番外編1「ダン様とデートなのです」

 チラリと時計を確認する。

 大きな体がそわそわと揺れていた。


 朝の澄んだ空気が妙に体を落ち着かなくさせる。

 こんな気持ちになることは、私にとっては非常に珍しいことだった。

 こういうとき、どうしたらいいかよくわからない。


「ダン様――ッ!」


 学院の寮の方向から尻尾の生えた少女が現れた。

 小さな獣耳が風を受けて揺れている。

 彼女は普段は学生服なので、私服を見るのは実は初めてだった。

 その姿を見て、私は妙な高揚を感じていた。

 やれやれ。これはルゥ君とハル君を笑えないな。


「おはようリィ」


 リィが私の傍にたどり着き、息を弾ませた。


「すみません、お待たせしてしまいましたかっ!?」


「いや、今しがた来たところだよ。では、行こうか」


「はいっ!」


 彼女と並んで歩きだす。

 ゼルンギアの街並みがとても新鮮に映る。

 気分次第で、見慣れた道も別世界になるものだ。


 隣の彼女を見ると、チラチラとこちらを盗み見ていた。

 ははぁ、これは……

 ハル君に手でも繋いだらどうかな、といったのは誰だったか。もちろん、私だ。

 彼女に言っておいて、自分は勇気が出ませんでしたは通用すまい。


「リィ」


 私はそっと手を差し出した。

 すると、彼女の顔がパッと輝いた。

 私の手を嬉しそうに握る。小さな手だ。


 しかし……

 手を繋いでわかる、尋常でない身長差。

 私が精いっぱい手を伸ばしても、彼女はかなり手を上げないと届かない。

 とても歩き辛そうだった。


「大丈夫かい?」


「ま、全く問題ありません!」


 彼女はムキになって言った。


「はは、いっそおんぶでもするかい?」


 言った後に、失言だったと気付いた。


「ダン様!! バカァッ!!」


「あっ……!」


 彼女は私の手を放し、駆け足で過ぎ去ってしまった。


 ……やってしまった。ルゥ君を何度か茶化したが、自分のこととなると私もてんでダメだな。女性の気持ちを分かっているようで全く分かっていない。ルゥ君と何も変わらない。いや、彼はそもそも女性の気持ちを分かっていると全く思ってないだろうが。


 頭を掻きながら歩いていると、リィが後ろを向いて立ち止まっていた。

 ああ、良かった。先に行ってなくて。

 で、でも、怒ってるよね……?


「リ、リィ……?」


 おずおずと話しかける。

 すると、彼女がガバッと私の腕にしがみついてきた。

 両手で私の腕に掴まり、そのまま歩き出す。

 ちょっと引っ張られる形になるので、歩き辛い。


「リ、リィ。ちょっと歩き辛いんだけど……」


「ダメです。今日はずっとこうやって歩いてください」


「は、はい」


 やっぱりちょっと怒ってるな。

 でも、置いてかれなくて良かった。


 私たちの足は、ある通りに向けて進んでいた。

 人が少なく、雰囲気がいいので、今日の買い物に良いと思っていたのだ。


 私はリィに引っ張られる形で傾きながら歩いている。

 時折私たちに奇異の視線が向けられる。

 だが、私もリィもそんなことは気にしない。私が耳目を集めるのはいつものことだし、リィもそれは一緒だ。

 それに、これはこれでいいじゃないか。二人は特別なんだ、という感じがして。


「わあ、ダン様。おいしそうなお菓子が売っています!」


「おっ本当だ。これは食べねばなるまい……」


 私は甘いものが好きだ。


「リィもリィも!」


 私が受け取り、リィも受け取ろうとした。


「はい、可愛いお嬢ちゃん。かっこいいお父さんだねー」


 ピタッと。

 店員のその一言で、空気が凍り付いた。

 ……いや、別に店員は悪くない。だってどう見ても私はお父さんだ。

 だが、リィにとってはそうではない。おそらく彼女にとっての最大限の地雷だった。


 彼女が俯き、ブルブルと震えだす。

 噴火寸前の火山を目にして、私はおののいた。


「……ダン様は、お父さんなんかじゃない!! ダン様は、リィの、リィの……!!」


 言い終わらないうちに、リィは走り去ってしまった。ああ、また置いてかれる……


「あ、あの、もしかして、悪いことしちゃいました……?」


「いや、いい。気にするな。ほら代金」


「すいません」


 私は手早く会計を済ませると、リィを追いかけた。今回は流石にモタモタしているわけにはいかない。

 リィは街灯に背を預けて俯いていた。


「ああ、良かった……リィ。あの人は悪気があって言ったわけじゃないよ。許してあげてくれ」


 彼女は顔を上げた。

 目の端にわずかに泣き跡を見つける。

 

