第7話「犬耳にまつわるエトセトラ」
「だから、あなたはもう少し人の気持ちを考えなさいよ」
「そうじゃ、そうじゃ」
「……オレなりに考えているつもりだ」
「だったら話す前に一拍置きなさい。本当に言って良いことか自分に聞いてみるのよ」
「そうじゃ、そうじゃ」
「……しかし、その時間が命運を分けることもある」
「四六時中命を懸けてるわけでもないでしょう!?」
テーブルの上で、マルテさんとルゥの舌戦が繰り広げられている。
まぁ、ルゥが一方的に攻撃を受けているのだが。
ワースさんは二人をあおりまくっている。
私は二人のやり取りを、ぼんやりとジュースを飲みながら眺めていた。
マルテさんは怒っているようでそうでもなく、ルゥは嫌がっているようでそうでもないように見える。二人とも実は結構楽しんでいるんじゃないかと思う。
そして私も結構楽しい。眺めているだけで意外と飽きない。
お酒を飲んでいるわけじゃないけど、空気に酔っている気がする。
これが飲み会かぁ。
「……ふふ」
私の向かいでダンさんが頬杖をついて微笑んだ。
ダンさんも先ほどから黙ってやり取りを見ている。
彼と目が合うと、ウインクされた。
楽しい時間がゆっくりと過ぎていく。
最初にあった緊張感は、すっかりなくなっていた。
「大体あなた、いつも乱暴なのよ。相手の気持ちを考えてれば、もう少し優しくなれるんじゃないの?」
店の扉がゆっくりと開けられる音がする。
「乱暴にしているつもりはない。大雑把なのは認めるが、これは性分なんだ」
外から誰かが店に入ってくる気配がする。
誰かの足が、店に踏み込む音がした。
「性分だからって甘えて」
店に入ってきた何者かの足音が耳に届いた時、マルテさんの声が止まった。
ルゥとワースさんの動きも止まる。
(え? なに?)
私の混乱をよそに、時が止まったように沈黙が流れる。
何者かはゆっくりと店の中を進んだ。
「……るんじゃないの」
唐突にマルテさんの声が元に戻り、続きを言った。
そのまま何事もなかったかのようにルゥと話し出す。
(……なに? 何が起こったの?)
私は今の出来事の意味がよくわからず、首を傾げた。
ダンさんもワースさんも何も言わない。
彼らに目で訴えても、苦笑いを返されるだけだった。
今、店に入ってきた人が関係しているんだろうか。
店に入ってきた何者かは、ゆっくりと店の奥の席に座った。
ここから顔が見える。
細面に鋭い目つきの男の人だ。
……ちょっととっつきづらそうな印象を受けた。
「……何者だろうね」
ダンさんがポツリと言った。
やはり、今の人が何かあるのだろうか。
「……軍の関係者じゃろうか」
ワースさんもダンさんと同じように小さな声で話す。
二人の声はルゥとマルテさんの声に紛れて、周りには届かない。
ルゥとマルテさんは口論を続けていた。
もしかして、わざとやっているのか。
「いや、違うな。あんな異様な気配を纏ったヤツがいたら、教育されてしまうよ」
「なんにせよ、関わらん方がいいな。素知らぬふりをすることじゃ。ワシらは何もやましいことはしとらんのじゃからな」
「同感だ。とはいえ、あんな気配にあてられたままじゃ酒も不味くなる。そろそろ出ないか?」
「そうじゃな」
ここで解散するようだ。
ワースさんがその言葉を口にしたとき、ルゥとマルテさんの口論も止んだ。
やっぱりわざとだったみたいだ。
「やれやれ、今日は楽しかったのう。じゃあ、我が家に帰るとするかの」
静かに席を立って帰り支度を始める。
いざ店を後にしようとした時、それは起こった。
通路を男が塞いでいる。
先ほど店に入ってきた男だ。
……いつの間に移動したんだろう。全く気配がなかった。
「……ワシらは帰るところなんじゃが、何用か?」
「魔導院の導師、ワース様とその一行とお見受けしました」
その男はわずかに笑みを浮かべて言った。
なんだか、得体の知れない不気味さを感じる。
「……じゃとしたら、何じゃ?」
「御高名はかねがね伺っております。私は旅の武芸者レオと申します。是非、私に一手ご指南願えないかと思いまして」
ワースさんが腰に手を付き、盛大にため息を吐いた。
「おぬし、酔っとるのか? ワシが導師その人だったとして、一般人相手にそんな真似ができるわけなかろう。導師は魔導の探究者であって、武芸者ではないのじゃ。腕試しなら他をあたっとくれ」
ワースさんはさも興味がないといった風に言った。
目も合わせずに過ぎ去ろうとする。
だが、レオという男は素早く行く手を塞ぎ、食い下がった。
「そうおっしゃらず。導師といえば一万の兵にも勝る戦士と聞きます。このような機会を逃したくありません。……それとも、噂はただの噂ということなのでしょうか」
レオは腰を折った姿勢から、上目遣いでワースさんを見た。
……え? これってもしかして、挑発してるの?
