第14話 トトリカ地区

 ラジはトトリカ地区を歩いていた。距離にして十万メドルは歩いているが、不思議と疲れは無い。これも身体能力向上による効果である。以前のラジであれば、こんな長距離を身一つで越えることは出来ない。


 周りを見渡すも、家屋の残骸と剥き出しになった鉄、そして荒れ果てた大地しか瞳に入らない。砂の迷宮の方がまだ快適かもしれなかった。

 本当にここは国内なのだろうか、という失礼な疑問を抱えつつ、ラジは十二番街へと進んでいく。


「やっぱり、見られてるよね……?」


 ざりざりと嫌な砂の感触を足で確かめながら、ラジはその歩みを止めた。

 先程から、視線を感じるのである。


 荒れ果てているとは言っても、ここは迷宮ではない。視線の持ち主は人間で間違いないだろう。普段ならここで警戒を解くのだが、ここはトトリカ地区である。この国唯一のスラム街だ。ここでは罪が罪として裁かれないのである。


 その為ラジは歩みを止めて、その視線の在処を突き止めようと首を半回転させる。

 しかし、ラジがその行為に及んだ瞬間、視線は途絶えるのだ。


「……やりにくい」


 ぽつりとそう呟いて、衣嚢にしまってある封筒を落としていないか確認する。しっかりとそこには三十万リルが存在しており、ラジは一先ず安心した。国内だからと言って、油断してはいけない。特にこのトトリカ地区では。

 もしかすると、危険度だけで言えばはじまりの迷宮より上の可能性すらあるのだから。


 再び歩き出す。すると視線も再度出現する。


(面倒だなあ……。まあ、それもこれも僕が丸腰なのがいけないのかも……。早めに魔法袋が欲しい……)


 それさえあれば、少なくとも外見上の格は上がるのだ。即ち、無駄な争いに巻き込まれづらくなるということだ。

 とここまで来てラジは思い出す。


「もしかして、幸運1なのがいけないのかな……」


 次にスキルポイントを獲得する機会があれば、真っ先に幸運に振ろう、と決意するラジだったが、つい最近も同じようなことを考えて結局行動に移さなかったことを思い出して苦笑してしまう。

 ギドラやシェイカーの時のようなことがそうそう起こるはずもないと、ラジは高を括っていた。


 視線を引き連れたまま、ラジは十二番街に足を踏み入れたのだった。



「ここ、だよね?」


 フェリアは酒屋と言っていたが、トトリカ地区十二番街にひっそりと佇むそれは、何でも屋、と言ったほうが適切である。

 立てかけられている小さい看板には、大きく「とるとのみせ」と書いてある。全て簡易的な文字で構成してあるのは、ここがスラム街だからという理由もあるのかもしれない。

 フェリアに名前を聞いておくのを忘れたが、聞く必要はなかったようだ。ここの店主でありフェリアの友人はトルトという名前なのだろう。


 失礼しますと一言呟いて、ラジは扉を開ける。

 内装は予想を反して整っており、机と椅子が点在している。恐らく席について酒を呷る人間の為に置いてあるのだろう。ここはスラム街である、こういった店という風に表面上はしておくことで、営業が成り立ちやすくなるのだろうな、とラジは推測した。


 酒屋という看板を立てているだけあって、色々な種類のアルコールが置いていた。

 しかし、それ以上に目立つのは、その奥にしっかりと佇む武器や魔道具の類である。護身用という言い訳は聞かない程置いてあるそれらは、ラジの推測に違いなく、販売用である。


 つまりここは、酒屋の皮を被った簡易的なギルドということだ。


 トトリカから成り上がる。というのがトルトの口癖らしいが、口癖は口癖で終わっていないらしい。行動を伴うそれに、ラジは感心した。


 扉を開けて店内に入ってきたラジを確認したトルトが、明るく挨拶をする。


「どうもー! こんな昼間から酒か! 良いなあ! 私にも一杯奢ってくれないか!」


 調子良く出てきたのは、当然トルトである。

 肩辺りまで伸ばしたオレンジ色のショートヘアが、トルトの動きに合わせて元気よく跳ねる。可愛らしい顔に対して言葉遣いが荒々しく、フェリアの言っていたことを今しがた理解した。


 ラジは首を横に振り、酒は必要ないと仕草のみで告げた。トルトはなにか察したようで、カウンターの席までラジを案内する。


 立っているトルトと、座っているラジがカウンターを仕切りにするような形で向かい合う。


「それで? 何が欲しいんだ? 見たところ丸腰みたいだが。うちに来るってことはそれなりの冒険者なんだろう?」

「それなりかは分かりませんが、フェリアさんの紹介で来ました」

「おお、フェリアの知り合いか? あいつが人を紹介するなんて、随分と気に入られてるんだな? ……ふぅん、フェリアはこんな男がタイプなのか……」

「いや、そういう関係じゃないですよ」


 慌てて否定しておく。

 変な誤解を受けたらフェリアにまで迷惑がかかってしまいそうだからだ。実際はそんなことはなく、そしてフェリアはラジのことが好きなのだが、ラジがそれに気付くことは無い。


