第16話「戦うということ」
地面に巨大なクレーターが穿たれている。
周囲は静まり返り、動くものはない。
「た、倒した……?」
「ハル!」
ルゥが駆け寄ってきた。
「ルゥ! もう大丈夫なの?」
「ああ。ほとんど魔力は残ってないがな」
あ、すごい。
あんな大きな傷だったのに、完全に塞がってる。
「すごいね。さすが凄腕魔法使い」
「よせ。お前の方がすごい。オレが貫けなかった結界を力づくでねじ伏せたんだからな。一体どうやったんだ?」
わっ、ルゥに褒められた。珍しい。
「ん~、咄嗟にルゥを守ろうとしてやったから、ちょっと説明しづらいかな……あ、でもルゥの授業が役に立ったかもしれない」
「授業?」
「ほら、自分の中の力の塊を意識して、それを変容させる~ってやつ。あれをやってみたらなんかうまくいったよ」
「本当か? 全く魔力を感じなかったぞ」
「魔法じゃなくて超能力だからね」
「超能力……? 超能力か……」
ルゥはブツブツとつぶやきながら考え込んでしまった。
改めて巨人のいた場所を見る。
……凄まじい。
まるで、隕石が落ちた跡だ。
巨大なクレーターが穿たれている。
これを私がやったのか。
……本当に? ルゥや巨人の魔法もすごかったが、明らかにそれ以上に威力だ。こんな力が眠っていたなんて……
クレーターの淵に立ち、底を覗き込む。
しかし、何も見えない。
すでに夜の帳が降りており、底は真っ暗だった。
「もう日が落ちちゃったね。何にも見えないや」
「……光を作るか。それくらいの魔力は残っている」
ルゥが空に向かって手をかざす。
「”光の精霊よ、顕現せよ”」
中空に光球が出現し、周辺を明るく照らした。
「……うっ!!」
血だまりと、肉塊。
底に転がっていた。
思わず嘔吐感がこみ上げ、口を押える。
「ハル、お前は見るな。少し離れていろ」
血だまりから背を向け、その場で少し吐きだす。
「魔力反応なし。完全に死んでいるな。さて、どうしたものか」
地面にぺたりと座り込む。
全身に虚脱感があった。
別に力を使いすぎたという感じはしない。
多分これは、精神的なものだ。
先ほどまでの戦いは、命を懸けたものだった。
一歩間違えれば、私は死に、ルゥも死んでいた。
そのことを改めて認識する。
安堵感と疲労感が全身を支配していた。
「怪物の各部位を封印し、魔導院へと手渡す。魔導院の応援と、軍の連中も呼ぶ必要があるな……」
ルゥの呟きが聴こえる。
じっと瓦礫を見つめた。
なんてことはない、砕かれた建物の破片だ。
その端から、赤い布のようなものが飛び出している。
何かがこの下にあるのだろうか。
(え……? ま、まさか……)
嫌な予感があった。
下にあるものを想像し、血の気が引く。
(ア、アキちゃん)
震えながら瓦礫に手を伸ばす。
その裏に、アキちゃんの体がないことを祈りながら。
少しずつ、少しずつ。
礫が隠していたものが露になる。
見たくない。そう思いながら、どうしても手を止めることが出来ない。
私の目が見開く。
その下には――
――小さなウサギ頭の獣人が、二体横たわっていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
くぼみに、小さな獣人が二人埋まっている。
二人は服を着ている。
寄り添うように互いを抱きしめ合っている。
一見すると眠っているようだ。
だが、口から大量の血を吐いた跡があり、息絶えていることがわかる。
衣服がどす黒く染まっていた。
(……違う。怪物じゃない)
二人の小さな手。
互いにキュッと結ばれていた。
体の一つ一つの特徴は、怪物によく似ている。
だが、小さく弱く、互いを護りあうその姿が、怪物であることを明確に否定していた。
(ま、まさか。……まさか)
己の中に芽生えた疑惑。
それを必死で否定しようとした。
「……あ」
息をすることを忘れ、その場に尻もちをつく。
「あ……あぅ」
視界が揺れる。目の前の光景を脳が理解することを拒否する。
(そんな。だって。何もないって。今日一日かけて確かめて。……でも、この子たちは。……じゃあ、あの怪物たちは)