喧嘩? 喧嘩なの?
私の体が緊張して強張る。
「噂じゃ噂。ワシそんなこと言ったことないもん。腰抜けのワシの負けでええから、いい加減どいてくれんかの」
ワースさんは全く挑発に乗らなかった。
私はホッとする。
さすが年長者。喧嘩のあしらいかたも上手い。
レオという男はワースさんから視線を外し、ダンさんを見た。
「導師ダン様。あなたはゼルン国軍でも手の付けられない狂犬と言われたとか。魔導院というぬるま湯に入り、腕がうずくこともあるのでは?」
ダンさんは頭を掻きながら苦笑した。
「いやあ、私などは魔導院では弱輩もいいところです。最近も若い魔法使いにコテンパンにされましてね。研究一本でやっていこうかと思い始めたところですよ」
「ほう? 若い魔法使いですか。そういえば、そちらのお嬢さんは私の情報にありませんね。もしや……」
レオが私を見た。
体がびくりと震える。
ルゥとマルテさんが私の前に立ち、レオからの視線を遮った。
マルテさんが私の手を握る。
「この子は新人の魔法使いよ。あなたの希望に添えるような子じゃないわ。さっきからしつこく挑発してるけど、私たちにあなたと戦う気はないの。たとえあなたがここで刃を向けても、私たちは抵抗しないわ。わかったらさっさと帰りなさい」
マルテさんが毅然と言った。
ワースさん達も同意だとばかりにレオを見ている。
マルテさんを見るレオの目が細められ、ポツリと言った。
「……なんと醜い姿だ」
「ッ!?」
マルテさんの手がビクッと震える。
……え? 今なんと言ったのだ。
マルテさんが……醜い?
手を通して、マルテさんが強張るのが伝わってくる。
だが、それ以上に体を震わせている人物がいた。
「貴様、今……なんと言った?」
ルゥが壮絶な目をしてレオを睨んでいた。
レオがニヤリと微笑む。
「醜いと言いました。その耳、尻尾、手足……人が己の欲望の果てに作り出した姿。これを醜いと言わずして何と言いますか?」
「貴様!!」
ルゥの剣の刀身がわずかに覗き、鋭い光を放った。
「ルゥ!!」
だが、すんでのところでワースさんがルゥの手を止めた。
ワースさんの手がルゥの腕に食い込み、ミシミシと音を立てる。
「やりますか? ここで」
「こらえるんじゃ!」
「……!」
ルゥが悔しそうに歯噛みし、刃を納める。
「ふふ、今なら戦っていただけそうですね、ワース様。凄まじい殺気を感じますよ」
ワースさんをみると、ルゥ以上に恐ろしい形相をしていた。
こんな顔は初めて見る。
全身を怒りに震わせ、それを必死にこらえているように見えた。
「……貴様の安い挑発だということはわかる。わかってなお、許せぬ。……戦わずして貴様を葬る方法など、いくらでもあるぞ」
「是非この身をもって体験したいものですな」
二人の間に緊張が漲った。
しかし、その時。
「やめてください、ワース様。私は気にしていません」
マルテさんが一歩踏み出し、二人の間に割って入った。
「だがマルテ、おぬし…………」
「いいんです。慣れています」
マルテさんは穏やかな顔でレオに告げる。
「誰も自分の姿を選んで生まれることなんてできないわ。それに、私はこの体が気に入っている。誰になんと言われようと、他人に憚ることなんてないわ」
