第15話「覚醒」
闇の波動が頭上に降り注ぐ。
私が闇に飲み込まれる直前、したたかに何かに突き飛ばされた。
大きな影が私に覆いかぶさり、闇の奔流の盾となる。
凄まじい衝撃と爆音が全身を襲った。
(もう、ダメだ)
恐怖が全身を支配した。
今度こそ私は死ぬ。
……だが、その瞬間はいつまで経っても訪れなかった。
「……?」
まだ、生きている。
衝撃はすでに止んでいる。
恐る恐る目を開けた。
……暗い。
すでに周囲は夜の闇に包まれつつある。
とても静かだった。
ぽたり、と頬を熱いものが叩いた。
触れると、ぬるりとした感触がある。
手についた液体を目にする。
闇の中にあってなお、痛々しい赤色が目に入った。
(……血?)
その雫は、なおも私の頬をしとどに濡らしていた。
顔を上げる。
目の前に、赤く染まったルゥの顔があった。
「ルゥ!!」
ルゥは口から血をこぼしながら喘いだ。
「ぐぶっ……オレの魔力結界を……貫くとは……!!」
ごぼりと口から血が溢れる。
「ル、ルゥ! しっかりして!!」
ルゥの頭を手繰り寄せ、背中を見る。
(……!!)
衣服が消し飛び、どす黒い傷跡が出来ていた。
ぬるりと、嫌な感触が手に残った。
「バカ、離せ……! エトを呼んで、お前は逃げろ……!!」
拒むルゥを、力尽くで抱き留める。
彼の抵抗は弱々しく、体から力が抜けているのがわかった。
「駄目、駄目……! こんな、こんな……! ルゥが死んじゃう!!」
彼を介抱しようとして、私はハッとした。
背後で蠢く影が目に映る。
振り返り、そこで見た光景に戦慄が走る。
「あ、あいつ……!!」
立ち上がる巨人の姿があった。
切り裂かれた足が、煙を立ち上らせながら治っていく。
目を爛々と輝かせ、こちらを見下ろしていた。
口が裂けるように開く。
口腔にどす黒い光が蓄えられていく。
「ま、また撃つ気……!?」
ダメだ。今撃たれては。
ルゥは、ルゥは……!!
ルゥを見る。
彼の目が巨人を捉えている。
目の光はいささかも衰えていなかった。まだ戦う気なのだ。
今から逃げようとしても、もう間に合わない。
ならば、戦うしかない。
ルゥはきっとそう考えている。
……嫌だ。
ルゥが死ぬのも、私が死ぬのも。
……嫌だ。
護られてばかりの自分も、何もできないでいる自分も。
……大事な人を護れないのは、もう嫌だ。
(……熱い)
ふいに、自分の中に沸き立つものを感じた。
小さな熱源が体の中に存在している。
熱は次第に大きくなり、灼熱感を伴って自身の中で胎動を始めた。
(……わかる。これは、私の中にある力の塊。願いを形にするための力)
ルゥの言葉を思い出す。
”――体に内在する力を感じる。熱を持った力の塊を認識するんだ。それを感じたら、次は魔法でやりたいことを想像する。魔力を意思の力で変容させるんだ――”
(……感じる。熱を持った力の塊。……感じたら、変える。大事な人を、護る力に……)
私は片方の腕でルゥを抱え込み、もう片方の腕を巨人に向かって伸ばした。
手を広げ、身体の奥底から力を引きずり出していく。
巨人との間にある空間に解き放っていく。
私はひたすら念じた。そこに、それが存在するかのように。
(……大きな壁。強くて、硬い。決して誰にも破られない……)
私の周囲を紫電が飛び交い始める。
稲妻が枝葉を伸ばし、周囲を渦巻きだす。
「こ、これは!?」
ルゥが驚きに目を見開く。
集中する。
巨人が動く瞬間。
それが、放たれるとき。
(……来る!)
