第11話「魔法教室」
一面の緑を、風のように駆け抜ける。
空はどこまでも青く、草原は果てしなく広い。
とてつもない解放感に、私はいつしか恥ずかしさと怖さを忘れた。
「わあ、気持ちいい……」
エトの頭に掴まり、身を乗り出せて風を受ける。
動物に乗るのは初めてだが、エトの乗り心地は良かった。かなりの速度で走っているが、意外と揺れは少ない。
頭をなでると、耳がピコピコ動いて反応した。
「お前、さっきの話ちゃんと聞いてたんだろうな」
ルゥが後ろで嘆息する。
「ちゃんと聞いてました! ……えっと、ルゥは魔導院って所の依頼を受けて、魔都グースギアを調査してたんだよね。そこで私を見つけた、と」
「大分省略したな……まあ、わかっているならいい」
ルゥによると、私が転移した場所は魔都グースギアと言うらしい。そこはかつて魔王が支配していた街だったけど、魔王がいなくなった後は廃墟と化してしまったそうだ。それでも異常がないか定期的に調査が入っているらしい。
旅の魔法使いルゥは魔導院から依頼を受け、魔都を探索していたところ、変な女(私だ)を見つけたとのことだ。
ちなみに、私が倒れて運ばれた街は、かつては魔王に対する前線基地だったらしい。今は基地の面影は影も形もない。
「それにしても、魔王の住む街とその前線基地かぁ。昔は戦争でもしてたの?」
「さあな。魔王のことはわかっていることのほうが少ない。オレも大したことは知らん」
「ふーん」
なんかやけにあっさりしてるな。平和になったら魔王なんてどうでもよくなっちゃったんだろうか。ルゥもあんまり興味無さそうだし。RPGのクリア後の世界って、案外こんな感じなのかもね。
「……ねえ、そういえばあの街はなんていう名前なの? 私まだ聞いてなかったよね」
「観光都市グースギアだ」
「へえ、グースギアね……って、あれ?」
私が転移した所がグースギアという話ではなかったか。だが、倒れた私が運び込まれた街もグースギア。どういうことだ。
「あの街も昔は別の名前で呼ばれていたんだろう」
私の気持ちを読み取ったかのように、ルゥが説明を始めた。
「魔王がいなくなった後、光の精霊を目当てに観光客が集まるようになった。やがて魔王の住んでいたグースギアは忘れ去られ、いつの間にやら前線基地の方がグースギアとして定着してしまった。だから事情を知るものは、本来のグースギアを魔都、今のグースギアを観光都市と呼んでいる」
つまり、長い時間をかけて名前がすり替わっちゃったのか。すごい秘密があるのかと思ったら、そうでもなかった。
「はぁ。思ったよりも俗っぽくて夢のない話だね」
「伝説なんてそんなもんだ」
もっと面白い裏話があるかと思ったのに。詰まんない。
私は今の話を意識の端に追いやり、景色に目をやった。
東京では見たことのない、一面の緑と広大な空だ。その大地を切り裂くように、巨大な犬に乗って駆け抜ける。自分がファンタジー映画の登場人物にでもなったような気分だった。
「ねぇルゥ、あとどれくらいで着くの?」
「そうだな……この調子だと昼前には着くだろう」
「結構遠いねぇ」
先ほどから、エトは車とほとんど変わらない速さで走っている気がする。このペースで昼前となると、100km以上離れていそうだ。
「どうした? 疲れたか?」
「ううん、大丈夫。気にしないで――」
と、言いかけたところで私のお腹が鳴った。
……気まずい沈黙が流れる。
なぜ? なぜまたお腹が鳴るの?
いつもはこんなに鳴らないよね!?
