第2話 ステータス

 純粋な恐怖がラジを襲っていた。

 はじまりの迷宮に来るのは、これで何回目だろうか。それが分からなくなる程、ラジはこの迷宮に潜っている。

 いくらラジが弱いとはいえども、慣れは訪れるのだ。だから、恐怖など感じるわけがない、ラジはそう思っていた。その慣れに足元を掬われるなど、思ってもいなかった。


「やばい……、帰れない」


 フェリアにあんなことを言われた直後だというのに、ラジは迷宮から抜け出せなくなっていた。

 無理をしたわけではない、無茶をしたわけではない。

 ラジは怠ったのだ、事前準備を。


 勿論武器は所持している。レベル1の収入では防具は買えなかったが、それはどの冒険者でも同じこと、憂いとして数えるのは間違っている。


 ラジは、携帯食料を持ってきていないのである。

 はじまりの迷宮に潜むモンスター、ブルースライムを、今度こそはという気持ちで狩り続けていたラジ。フェリアの期待に応えようと、彼女に強くなった姿を見せようと、普段なら潜らない筈の最深層まで足を踏み入れてしまっていた。


 当然、見たことのないモンスターも出現する。最深層なのだから、この迷宮を護っている上位モンスターも、存在する。幸い、まだそれには遭遇していないが、それも時間の問題であると言っていい。


 それに加えて、ラジは既に三日三晩なにも口にしていなかった。ラジ自身は気が付いていないだろうが、彼の身体は既に悲鳴を上げている。

 時間の感覚はなかった。ラジはいつも通りに、いつも通りの探索を続けているつもりだった。しかし、行き際でのフェリアの激励が、彼を突き動かしてしまった。限界を超えて、許容範囲を突き破って。


 レベル1でも踏破できるような迷宮ではあるが、それはパーティを組んでの踏破を前提としている。ラジは一人で、持っている武器だって果物ナイフである。この状況では、ブルースライムでさえ討伐不可能だろう。


 ラジは霞んでいく視界を、無理矢理押し広げつつ、右手に持った果物ナイフを強く握る。

 意識は既に無いと言ってもいい。彼を突き動かすは、尋常ならざる程の執念と、そして生きようとする本能だ。


 ブルースライムがラジの前に現れる。


「こんな時に……ッ!」


 しかしそれでも、ラジはナイフの先をそれに向けた。

 生きたいと、強く願った。


 未だ簡単に討伐出来たことのないそれを目の前に、しかし全身は高揚していた。窮地に陥った人間の力だとでもいうのか、この時のラジは、他のどのレベル1よりも強かった。


 ブルースライムが、ラジに向けて突進する。

 ラジはそれを身体を半回転させることによって避け、その回転を活用したままナイフを突き刺す。


 ブルースライムは背後からの攻撃に気付かずに、その攻撃を直接食らってしまうが、しかしまだ生きている。生きてラジを睨み、小さな体に確固たる殺気を滲ませている。


「これでも死なないのか……」


 諦観や驚きが一緒になって溜息として放出される。しかしラジはまだ諦めない。一瞬の隙も与えず、ナイフを持ってスライムとの距離を詰め、刺す。

 今度こそブルースライムは息絶え、双眸は虚ろになった。


「よかった……。倒せた……」


 ラジは自身のレベルを確認するが、上昇しておらず、落胆する。

 こんな状況に陥ってもそれを気にするところが、ラジのいいところでもあり、悪いところでもあった。


 この調子ならば……。とラジは思ったが、フェリアの言っていた言葉を脳裏に表示させ、上位モンスターの討伐は控えることにした。ラジは知る由もないが、この判断は英断である。