巨人の体が大きく膨らみ、全身に力が漲る。
口から衝撃を放ち、闇が爆発的に噴出した。
今だ。
力を解き放ち、空間に顕現させる。
闇を切り裂き、光の壁が巨人との間に出現した。
闇の波動と光の壁が衝突する。
爆音が辺りを包む。
破壊の嵐が吹き荒れる。
しかしその破壊も、私たちを包む光の壁がことごとく無力化した。
「……結界か!?」
闇の波動が光の壁に弾かれ周囲に拡散し、触れたものを一瞬で砕いた。
街のあちこちに破壊がまき散らされる。
破壊された建物が私たちに降り注いだが、光の壁はそれらの侵入も許さなかった。
「な、なんという強度だ。ハル、これはお前が!?」
「ッ……!!」
ルゥの質問に答えようとして、それをやめた。
今この手にある力から意識をそらせば、闇の波動の侵入を許してしまう気がしたのだ。
「こ、これは……まるで魔法だ。しかし、やはり魔力を感じない。ハル、お前の力は一体……」
ルゥの言葉を無視する。
目の前で展開している力の維持に集中する。
体の内から更なる力を引きずり出し、光の壁に注ぎ込む。それに呼応して、光の壁が大きく膨らんだ。
(……そうか。こうやるんだ)
私は力の操り方を掴みつつあった。私が壁に大きくあれと念じれば、壁は広がる。小さくしようと思えば、それに合わせて収縮する。この力は私の意思に反応し、自由に形を変えることが出来るのだ。
(……それなら!!)
自分の手足の延長のように、力をイメージする。
巨人に向かって腕を伸ばす。
壁の一部が膨らむように伸び、闇の波動を弾きながら巨人に近づいた。
壁に生じた変化に驚いたのか、巨人は攻撃を止めた。
吹き荒れる破壊の嵐が止み、静寂が訪れる。
(……まだ!!)
油断しない。
今にも攻撃を放ってくるかもしれない。
「……おい、いい加減どいてくれないか。回復魔法を使いたいんだが」
攻撃が止むタイミングを見計らっていたのか、ルゥが話しかけてきた。
巨人から目を離し、ルゥを見る。
彼の頭は私の腕でガッチリとロックされており、身動きできないでいた。
「あっ!! ご、ごめん!」
私は慌ててルゥを開放した。彼がよろよろと立ち上がる。
ルゥはすぐさま自身の体に回復魔法をかけ始めた。
「ルゥ、大丈夫!?」
「オレのことは気にするな。これくらいの傷、すぐに治せる。お前はヤツとの戦いに集中しろ!」
「う、うん!」
私は立ち上がり、巨人を再度睨みつける。
その間も、光の壁は維持されていた。一度自分の体の一部だと認識すると、維持するのはそう難しくない。
「そら、来るぞ!」
巨人が咆哮する。
ヤツは姿勢を低くすると、猛烈な勢いで壁に向かって突進してきた。
激しく壁に衝突する。
その勢いのまま、狂ったように壁を叩き始めた。
「な、なにをしようとしてるの!?」
バキバキと耳障りな音が響く。
巨人の腕が砕けているのだ。
それにも構わず、一心不乱に光の壁を攻撃してきた。
ルゥが叫ぶ。
「腕に魔法が付与されている! 俺がやった結界解除の魔法だ! 侵食してくるぞ!」
よく見ると、巨人は腕に青白い光を纏っている。
巨人が腕にまとった青白い光が、光の壁に絡みついた。
「耐えられるか!?」
「んん……わかんない!」
巨人の攻撃はなおも激しさを増している。
血潮が迸り、骨が砕ける。痛みなど感じていないかのように、飛び出した骨で光の壁を突き刺してくる。
「あっ!?」
執拗に一点を攻められ、ついに光の壁に綻びが見え始めた。
巨人はそれを見るや、猛烈な連打を仕掛けてきた。
徐々に壁の綻びが広がっていく。
「だ、ダメ! も、持たない!! 破られちゃうよ!!」
壁に力を集中するが、巨人が結界を解除する方が速い。
今もなお、鮮血をまき散らしながら、しきりに壁を叩いている。
(ど、どうしよう、どうしよう!?)
