番外編3「禁忌の魔法」

 このままじゃ、ダメだ。

 気持ちがはやり、足は禁断の扉へと向かう。

 猛烈な数の書架を追い越し、物々しい雰囲気の本棚へとたどり着いた。


 ――この中に、私の求める物があるかもしれない。


 一冊の本を手に取り、恐る恐る本を開く。

 その瞬間、黒いオーラを放ちながら、骸骨が飛び出してきた。


「ふんっ」


 喉笛へと噛みつこうとする骸骨を、片手であっさり弾き飛ばす。

 程度の低い呪いだ。こんなものは問題にもならない。

 パラパラと中身を確認した。


 ――違う。


 次の本を手に取る。

 今度は本が大口を開けて私に噛みつこうとしてきた。


「よっ」


 遅すぎる。

 弾くまでもなく、余裕で躱した。

 中身を確認する。


 ――これも違う!


 次々と本を手に取り、禁忌の書棚とのバトルは続いた。

 危険な書物をちぎっては投げ、ちぎっては投げ……長い戦いの果てに、それはあった。


「こ、これよ……!!」


 そこに書かれている魔法をメモに取った。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 私の名はマルテ・エルフラン。

 魔導院の魔法使いにして、最高位の導師だ。

 得意な魔法は回復魔法で、これだけはゼルン最高の魔法使いであるワース様にも負けないと自負している。また、獣の呪いの効果により、接近戦でも同僚のルゥやダンさんに負けたことはない。

 ……ただ、肝心なことでは気持ちを伝えられないのが悩みだった。


「心の内を、さらけ出す魔法」


 メモに書かれた魔法の名前を読んだ。

 今、私が必要としている魔法である。


「これで私は…………素直になるんだッ!」


 私は焦っていた。

 それというのも、私はどんな相手でも物怖じせずに渡り合えるのだが、ある人の前でだけは別だった。彼を前にするとどうにも素直になれず、自分の気持ちを誤魔化してしまう。言いたいことも言えないまま、ズルズルと月日を積み重ねてしまった。


 これまでは、それでも良かった。

 だって、彼は空気が読めない上に鈍い。

 私たちが最高位の魔法使いということもあって、たいていの人間は引け目を感じて深入りしてくることもなかった。


 だが、とうとう強力なライバルが現れてしまった。

 あろうことか、彼女は彼が手ずから引き入れ、親身になって世話をしている。

 彼女にその気がなければいいのだが、彼女も彼のことが気になっているように見える。


 ……困ったことに、私も彼女のことが好きだった。彼女を見ていると昔の自分を見ているようで、邪険にできない。今では妹のようにさえ思っている。だが、そのせいで二人の接近を許してしまっている気がした。