 トルトはラジに顔を近づけて、その表情、輪郭をまじまじと見つめる。まるで何かを確認するように。

 そんなトルトに、ラジはたじろぐ。異性にここまで顔を近づけられた経験がない為である。トルトは男勝りな性格とはいえ、その造形は女である。それなりに容姿も整っている為、ラジは胸が閊えるような錯覚に陥った。


「いやあ、ごめんごめん。なんだったかな、君、最近話題になっているはじまりのラジに似ているな、と思ってさ」


 まさか、そんなわけないよね。とトルトはけらけらと笑う。

 ラジは頭を抱えた。トトリカまで僕の噂が侵攻しているのか……、と。絶望にも似た何かが心を埋め尽くしていく。


 しかし、それもこれも魔法袋を手に入れれば解決する話なのだ。それで、はじまりのラジと揶揄されることは無くなる。早急に手に入れなければならないな、と思ってから、ラジはトルトの台詞に返事をする。


「あってますよ、ラジ・リルルクと言います。僕がそのラジで間違いありません」


 先にトルトに告げていなかったのか、とフェリアを少しばかり恨むが、彼女も言っていた「ラジくんの手腕にかかっている」と。そうすると、こういったことも冒険者としてやらなければならない事象なのだろう。

 ラジは自身を叱咤し、トルトを見据える。


(交渉術の勉強でもしておけばよかったな……)


 トルトの目からさっと光が消えて、訝しむような細い目つきになる。


「フェリアの名前を使えばうちを利用できると思ったか……? ここを見つけたり私がフェリアと懇意にしているということを知っているあたり、どうやら情報収集力には長けているようだが……。申し訳ないが、ここにははじまりの迷宮で留まっている冒険者が買えるようなものは置いてない」


 トルトのそれは悪意から来る暴言ではない。冷やかしに来た客を軽くあしらう時のそれだ。

 当然だ、はじまりの迷宮も踏破出来ない人間が来るような場所ではないのだから。置いてある武器や防具も、一度ちらりと確認するだけで、高額なのだろうな、ということが簡単に推測できる。そしてそれらを購入する資格は、昔のラジには無いのも確かなのだ。


 つまりここは、最弱の冒険者が訪れるような場所ではないのである。


 しかし、ラジは反論できるだけの材料を所持している。

 流石にフェリアの知り合いとはいえ、ステータスはおいそれと見せられるようなものではないが、今ラジは三十万リルが入った封筒を所持しているのだ。最弱の冒険者であるというそれは拭えないまでも、魔道具を買うのは出来る。


「お金はありますし、フェリアさんの知り合いだというのも事実です。今ここで確認を取って頂いても構いません」


 ラジは封筒をカウンターの上に無造作に置いて、トルトを目視する。

 トルトはその中身を確認した後、疑ったことについて短く謝罪した。


「悪かった。確かに金はあるみたいだな。フェリアの知り合いだというのも信じよう。わざわざ遠いところから出向いてくれたんだからな」

「ありがとうございます」

「それで、なにが欲しい?」


 ラジは奥に立てかけられている武器等を目で追っていく。しかし、フェリアが言っていた魔法袋のようなものは見当たらず、仕方なくトルトに告げた。


「魔法袋という魔道具が欲しいんですけど」

「ああ、ある。けど売れない」

「どうしてですか?」


「さっきこの封筒の中身を確認したが、三十万リルしか入ってないじゃないか。魔法袋の相場は五十万リルだ。それに、この魔道具は私は気に入った奴に譲ると決めてる。ここまで来てもらったのに申し訳ないが、他の魔道具か武器にしてくれ。それなら快く売ろう、フェリアの友達だ、これからも贔屓にしてくれるなら安くもしておく」


 迷った。

 ラジは一度身を引いて考えを固める作業に没頭する。


 ここまで来て、普通の武器を買ってもいいのだろうか。勿論、ここで引き下がるのは簡単である。簡単ではあるが、それならばわざわざトトリカ地区まで出向く必要もなかった。

 悪いところでもあり良いところでもあるのだが、ラジは諦めが悪いのである。諦めが良いなら、はじまりの迷宮も踏破出来ないのに冒険者という職業にしがみつきはしない。


 一瞬の逡巡の後、ラジはしっかりとした決意と意思を滲ませ、口を開く。


「なら、僕に譲ってください」

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