……そうだ、こっちの世界にきてから妙にお腹がよく鳴る気がする。
これは私のせいじゃない。異世界が悪いんだ。異世界の気候や風土や美味しい料理が私のお腹を刺激するのが悪いんだ。
だからそんな目で私を見ないでください……
「……少し早いが、休憩するか」
「い、いや、いいよ! 全然お腹すいてないから! これは何かの弾みで出ちゃっただけだから!」
ルゥの気遣いが胸に痛い。なんでこういうときは優しいんだ。
「旅慣れてないんだろう? 無理すると後が辛いぞ」
そう言って、エトを止めてしまった。
エトから飛び降りると、私に手を差し出す。おずおずと手を出すと、グイッと引かれた。私が体勢を崩して倒れそうになると、ルゥは器用に私を抱きとめ、ゆっくりと降ろした。
「しかしこうもよく食うとなると、長旅には向かんかもな」
おい。一言多いんだよ、この男は……
それじゃあ私が食いしん坊みたいじゃん。
世の中には言って良いことと悪いことがあるって教えてもらってないのか。
ルゥは私の鋭い視線を特に気にする素振りもなく、荷物を漁りだした。
コップや小さな鍋のようなものが次々と出てくる。
一通りそろうと、手際よく野営の準備を始めた。
……私も何かしたほうがいいかな。
「ねぇ、何か手伝えることある?」
ルゥは私を胡乱げな目で見た。
あ、コレは「お前に何ができるんだ」って感じの目だ。
私だって、料理ならちょっとはできるんだからね。アキちゃんほどうまくはないけど。
「じゃあ、そこらへんから燃えそうなものを探してきてくれ」
……うむ。いかにも誰でも出来ることを振られた感じだな。私の意気込みを返してくれ。
「……わかった」
まあいいか、これだって大事な仕事だ。腐らず集めよう。
私は木の枝や枯葉などを探すことにした。
ルゥとエトから離れすぎないように気を付けよう……と思っていたら、エトが私の後ろについてきた。ボディーガードのつもりだろうか。
お供の犬を引き連れ、ハル一行は燃料を探して歩く。きびだんごがあればサルとキジも仲間になったことだろう。
正直言うと、少し楽しい。家族とキャンプに行くことはあったが、歳の近い友人と行くことはなかった。こんな経験は私の人生で初めてだ。アキちゃんと父さんには申し訳ないが、ワクワクしている自分がいる。
「ん――……こんなところかなぁ」
探索を終え、ルゥの所に戻ると、すっかり準備ができているようだった。
「ごめん、あんまり燃えそうなものなかった。こんなのでも大丈夫?」
両手に収まる程度の細く小さな枝や、少し湿った葉っぱを差し出した。
「問題ない」
突き返されないか不安だったが、ルゥはあっさり受け取った。
「ウォフ」
私に続いて、エトが涎まみれの草を差し出した。いつの間に集めてたんだ?
「……お前は気持ちだけもらっておく」
流石に突き返された。
ルゥは私が集めた材料を見つめると、呟くように一言唱えた。
「”渇きの風よ、顕現せよ”」
すると、みるみるうちにルゥの手の中の枝や葉がしおれていった。色を失い、枯れたようになる。
それを確認すると、ルゥはそのまま手の中でそれを握りつぶした。バリバリポリポリと、乾いた音がする。粉々になったそれを、空き缶のようなものに入れた。
「”炎の精霊よ、顕現せよ”」
指先から発生した赤い光球をポトリと落とすと、缶から安定した火が立ち上った。
「わ……あっという間に火がついちゃった」
私がポカンと口を開けているほんの数舜の間に、湿った材料から火を起こしてしまった。
「別に難しい魔法じゃない。炎の精霊と風の精霊を出すことができれば、誰にでもできる」
炎の精霊と風の精霊を出す時点で「誰でも」じゃないと思うよ。少なくとも地球人にはできない。この世界の人が羨ましいね。
ルゥはその火でお湯を沸かしながら肉を焼きだした。
私はそこで一つ疑問に思ったことを口にした。
「ねぇ、魔法で肉やお湯を作ったりできないの?」
「ああ?」
何言ってんだコイツ、という顔で見られた。
……なんだよ。そんな変な質問だったか?