そう言うと、レオの脇を通り抜けて店の外へと出た。
「行きましょう、ワース様」
「あ、ああ……」
私たちはマルテさんに続いた。
その間、レオはずっと不敵な笑みをこちらに向けていた。
心に、ざわつく感情が残った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ふぅ…………」
私は魔導院の浴場にいた。
久しぶりの大きなお風呂に、心の底から歓喜した。
湯船につかり、ゆったりと足を伸ばして仰向けになる。
体の芯から痺れるように熱が伝わっていった。
「マルテさん……」
お湯に様々な感情が溶けていく。
今日は色々なことがあったが、特に最後の出来事は印象的だった。
突如酒場に現れた男に、殺気立ったワースさん達。
……怖かった。今にも戦いが始まるんじゃないかと不安だった。
あのまま戦いが始まったら、私はどうするべきだったんだろう……
でも、あの男の狙いは一体何だったんだろう。
彼の態度は、私から見ても不自然だった。
ワースさん達を怒らせることが目的だったのだろうか。
「今日のこと、ワースさんに聞いてもいいのかな……」
そのとき、浴場に入ってくる人の気配があった。
体がビクッとなり、思わず身構える。
……私は妹以外とお風呂に入ったことはない。
「あ、ハル。入ってたんだ」
「マ、マルテさん!?」
一糸まとわぬ姿のマルテさんがいた。
思わず視線をそらした。
いかに女同士とはいえ、とても直視できなかった。
マルテさんは気にする素振りもなく私の隣に浸かった。
「はぁ、今日は疲れたね」
「は、はい」
チラリとマルテさんの体を盗み見る。
うわ、やっぱり……すごい綺麗。
うわーうわうわうわうわ。足、なが……
あ、いけない。思考がワースさん寄りになっている気がする。邪な目で見るんじゃない。
「……ねえ、ハル。私の体、どう思う?」
「え!?」
な、ななななんのことでしょう。
変な所なんて見てませんよ。
「私の体、ちょっと変わってるでしょう?」
そう言って耳をピコピコ動かした。
あ、ああ、そっちね。そうですよね。
耳とか尻尾のことですよね。
「え、えっと! 私はすごく可愛いと思います」
率直な答えだ。
日本人は大体こう答えるんじゃないかな。
みんな好きだよね。ケモミミ。
マルテさんはクスッと笑った。
「ありがと。私もそう思う」
耳がピピッと揺れた。その動きも可愛い。
お湯に濡れて艶めかしく光っている。
しばらくの間、マルテさんと隣り合って静かに過ごした。
「……耳と尻尾にまつわる話、ハルは知ってる?」
やがてマルテさんがポツリと語りだした。
私は首を振った。
「体に現れる獣のような特徴……これは、ある因子を持った人に稀に表れるものなの」
「因子?」
「そう。人竜戦争時に人に刻み込まれた因子。獣の呪いよ」
人竜戦争?
それって、車の中で聞いた気がする。
それが、マルテさんの体と関係ある……?
「遠い昔、人は竜と戦っていた。竜は強大で、人よりもはるかに強かったの。そこで彼らに対抗するために、当時の魔法使い達は恐ろしい研究に手を出した。それが、獣の呪い。人に他の生物の能力を取り込み、竜のような強大な肉体を手に入れようとしたのよ」
な、なにそれ……?