額に汗が浮かぶ。
焦りに体が震え始める。
その時、ルゥが叫んだ。
「ハル、攻めろ!!」
「えっ!?」
「あの石を砕いた時のように、ヤツを砕いてやれ!! お前ならできるはずだ!!」
ルゥの言葉にハッとする。
そうだ。これまでに何度もやってきたではないか。
むしろ私は、潰す方が得意なのだ。
(今までは無意識にやってきたけど……今は違う! 感じる。今までより、ずっと強い力……これなら、やれるはずだ。……やらなきゃ、終わりだ!)
左手を固定し、光の壁の維持に集中する。
右手を引き、何かを掴む形に構える。
強く、大きな腕。
その腕が、巨人を握りしめる。
空間に力が流れ出し、空中に見えない腕を形作る。
巨大な手がガッチリと、巨人を掴んだ。
(……今!!)
念じた瞬間、自らの右手に力を込め、力いっぱい握りしめる。
直後に、巨人の体が引きつったように硬直し、骨の砕ける音がした。
(できた!! この力で……!!)
巨人の体に巨大な指の形のような凹凸ができている。
ギリギリと、万力を締めるときのような軋みを感じる。
巨人の絶叫が街に響き渡った。
「な、なんという力だ。オレの魔法の比じゃない……魔力結界ごと握りつぶしている」
ルゥが戦慄を顔に滲ませた。
「ぐっ、くううぅぅっっ!!」
右手が痛みに軋む。
石やアルミ缶をつぶした時とは違う、硬質な抵抗を感じた。
私の手の中で、ゴツゴツとした何かが暴れまわっている。
目の前では巨人が頭を振り回しながら、激しく身じろぎしていた。
両腕に青白い光が灯っている。
「腕に魔力を集中している! 無理やりこじ開ける気だぞ!」
「う、うああぁぁ!!」
手の中に生じた抵抗が急速に強まった。
私の手を抜けだそうともがいているのがわかる。
「オレの剣で……ぐっ!」
ルゥが剣を握ろうとし、よろめいて膝をついた。
「ま、魔力が足りねぇ……!」
ルゥが剣に寄りかかりながら呻いた。
(どうしよう、ルゥには頼れない……!)
何かないか、何か……
今、右手は攻撃に、左手は防御に使っている。手一杯だ。
他に使える力はないか、他に……
……そうだ。
「ルゥ。今から私、結界を解く。だからもしダメなときは、私の体を守って」
「なに!? どうする気だ?」
「……ご、ごめん、うまく説明できない! とにかくお願い!」
「わ、わかった!!」
私は大きく息を吐き、精神を集中した。
左手の力から発生している壁を意識する。
力の塊を意識から外さず、結界を解く。
壁が消え、そこに力の奔流が残るのを感じた。
(……で、できた! この力を、そのまま……!!)
力を維持したまま、形を変質させる。
狙いは、巨人の頭上。そこに想像する。
全てを押しつぶす、巨大な
私は力をためる。ためる。ためる。
まだだ。まだ足りない。
もっと大きく、硬く、強く。
(……できた!!)
手の中に、大質量の物体を感じた。
ひたすら固く重く、黒い。
私の目に、光を飲み込むような漆黒の
私は槌に向かって命じる。
(……落ちろ!!)
私の腕から紫電が発生し、巨人の頭上へと伸びる。
紫電が槌を貫いた時、巨人の上半身が消滅した。
上半身は一瞬で紙切れのように圧縮され、下半身に埋もれる。
一拍遅れてすさまじい衝撃波が周囲を襲った。
(もっと、もっと!!)
巨人は下半身だけになりながら、なおも抵抗していた。
片膝をつき、筋肉を軋ませながら必死で槌を押し返そうとしている。
(……させない!!)
私は自由になった右手をゆっくりと移動させた。
巨人の足にそっと添えるように動かす。
右手に力を込めると、巨人の体は折りたたまれるように押し潰された。
地面に巨大なクレーターが穿たれる。
……それきり、巨人は沈黙した。
「ハァ……ハァ……」
全身にみなぎっていた力が抜けていく。
妙な解放感に包まれながら、私はその場に立ち尽くした。
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