ルゥはふぅ、と息を吐いた。
「お前、仮にオレが魔法で肉を作ったとして、食いたいか? 何の肉だかわからない得体のしれない物を」
うっ。そんな言い方をされると確かに食べたくない。
そういえばいつだったか、ニュースで人工的に食肉を作るという研究を見た気がする。正直、あまり食べたくはなかった。あれと同じ感じか。
「何の肉だかわかんないのは食べたくない」
「だよな。それに魔法で肉を焼くこともできるが、意外と火加減が難しい。焼けたように見えて、中まで火が通ってなかったりな。下手糞がやると一瞬で丸焦げになることもあるしな。やはり料理にはちゃんとした調理器具を使ったほうがいい」
なるほど、一理ある。魔法と料理は別の技術というわけだ。
魔法があっても調理技術が腐ることはないということなら、私にも仕事があるかもしれない。この世界で生きていくうえで重要な情報だな。
「それと、このお湯は茶を沸かすのに使う。茶は一から作ったほうがうまいだろ?」
い、意外に家庭的なこと言うな、コイツ……
もしかして料理も得意なのかな。
それくらい味に気を使えるのなら、言動にも気を使ってほしいけど。
肉から香ばしい匂いが立ち始めると、ルゥは慣れた手つきで肉をスライスして、パンにはさんだ。沸かしたお茶を入れたコップと一緒に渡してくる。
「わー、ありがとう」
受け取ったお茶の匂いを嗅いでみる。確かにいい香りだ。
「味は期待するな」
そう言ってルゥはパンをかじりだした。
私は手の中のパンを少し見つめる。
「いただきます」
パクリとパンにかぶりつく。噛んだ瞬間、パリパリと心地いい音とともに、ジューシーな肉汁が出てきた。溢れそうになる汁を、パンが受け止める。少々塩辛い肉汁は、淡白で固めのパン生地に良く合った。
ふと、ルゥが私を見ていることに気付いた。
「おいしいよ?」
私がそう口にすると、「そうか」とルゥは答えた。そっけない返事だが、なんとなく嬉しそうだった。
ルゥはすでにパンを食べ終わり、お茶を飲んでいる。
私も一口、お茶を含んでみる。ハーブのような清涼感のある香りが鼻腔をくすぐった。飲み込むと、ほんのりと優しい甘みが口の中に残った。これも美味しいな。
「ねぇ、ルゥ」
私は火を見ながらぼんやりと考えていたことを口にする。
「私に魔法を教えてほしいな。どうやれば魔法を使えるの?」
「なんでだ」
「私も魔法が使えたら色々手伝えるかなって」
「別に手伝ってもらう必要はない」
「……私だって役に立ちたいよ。手伝っちゃダメなの?」
ルゥは少し困ったような顔をしたが、やがて諦めたようにため息を一つついた。
彼は姿勢を楽にすると、私の方を向いて話しはじめた。
「まず体に内在する力を感じる。熱を持った力の塊を認識するんだ。それを感じたら、次は魔法でやりたいことを想像する。魔力を意思の力で変容させるんだ。最後に、やりたいことを口にする。こんな風にな」
ルゥは指を一本立てた。
「”炎の精霊よ、顕現せよ”」
指先に、小さな赤い光球が現れた。光球は宙を漂いながら、温かな熱を発している。
「これが炎の精霊だ。精霊を作り出すのは、基本中の基本の魔法だ。魔法使いが最初に習う魔法だが、色んな事に応用が利く」
「……わかった! やってみる」
ルゥの真似をして指を一本立ててみる。
まず、体内の魔力を感じ……感じ……感じない。
私は首をかしげる。
目を瞑って、もっと深く体内をイメージしてみる。
「うむむむむむ」
眉間にしわが寄り、声が漏れる。
目を閉じた暗闇に、体内の様子を思い描いてみる。
……だが、やはり何も感じない。
「ぬににににに」
歯を食いしばって、さらに眉間に力を込める。だが、体内の熱を感じる前に、体外が熱くなってきて、何もわからなくなってしまった。
「ぷはぁっ。だめだ、わかんない。やっぱり厳しい修行とかがいるの?」
ルゥは気まずそうに首を振った。
「……たぶん、無理だろうな」
「え?」
「お前の体からは魔力を一切感じない。元々ないものを感じることなどできないだろう」
「えっ……じゃあ私、魔法使えないの? これから魔力が増えることは?」
「この世界の人間は、生まれながら魔力が備わっている。後天的に魔力を獲得するという話は聞いたことが無い」
「……そっか。やっぱりこの世界の人じゃないからかなぁ」
「かもしれん。魔導院に行ったら研究者どもが喜ぶだろうな」
魔法は無理かぁ。ちょっと残念だな。ルゥみたいに色々魔法が使えたら、私も役に立てると思ったんだけど。
……まぁ、私には魔法がなくても、超能力がある。そうだ、ルゥには見せても大丈夫かな。いきなり超能力を使ったらびっくりするだろうし、今のうちに教えておいた方がいいか。いや、魔法使いのルゥは大して驚かないかも。
「ねえルゥ、見て見て」
「ん?」
私は地面に転がっている、メロン大の石に手を当てた。石に対して、心の中で念じる。
”……砕けろ”
ビリッと、私と石の間にスパークが走った。次の瞬間、石は内部から破裂するように砕け散った。
「やった! できた!」
向こうでは碌に試せなかったから、こんなに大きなものを砕いたのは初めてだ。この世界でも私の力は健在なことがわかって、うれしい。
どうだ、ルゥ。これで私も戦えるでしょ?
ルゥを見ると、目を大きく見開いて戦慄いていた。
「お、お前」
ガバッと手を取られる。
「今何をしたんだ!?」
ルゥが私に迫った。
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