 ――このままではいけない。私は私のために行動しなければ。


 そして私は禁忌の書物に手を出した。

 魔法の起動条件を確認する。


「心に、最も素直だったころを思い浮かべる……か」


 私が素直だったころ。

 つまり、私が彼と素直に話が出来ていたころ。

 いつの頃だろう……


 初めて会ったのは、彼の師匠が家に来た時。

 あの頃はまだ彼のことが怖かった。


 だが、ともに魔法の修行をするうち、徐々に打ち解けていった。

 そのころには、彼は最も親しい人となっていたのだ。


「よし」


 私は覚悟を決めた。

 心にあの頃の憧憬を思い浮かべる。


「”心の現身よ…………顕現せよ!!”」


 心の内が、外に溢れだした。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



【ハル視点】



「マルテさ~ん、ご飯に行きませんか~?」


 最近、私はマルテさんとよくご飯に行く。

 この世界に転移して以降、彼女とはすっかり打ち解けていた。

 今では本当のお姉ちゃんのようにさえ思っている。


「……? 寝てるのかな?」


 返事がない。

 まあ、別に珍しいことではない。

 彼女はすごくしっかりした人だが、意外と朝に弱かった。


 こういうときは、私が起こしてあげないと。


「入りますよ~」


 静かに扉を開ける。

 鍵はかかっていなかった。


「……ッ!?」


 目に飛び込んできた光景にぎょっとする。


「ぐすっ、ひっく、うう……!」


 泣いていた。

 耳はペタンとへたり込み、尻尾は内側に畳み込まれている。

 いつもは気丈な彼女が、信じられないくらい小さく縮こまっていた。

 私は彼女が泣くのを、初めて見た。


「ま、マルテさんッ!? どうしました!?」


 彼女に駆け寄る。

 どうしていいかわからず、とりあえず額に手を当ててみた。

 うん、別に熱はない。


「う……!!」


 彼女がたじろいだ。

 不思議な目を私に向ける。

 なんだろう、この視線は。


「だ、誰ですか――ッッ!?」


 マルテさんが聞いたこともないような高い声で叫んだ。


「え……!? は、ハルです……」


「知りません――ッッ!!」


 ……おかしい。

 絶対におかしい。

 何かが起きている。

 マルテさんはまるで子供の頃に戻ったようだった。

 話す言葉も、記憶も、普段の彼女とはまるで違う。

 私のことも覚えていないようだ。


「うわぁぁ――ん!! ルゥ、どこ――ッッ!?」


 ルゥ。

 マルテさんはアイツの名前を呼んだ。

 彼女の泣きわめく声を聴きながら、私は思った。


 ……これはもしかして、アイツの仕業?


「マルテちゃん、私、ルゥの友達だよ。一緒に探しに行こうか?」


「ほんとッ!? 行くぅ!!」


 ゆらりと立ち上がる。

 ルゥ。マルテさんのこと、何とかしないと許さないよ……



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 あのバカがいるところは大体決まっている。

 部屋か、それでなければ修練場だ。

 修練場に素振りの音が響いている。

 ほら、いた。


「ルゥ、これは一体どういうことなのッ!?」


 ルゥが私に気付き、素振りを止めた。


「あぁ? 何の話……」


「ルゥ――――――――ッッ!!」


「ぬわッ!?」


 話の途中で、マルテさんがルゥに突撃した。

 飛び込んだ勢いのまま、ルゥを押し倒した。


「ルゥ! ルゥ! ルゥ……!」


「ま、マルテ!?」


 マルテさんはルゥに抱き着き、ぎゅうぎゅうと締め付けている。

 それを見ながら、私は、私は……わなわなと震えていた。


「な……な……な……!!」


 目の前で起こっていることが信じられない。

 一体これは何の冗談だ?


「おい、これは何の冗談だ?」


「それは私のセリフッ!!」


「ふふ、ルゥ、おっきい……」


 ルゥの胸の中で、マルテさんが幸せそうに身じろぎした。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ルゥの話によると、全く身に覚えがないとのことだ。全く信用ならないが。

 ほら、今もマルテさんはルゥにくっついて、イチャイチャと……

 う、うらやま……いや、何を考えているんだ。


 マルテさんの尻尾がフリフリと揺れるのを見る。

 ……そう、尻尾。マルテさんの尻尾を好きなだけモフれるのが羨ましいんだ。

 ルゥはこのモフモフを独占しようと変な魔法をかけたに違いない。


「とにかく、マルテの部屋に行ってみるぞ。何か手がかりがあるかもしれない」


 ふん、白々しい……


「邪魔するぞッ!」


 ルゥは勢いよくマルテさんの部屋の扉を開けた。

 ズンズンと部屋に押し入っていく。

 そして、無遠慮に部屋を物色しだした。


「これか、これか……?」


「ちょ、ちょっと! 女の子の部屋なんだから、もうちょっと丁重にしなよ!」


「今はそういう場合じゃない!」


 ……本当に焦っているように見える。

 珍しいな、ルゥがこんなに慌ててるの。

 もしかして本当にルゥの仕業じゃなくて、マルテさんの様子に狼狽しているのかもしれない。


 チラリとマルテさんを見る。

 私たちの動揺など全く意に介さず、ニコニコしながらルゥにくっついている。

 私といるときはずっと泣いていたのに、そんなにルゥといるのが楽しいのだろうか……


「あっ、その本かして!」


 と、マルテさんがルゥの手にした本を指して言った。


「? これか?」


 ルゥは即座にそれを渡した。そして、再び部屋を物色し始める。

 ……いいのだろうか。渡した本の内容が気にならないのだろうか。重要な手掛かりかもしれないのに。


「ふふ――ん♪」


 マルテさんは本を手にすると、ベッドに座って読み始めた。


「ルゥ、あの本、いいの? 手がかりかもよ?」


「あぁ? あんなの、ただの初心者向けの魔法書だぞ」


「え、そうなの?」


「ああ。オレも昔読んだからな。まだ持ってたんだな、コイツ。もう読み返すことなんてないと思うんだが」


 そっか。二人は師匠が同じで、一緒に魔法を学んだんだっけ。

 じゃあ、あの本も一緒に勉強したわけか……


 彼女の手の中の本を見る。

 相当年月が経っているのだろう。すっかり黄ばんで、ボロボロだった。

 でも……あちこち直した跡がある。ボロボロなのに、今も普通に読めているようだ。

 本当に読み返すことなんてないんだろうか……


「”光の精霊よ、顕現せよ!”」


 マルテさんが魔法書を開きながら、呪文を唱えた。

 私も知っている、初歩中の初歩魔法だ。私はできないけど。

 マルテさんは当然使えるし、使っているところも見たことがある。

 だが。


「うう、ううぅ……」


 マルテさんの目の端に光るものが浮かぶ。

 光の精霊は出ていない。

 ……失敗? マルテさんが?