お、思ってたより、ずっと怖い話なんですけど。
そんなの、まるで……神話に出てくるキメラじゃん。
背筋に寒気が走った。
「ハルも知ってると思うけど、竜に手を出せば呪いをもらう。呪いが呪いを呼び、人竜戦争は終わることのない戦いになったと言われているわ」
「……ずっとずっと、戦い続けたんですか?」
「いいえ。戦いを止めるために、竜との盟約が結ばれ、その後は不干渉になったの」
「えっ? それじゃ、もし盟約を破ったら……」
「そう。だから竜とは戦ってはいけない。ハルも決して手を出してはダメよ」
「はい」
「戦争が終わったあと、獣の呪いを持った人たちは忌避されたと伝えられているわ。竜との因縁の証みたいなものだからね。彼らは都を追われ、世界各地に散っていった。そうして呪いは少しずつ薄まるとともに、広がっていった。今では誰が因子を持っているのかもわからない」
「あの男の人は、それであんなひどいことを言ってきたんですか」
「どうかしらね。アレは私たちを挑発するのが目的だったんじゃないかしら。……でも、今でも獣の特徴を持つ人を良く思わない人はいるわ。私の両親がそうだったの」
「えっ……両親が?」
思いもかけない言葉だった。
「私の両親は、そこそこ良い家柄だったの。体も普通の人間と同じ。でも、生まれた私は、獣の呪いが発現してしまった……現れたのは、耳と尻尾、そして手足。特徴からして、エトみたいなグース・ダグの因子かもしれないわね」
「親が普通の人でも、獣の呪いが発現するんですか?」
マルテさんはコクリと頷いた。
「この呪いの恐ろしいところは、いつ誰に、どのような特徴が出るかわからないというところよ。おそらく、両親のどちらか、あるいは両方に因子が存在していた」
私は黙ってマルテさんの話に耳を傾けた。
マルテさんは揺らめく水面をジッと眺めて話している。
「私の両親は崩壊してしまった。どちらが悪いだの、責任を取れだの……そして、私はなかったことにされた」
「なかったこと……って……」
その言葉の意味するところを考え、言葉を失ってしまう。
「あ、そんなに深刻に受け止めないで。父のもとで人知れず育てられただけで、それほど不自由はしてないから」
そんな、深刻に受け止めるな、と言われても……
私は俯いて何も言えなくなる。
マルテさんが私の顔を覗き込んできた。
「ごめんね。いきなりこんな重い話しちゃって。……ハル、あなたは優しいから色々考えてしまうかもしれないけど……呪いが発現した人たちは、それほど自分の境遇を悲観していないわ。もちろん私もそう。だから、哀れんだりはしないでね。たぶん、そっちの方が辛い」
「……はい」
私は顔を上げた。
マルテさんが優しく微笑んだ。
「そのあと紆余曲折あって、ルゥと出会って、姉弟みたいに過ごしたの。そこからは、まあ幸せかな? 辛いこともあったけどね」
「それでルゥと仲が良いんですね」
「まあ、魔法の師匠も同じだしね。二人で魔導院に入れて、本当に良かったぁ。だって、みんな変わってるでしょ? 私なんか目立たないほうだもん」
「え? マルテさんより綺麗な人なんてほとんどいないと思いますけど……」
マルテさんが目を見開いた。
「あはっ、そ、そう? あ、ありがと。私もこの耳や尻尾は気に入ってるのよ」
マルテさんは子供のようにニカッと笑った。
こんな顔もするんだ。
「ね、ハル。尻尾触ってみる?」
「え!? い、いいんですか?」
「うん、ホラ」
そういって、尻尾を動かして私の前に出した。
ゴクリと、唾を飲む。
おずおずと触ると、意外としっかりとした感触があった。
「うわ、こうなってるんだ……」
「普段はもっとフワフワなんだけどね。今は濡れちゃってるけど……あっ、そこは敏感……」
「う、うわぁ!? ごめんなさい」
マルテさんがジトッとした目で私を見る。
「……おかえし」
「え?」
マルテさんの目がギラリと光ると、ガバッと私の懐に入り込んできた。
そのまま胸を揉まれる。
「うわっ、でかっ!」
「や、やめてください~っ!」
私はマルテさんの手を逃れようとあがいたが、マルテさんは巧みに私を羽交い絞めにした。酒場の男には武芸者ではないとか言ってたが、どう考えても心得のある動きだ。こんなところで活用しないでほしい。
私たちがじゃれあっていると、唐突に浴場に侵入する者がいた。
「な、なにをやっとるんじゃ!! けしからん!! ワシも混ぜんか!!」
ワースさんは私たちを見るなり、風呂に向かって駆けだし、某泥棒三世のようなダイブを決めた。
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