第4話 美味しい食べ方

 フェリアはラジの頭を優しく撫でる。


「頑張ったね、ゆっくり休んでね」


 突然のその行為に、ラジはたじろいでしまう。こういった経験が皆無の為、ラジには耐性がないのだ。


 数秒の安寧を享受した後、しかしラジは返答する。


「いえ、少し休んだらすぐに出発します」

「どこへ行くの?」

「ええと、はじまりのめいきゅ」

「だめ」


 ラジがすべてを言い終わる前に、それはフェリアによってかき消された。

 困ったように手で遊ぶラジを見て、フェリアは忠告する。


「見えない疲労がたまっているのよ。迷宮攻略後三日は安静にするべきだって、そういう話もあるんだから。ラジくんを心配しているのよ」

「それは、分かってます。ありがとうございます。でも大丈夫です」

「大丈夫って、こんなことあんまり言いたくないけれど、ラジくん強くなってないわよ? レベルも……ごめん」


 レベル1であることをラジが気にしているのは知っていたので、フェリアは言葉を紡ぐのを控える。しかし、ラジの表情は変わっておらず、それどころか少し笑っているような気さえしたのだ。フェリアはその笑みの出どころを知らない為、些細な不安と安堵が零れる。


 ラジは気にしていないということを伝えるように軽く手を振り、フェリアをその双眸で見つめた。


「じゃあ、三日とは言わずとも少し休息を取ることにします。フェリアさんも頑張り過ぎて身体壊さないようにしてくださいね」

「もう。いつからそんな気遣いできるようになったのよ……ありがとう」


 ラジは迷宮探索を一旦閉じることにした。

 これ程簡単にラジが引き下がったのにはわけがある。勿論、フェリアの台詞も理由の一部としてはあるが、それが大多数を占めていると言えば嘘だ。


 ――モンスターを美味しく食べられるような、調味料が欲しい。


 ラジの狙いはこれだった。迷宮探索に出かけるつもりではいたが、フェリアに止められてしまったのでは仕方がない。ギルドが出す探索許可証が無ければ迷宮に入ることは出来ないし、こうなった以上フェリアがそれを出すことは無いだろう。だからラジは、後回しにしようとしていたそれに手を付けた。


「フェリアさん、この辺りでどこか美味しい料亭とか知りませんか?」


 だからラジはフェリアにそう問うた。ラジはまだ十八である。この世界において成人指定される年齢ではあるが、それよりも若干年上のフェリアの方が、そういった店に詳しいだろうと思っての問いだ。それに、ラジは迷宮探索に勤しんでいたせいでこの街のことをあまり知らない。知っているのはそれこそこのギルドと、簡単な武防具店と、いつも寝泊まりしている古びた宿程度だ。


 フェリアはラジのその問いを聞いて、数秒唸って考えてから答えを出す。


「私の家とか?」

「フェリアさん……からかうのはやめてくださいよ。僕、そういうの耐性ないんですから」

「あら。別に来てみるか、なんて言ってないわよ?」

「うう……」

「冗談よ、ごめんね? でもなんの為に? ラジくんその、あんまり持ってないでしょ、お金」


 フェリアの歯切れが悪くなる。しかし、ラジは特段それを気にすることもなく「はい、持ってないです」と淡々と答えた。まるで言葉を放り投げるようなラジの態度にフェリアは驚いたが、それについてなにかを言うこともなかった。