「”光の精霊よ、顕現せよぉ!”」


 再び呪文を唱える。

 やはり、精霊は出なかった。


「うう……ぐすっ、うっ、うぅ……」


 あ、また泣く……


「ルゥ~~!! 精霊、出ないよぉ~~!!」


 本を放り出し、ルゥに抱き着いた。

 ルゥは全くマルテさんを見ていない。

 手に何かを持っている。


「ちょっと! マルテさんが泣いてるんだから、無視しないでよ!」


「な、なんということだ……この魔法は……」


「……ルゥ?」


 ルゥが震えていた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「精神作用系魔法?」


「ああ」


 ルゥが手元のメモを見ながら言った。

 メモはマルテさんが書いたものらしい。


「恐ろしい魔法だ。自白させたり、服従させたり……効果もさることながら、使った後に精神に影響が出ることもある。危険すぎるため、大半は封印された魔法になっている。そして、この魔法は……”心の内を曝け出す魔法”ということだ」


 つまり、マルテさんは自分で自分に魔法をかけてこうなったらしかった。

 自分に危険な魔法をかけて、失敗しちゃった……?

 なんだか、全然マルテさんらしくない。


「まったく、何を考えているんだ、このバカは」


 ……でも、なんとなくわかる気がする。

 マルテさんがこの魔法を使った訳が。

 目の前にいる唐変木を見ていると、私も使いたくなる。


「……それで、どうやったら治るの? この魔法」


 マルテさんの心情は置いといて、とりあえずこの魔法は治さねばなるまい。

 流石に、こんな状態は彼女も望んでいないだろう。

 ルゥはキリッとした顔をして言った。


「わからん」


 わからないのか。だったらそんな自信ありげな顔をするな。

 いや、いつもこんな顔だけど……


「いや、本当に困った。なにせこういう魔法はマルテ自身が専門だ。こいつの精神魔法に対する防御は右に出る者がいないし、そもそもかかることを想定していない。なんで自分にかけちまったんだ、クソ!」


 多分お前のせいだよ。


「でも、なんで”心の内を曝け出す魔法”でこんな感じになっちゃってるの? あんまりマルテさんの心って感じがしないんだけど……」


「……多分、この魔法の発動条件のせいだな。『最も素直であった頃を思い浮かべる』と書いてある」


「え、それじゃあもしかして、素直だった頃……子供のときとか? に戻っちゃってるってこと?」


「そういうことだろうな」


 私たちはルゥの足に抱き着いて愚図るマルテさんを見た。


「ぐすっ……ひっく……ぐすっ……」


「……昔のマルテさん、こんな感じだったの?」


 にわかには信じがたい。

 今の凛とした彼女とは全く結びつかない。


「……うーん、こんな感じだったか……? こんな感じだったような……いや、やっぱり違うような……」


 ダメだコイツ。昔のマルテさんを全然覚えてない。

 マルテさんが可哀そうになってきた。


「ぐすっ、ねぇルゥ……アレやって、アレ……」


 マルテさんがルゥの服を引っ張ってせがんだ。

 ……アレ?