「……わかっています」


 彼女はそっと私の手を握った。


「……早く、大きくなりたいな」


「リィも年頃だ。すぐに大きくなるさ」


「ダン様みたいに?」


「ええぇ? 私みたいになりたいのかい?」


 リィはニカッと笑った。


「なりたくな――い、ですっ!」


 彼女は私を引いて歩き出した。

 ホッ。良かった、機嫌が直って。


 私たちはいよいよ目的の通りにたどり着いた。

 様々な店が私たちの脇を通り過ぎていく。


 私は色々な店を見ながら、迷っていた。

 グースギアへの遠征ではお土産を買ってこれなかったから、今日はその埋め合わせに来たのだ。いざ、何を買おうかと思うと迷う。

 いつもなら一人でリィが喜びそうなものを選ぶのだが……

 今日はいつものようなものではダメな気がした。


(うーん、何が良いんだ?)


 店を次から次へと通り過ぎると、焦りが出てくる。

 そういえばルゥ君は花飾りを買っていたな……彼らしくもなく、洒落ていて意外性もあって良かった。

 マルテ君にも評判が良かったようだし、私もルゥ君に倣おうか。


 と思っていたら、リィが立ち止まった。

 何かをじっと見つめている。

 視線の先にあったのは……


「……ダン様、リィ、あれが欲しいです」


 宝石のあしらわれたペアリングだった。


「ええ!? あ、あれはちょっと早いんじゃないかい?」


 そういうと、リィはぷくっとむくれた。


「む――……」


「すまない、でもいつかちゃんとしたのを買ってあげるから……」


「……じゃあ、こっちはどうですか?」


 そういってリィが選んだのは、ペアのネックレスだった。

 先端にパズルのピースがついており、一つに合わせることができるようになっている。


「ああ、これなら……じゃあ、買ってくるよ」


 会計を済ませ、早速リィにつけてあげた。

 リィは私につけてくれた。

 パズルを合わせると、リィが嬉しそうに笑った。

 今日一番の笑顔だった。


 買い物が終わると、私たちは鉄道に乗った。

 向かう先は、ゼルンギアから少し離れた、人の少ない辺鄙な場所だ。だが、私はいつかそこにリィと行きたいと思っていた。


 人の少ない車内を、リィと寄り添って座る。

 車窓の景色を眺めながら、ユラユラと揺蕩う時間。

 リィはうとうとしながら私に体を預けた。


 眺める景色が赤く染まるころ、鉄道は目的地にたどり着いた。

 手を繋ぎながら田舎道を歩く。二人の影が長く伸びていた。

 私たちは金色の作物が生い茂る丘の上に座った。


 夕日に染まる畑を見つめ、静かに時を過ごす。

 日が落ちるまで、こうしていたい。


「……ダン様、今日はどうしてこんなに甘えさせてくれたのですか?」


「そうしたかったからさ」


 答えにならない答えを返す。

 しばらく無言の時間が過ぎた。


「……ダン様、また旅立たれるのですね」


「ああ」


「……リィを連れて行ってはくれないのですか」


「ダメだ。私達は魔物出現の謎を解きに行く。次の旅はさらに危険なものになるだろう。力の足りない君を連れて行くわけにはいかない」


「…………」


 彼女はまた黙り込んだが、やがて体が震えだした。


「……嫌です。ダン様はずっと私と一緒にいると言ってくださいました」


「君を一人にしないという意味だよ。必ず帰ってくる」


「……本当ですか? 絶対に死にませんか?」


「ああ」


「……わかりました」


「いい子だ」


 私はリィをそっと撫でた。

 彼女は俯いたまま、身体を震わせた。


「……すまない」


 彼女の耳にそっと囁いた。

 その時、彼女の牙が閃いた気がした。

 強引に草むらに倒され、抑えつけられる。

 ……すごい力だ。


「……やっぱり嫌です!! リィは、もう片時もダン様の傍を離れたくありません!! どうか、どうか、傍に置いてください!! リィが弱いというのなら、きっと強くなって見せます! ワース様よりも、ダン様よりも!! だから、お願いです……置いて行かないで……」


「……リィ」


 彼女の体から迸る熱を受け、私の中で何かが胎動するのを感じた。彼女と私との間に、分かちがたい力の奔流を感じる。

 これは、この力は……!


「……ダン様、お慕いしております」


 彼女がそっと私に触れる。彼女の熱を受け取ると、私の中でその思いが確信に変わった。


「わかった。リィ、私たちはずっと一緒だ」


「……はい!!」


 私はリィを特異点までの旅に連れていくことに決めた。

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