
メリルは腰から短剣を抜いて、刃を向けないようにしてトルトに手渡す。
手渡されたそれを見ながら、トルトはゆっくりと這うようにして瞳を働かせ、凝視する。
ラジとしても、ここで迷宮武器の性能が確かめられるのは大きい。万が一の時に、運に賭けるにはラジの幸運は低すぎる。
性能を予め知っておけば、それ専用の作戦も立てることが出来る。その為、トルトのこの申し出は有難かった。
それを黙ってみているトルトの横で、ラジは言う。
「金銭的な余裕はないので、精査代とかは払えないですよ」
「大丈夫だ。これは私の純粋な興味だからな」
トルトはラジの方を見ないままに答えた。
それを聞いて安心する。
三日間の休息を得てしまっている現状、ラジは迷宮探索を行うことによって得られる報酬がないのだ。あまり多くは使えない為、トルトの言葉は一種の救済にさえ感じた。
性能の確認が終わったのか、トルトはそれから目を離し、ラジの瞳を見据え、言う。
「使い物にならないな、これは」
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