「ラジくん、さすがに知っているとは思うけれど、お金がなくちゃ食事はできないわよ?」

「僕をなんだと思ってるんですか、それくらいは知ってますよ、勿論」

「じゃあどうして料亭に?」


 一瞬だけモンスターを食すとスキルポイントを得る事ができるという情報を提示してやろうかと思ったが、直ぐにそれを飲み込んだ。

 ラジは困ったように頬を掻き、良い具合の言い訳を探す。


「あれです、自炊でもしてみようかな、なんて。だからその場で料理を学ばせていただこうかなと。勿論断られたら帰りますが」


 自分でも苦しい言い訳だとは、ラジ自身思っていたのだが、これ以上の言い訳が見つかりそうもなかったので、とりあえずの言葉として置いておくことにした。


 フェリアは素直にそれを受け取り、それならば、と言を飛ばす。


「それなら、夜私の家に来れば? 調味料とか、ちょっとした食材なら分けてあげるわよ?」

「いいんですか? 一冒険者にそこまで」


 んー。と顎に手をやり悩む仕草を見せるフェリア。ラジはその純真な可愛さに心を動かされてしまう。


「まあ、ラジくんは私のお気に入りだし。プライベートで遊んでるってことにしておけば大丈夫でしょう」

「それは、ありがたいですけど」

「なに? いやだった?」

「そんな! そんなことは勿論ありえないですけど! なんかこう、至れり尽くせりというか、申し訳ないだけです」

「あら、私の忠告を無視して最深部に潜った人の台詞かしら、それが」

「すみません」

「冗談」

「質悪いですよ、フェリアさん……」


 フェリアはそう言いながらも、これからは自分の実力にあったところまでにしなさい、と付け加えた。

 今のラジの実力ならば、はじまりの迷宮は勿論のこと、他の迷宮ですらソロで危なげなく踏破できるのだが、二人がそれを知るのはもう少し後になってからである。今この場においてラジは、はじまりのラジのままなのだ。


 夜にフェリアの家に行くと告げて、ラジは古びた宿へと戻るのだった。



 ラジはフェリアの家の前に立っていた。

 フェリアが出てくるのを待っているのではない。迷っているのである。自分がこんな夜中に訪れて迷惑ではないのだろうか、と。


 それについてフェリアが何かを言うことなど全く持ってあり得ない話なのだが、ラジはそれでも心配していた。こんな弱小冒険者に何故構ってくれるのだろうか、と、疑いではないが、限りなくそれに近い念を抱いているのは、紛れもない事実であった。


 意を決して扉を数回叩く。こつこつと小気味よい音が鳴り響いた後、扉を開けてフェリアが顔を出した。

 彼女はラジを認めると、入って、というジェスチャーと共に室内へと入っていく。ラジはそれに続くようにして家屋へと入った後、扉の鍵を閉めた。


 小さいが綺麗な部屋に案内され、ラジにとっては少し大きなサイズの椅子に腰かける。テーブルの上に並べられているのは、様々な調味料と食材だった。


「これ全部頂いても?」

「ええ。どうせ使わないし、いいわよ」


 使わない、なんてことはないはずだ。とラジは思う。つまり、これはフェリアの厚意なのだと認識する。そしてそれは間違いではなかった。フェリアはラジを気に入っている。その為、ギルド職員としてのフォローを超えたことを、ラジに施している。


 ラジは綺麗に並べられたそれらをまじまじと見る。まさかモンスターを食す為とは言えない。その為、スライムに合う調味料はどれですか、などとは聞けるはずもなかった。


 しかし、ラジは迷いなくその中から一つを選ぶ。


「これ、もらってもいいですか?」


 胡椒である。この世界において胡椒とは高級なもののひとつで、どこか遠い国ではこれ自体が投機用の商品として扱われていると聞いたことがあった。それは昔の話であるとラジに説明をする人間は、ここには存在していなかったが。


「いいわよ、というか全部持っていきなさいな。必要なんでしょ」

「それは、有難いんですけど……」


 何故か受け取る側のラジが渋る。フェリアは「遠慮なんてしなくていいわよ」と付け足した。


「じゃあ、遠慮なく頂きます」

「ええ。あ、じゃあ一つだけ条件つけてもいい?」


 ラジはその言葉を聞いて身構える。フェリアが求めることとは一体なんなのだろうか。やはり、彼女は損得勘定で動いていたのではないか? という疑惑がラジの中で膨れ上がる。


 ラジはフェリアの顔を真っ直ぐと見つめ、表情を観察する。しかし彼女の表情からは悪意は感じられず、ラジは自分が少しでも彼女を疑ったことを恥じた。


 フェリアは続ける。


「絶対に生きて帰ってくること。探索許可証は出すけれど、あまり無理はしないこと。わかった?」

「はい、わかりました」


 ラジはこくりと頷き、条件を呑む。

 都合の良すぎる条件だな、とラジは笑ってしまう。彼女は、僕の敵ではない。と。


 明日の迷宮探索に思いを馳せながら、ラジは両手いっぱいに調味料を持って帰路につくのだった。

 帰り際、フェリアにご飯でもどうかと誘われたのだが、断っておいた。何故なら明日、沢山のそれを食すのだから。

 ラジは自分のお腹を擦りながら、明日を待った。


 食事を断られたフェリアが拗ねていたのは言うまでもない。

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