 アレってなんだ。

 泣いてばかりいる少女にするアレ……

 ダメだ、卑猥な妄想ばかり出てきてしまう。

 いや、まさか、でも、そんな……

 やってないよね、ルゥ。


「ねぇ、アレってなに」


「……アレか」


 ルゥが押し黙る。

 私が訝しんだ目で睨み、マルテさんがキラキラした目でルゥを見た。

 ルゥの額から汗が流れ落ちた。


 おい、まさか本当に……


「アレってなんだ?」


 ルゥがマルテさんに訊いた。

 予想を裏切り、期待も裏切る答えだった。

 マルテさんの顔がくしゃりと歪んだ。


「ルゥのバカ――ッッ!!」


 マルテさんがベッドに駆け込み、布団をかぶって隠れてしまった。


「……おい」


「いや、うん。オレも流石に今のは悪かったと思う」


 じゃあ早くなんとかしろ。

 私の視線から言いたいことを察したのか、ルゥがベッドに近づいた。


「マルテ、悪かった」


「……思い出した?」


「いや、わからん」


「……うええぇぇぇ」


 ルゥがこちらを振り向く。

 ダメでした、って顔をしている。だからなんでそんな自信満々な顔なんだ。

 布団からマルテさんの嗚咽が漏れている。不憫すぎる。


「……あ」


 だが、その姿からルゥは何かを察したようだった。


「どうしたの?」


「”静寂の風”だ」


 静寂の風。

 それは、ルゥが得意とする、心を落ち着ける魔法だ。

 私も何度かこの魔法のお世話になっている。自分ではどうしようもない感情の波も、この魔法を受ければあっという間に落ち着く。全くルゥらしくないが、なぜかそんな癒しの魔法を使えるのだった。


「こいつも昔は泣いてばかりで、そのたびにこの呪文を唱えてやったことを思い出した」


「そうなの? マルテさんが?」


「ああ。よく泣いていた。お前ほどではないがな」


 だから、一言多いんだよ……


「実は元々、”静寂の風”は魔法ではない。オレが作った只の『おまじない』だったんだ」


「え、そうなの?」


「ああ。オレもまだ碌に魔法が使えなくてな。泣いてばかりのコイツを何とかするために、おまじないをかけてやってたんだ。……いつの間にか、おまじないは魔法として成立していた。だからこの魔法は、オレにしか使えない」


「そうだったんだ。なんかルゥらしくない魔法だと思ってたんだけど……」


「オレもそう思う。……そうか、静寂の風か……ひょっとしたら、この状態にも効果があるかもしれない」


「治るの!?」


「そこまではわからないが……この魔法は極大魔法に近いからな。オレの願いが通じれば、あるいは……」


 極大魔法? 初めて聴く単語だ。大魔法の上の魔法だろうか。


「……思い出した?」


 私たちの話を聞いていたのか、マルテさんがひょこっと顔を出した。


「ああ。今からおまじないをかけてやる」


「! えへっ」


 マルテさんがルゥの胸に飛び込んだ。

 ルゥが優しくマルテさんの頭をなでる。


 ……二人が小さかった頃を想像する。

 小さなルゥが、小さなマルテさんを慰めている。

 ルゥはどこか照れながら、マルテさんは無邪気に笑いながらそれを受け入れている。

 そんな光景が頭に浮かんでいた。


「”静寂の風よ、鎮めよ”」


 二人を光が包み込んでいく。

 マルテさんが薄く目を開ける。

 いつもの彼女のように、微笑んでいた。


「……ルゥ、大好きだよ」



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「夕日が綺麗ね、ハル、ルゥ!」


 マルテさんが私の手を引いている。

 彼女は夕陽を浴びながら輝く笑顔を私に見せた。


 私たちは三人並んで街を歩いている。

 マルテさんは飛び切りの笑顔で、私は複雑な笑顔で、そしてルゥはぎこちない表情で。

 ……ぎこちなく、見える。

 やはり先ほどのマルテさんの言葉が効いているのだろうか。

 子供が恋も知らずに友達に言う言葉。

 そんな風にも聞こえた。

 だが、ルゥの受け取り方はそうだったのだろうか。

 彼の反応を見ていると、とてもそうは思えなかった。

 そして、私も。


 マルテさんは何事もなかったかのように戻っている。

 魔法をかけられた後、彼女は眠るように目を閉じた。

 そして、しばらく本当に眠った後、起きたら元通りだった。

 彼女は楽しい夢を見ていたと感じたらしい。何も覚えていないようだった。


 ……本当に、そう?

 マルテさんが振り向く。


「こうして三人で歩いてると、グースギアのことを思い出すわね」


 グースギアのこと。

 事件が解決した後、私たちは三人で街を観光した。

 観光しながら、食べて、笑って、泣いた。

 楽しかった。


「そうですね」


「そうだな」


「……これからもずっと、三人で色んな所に行けるといいなぁ」


 マルテさんが私たちを見つめながら言った。

 ……ああ、私も、これが良いと思う。

 三人で、ずっと一緒にいたい。

 彼女の記憶に触れ、そんな風に感じた。


「ん? あれ、エアさんかな?」


 マルテさんが公園の方を指して言った。


「あ、ほんとだ。なんかいつもと雰囲気違いますね」


 着ている服が違う。だが、あの超絶イケメンは見間違えようがない。


「……ババァの魔力も感じるぞ」


「あー、確かに……ちょっと行ってみよっか?」


「はい!」


 私たちは、並んで歩いてエアさん達の所へ向かった。

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