 ブルースライムに苦戦するラジに、それは倒せない。


 死骸になったモンスターを見つめ、ラジは考える。考えてしまう。


「モンスターって、食べれるのかな……」


 極限の空腹状態に陥ってしまっているラジの目には、目の前で息絶えているそれは少し不味い食材として映っていた。


 餓死と魔物喰いを天秤にかけた結果、簡単に後者にそれは傾いた。


 ――食べよう。元はと言えばこれは携帯食料を忘れた僕のミスだ。このまま空腹で帰るよりも、少しでも力を蓄えてから帰路についたほうが良い。


 半ば無理矢理に自信を納得させ、ラジはブルースライムを摘まみ上げる。

 どろりとした青色の血液が地面に垂れ、ラジは顔を顰める。しかし、今更自身の選択を変えようなどとは思わず、ラジは若干の躊躇を抱えてそれを口に放り込んだ。

 味わいもせずに飲み込む。


「不味い、当たり前だけど、不味すぎる……。とても食べられるものじゃないや、これは」


 ごくりと音を立てて、胃袋を圧迫させる。


 美味しいと言えたものではなかったが、しかし、空腹は収まった為、ラジはこの選択を間違ったとは思っていない。

 死ぬよりも良い。美味しいものは、地上に上がってから沢山食べればいい。最悪の事態を避けれたということは、最高の選択をしたということとセットだ。

 そうやって無理矢理に自信を丸め込んで、果物ナイフを手に地上へと向かう。もうこんな無理はやめよう、と決意を持って。


 そんな時、唐突にラジの目の前に文章が表示された。



『10のスキルポイントを獲得しました。振り分けますか?』



「なんだ、これ? スキルポイント? フェリアさんが言っていたやつだよね?」


 ラジは間髪置かずに自身のレベルを確認するが、そこに映っているのは悲しい程の1だった。

 記憶を呼び起こす。


 確か、フェリアさんの話によるとスキルポイントがもらえるのはレベルが上がったときだけだったはず……。あの人が嘘をついているとも思えないし……。


 ラジは困惑した。話がおかしい。レベルは1のまま、しかしスキルポイントは得ている。

 もう一度、目の前のメッセージを読む。


「スキルポイントを獲得……。振り分けますか……? さすがにもちろん、はい、だけど……」


 するとそのメッセージは消え、変わりに自身のステータス表が表示される。ラジは驚き、「うわ!」と声を上げてしまうが、ここが迷宮であることを思い出しすぐに自分で自分の口を覆った。音に反応してモンスターが寄ってきては困る為である。


『ラジ・リルルク レベル1

 攻撃 1/999

 防御 1/999

 幸運 1/999

 魔法 1/999

 召還 1/999

 耐性 999/999   』


 ラジの名前とレベルが表示される。


「これ、この六つの内どれかに振り分けろってことか……? でもどうしていきなりスキルポイントなんて……。それに耐性だけ高すぎないか……? まあ考えてても仕方ないか、とりあえず、10全部攻撃で、と」


 すると攻撃の部分だけがじわりと朧げな光を放つ。ラジはその眩しさに目を覆うが、モンスターだけは見逃すまいと薄く目を開け、周りを確認していた。

 光が収まったとき、そこに映っていたのは先程と少し変わった自身のステータスだった。


『ラジ・リルルク レベル1

 攻撃 10/999

 防御 1/999

 幸運 1/999

 魔法 1/999

 召還 1/999

 耐性 999/999』


「あがってる。レベル上がってないのに、攻撃力だけ……。でも、実感ないなあ。本当に強くなってるの? これ」


 ラジは持っているナイフを振り回してみるが、それで攻撃力の上昇を確認できるわけもなく、仕方なくブルースライムを探した。

 先程は二度攻撃を直撃させないと殺せなかったモンスターである。もし本当に攻撃力が上昇しているというのであれば、一撃とは言わずともなんらかの手ごたえ程度はあるはずだ。とあたりをつけて、ラジはすくりと立ち上がる。


「と、その前に最深部から抜けなきゃな」


 ブルースライムを食したことで体力が回復したラジは、またあんな窮地に陥ってしまう前にと上を目指した。その過程で確かめればいい。焦る必要はないのだ。

 ラジは最深部から抜ける為に、レベル1の鈍い脚力をフルに使って走り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る