否が応でも、思考は巡る。
この子たちは、この街の住人たち。
そして仲睦まじく暮らしていたところ、どういうわけか仲間たちが豹変する。
怪物となり、暴れまわっていたところ、ルゥや私に……
(……あ、あのときの、夢で……)
不意に、微かな記憶が浮かぶ。
街を無邪気に走り回るウサギ頭の小人たち。
魔法を見てはしゃぐ姿。
花飾りを手渡す小さな手。
おぼろげながらも、私は確かに見た。
この世界に来る前の夜。不思議で怖いあの夢。
その中で、人と共に生きるこの子たちの姿を。
目の前の現実と、夢の中の光景が交錯した。
「おいハル。……ハル? どうかしたのか?」
足音が聞こえる。
ルゥが近づく音。
彼が私の傍にしゃがみこむ。
震える身体で、彼を振り向いた。
「……ルゥ。ルゥ。私が戦っていたのは、なに?」
声が震えた。
ガチガチと歯が鳴り出す。
私の視線を追い、ルゥがそこにあるものを見る。
「っ! ……これは……まさか、生き残りがいたのか!?」
生き残り。
その言葉を聞いた時、私の目から大粒の雫があふれ出した。
「……うう、うええええぇぇ。えええええええええ」
嗚咽が漏れだす。
涙と鼻水であっという間に顔がびしょびしょになる。
「……ハル」
「ル、ルゥ。わた、私が戦っていたのは、なに? この子たち、なに? あの怪物は?」
「ハル、落ち着け」
「わ、私が、この子たちを潰したの? 私が、こ、殺したの?」
「そうじゃない、ハル」
「どうして? わ、わたしがこの子たちを、殺したんでしょ!?」
声は悲鳴になり、ルゥに掴みかかって叫んだ。
駄々をこねるようにルゥの体を揺する。
「落ち着くんだ」
「ルゥが言ったんじゃない!! 生き残りだって!! こ、この子たちは、この街に、住んで……!!」
不意に、抱き寄せられた。
熱い。ルゥの腕が、身体が。
「”静寂の風よ、鎮めよ”」
ルゥの呪文が耳朶を打つ。
……温かい。
すぅっと体が楽になっていく。
震えが止まっていく。
だが、それでも……涙は止まらなかった。
「……だから、お前を戦わせたくなかったんだ」
ルゥが優しく、諭すように言った。
呼応するように、彼の手を握る。
「……うん。約束破って、ごめん」
「謝ることはない。お前もオレも、こうして生きている。お前のおかげだ」
その言葉に安堵する。
そうして、私は涙が止まるまで、彼に体を預けた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
私たちはくぼみの前に立ち、それを見下ろした。
「この街には古くから住みついた獣人の一族がいた。彼らは魔王がいなくなり、街が滅んだあともこの地にひっそりと生き続けていた。前回の調査時も、廃墟の影に潜むように暮らしていたようだ」
「私を襲った怪物は、この街の住人だった……?」
「この地に現れた怪物との関係はまだ不明だ」
「……違う生き物かもしれないってこと?」
「いや。住人が死体も残さず消え、その直後に怪物が現れたことから、その可能性は低いとみている。おそらく怪物は獣人が変化したものだ」
「……そっか」
「……この二人も、とっくに怪物になっていたかもしれない」
横たわる二人を見る。
互いを護るように抱き合うその姿は、とても怪物とは思えない。
私はふと、彼らが兄弟で、この地に唯一生き残ったことを想像した。
……彼らの姿に、私の良く知る姉妹の姿が重なって見えた。
「ハル。こいつらは怪物だったかもしれないし、怪物の攻撃で崩れた瓦礫に潰されて死んだのかもしれない。全てが自分のせいだと考えるな」
「……うん」
「すべてはお前を守り切れなかったオレの責任だ。だから今、お前が悔やんでいることがあるとしたら、それはオレに預けろ。お前は何も悪くない」
「うん、もう大丈夫。それに、私はルゥのせいにするつもりはないよ」
「……そうか。お前がそれでいいならオレが言うことはない」
彼の言葉に、静かに頷く。
……今ならここに来る前にルゥが言ったことの意味がよくわかる。
戦うということ。それが一体何なのか。
少なくとも、言葉でわかるようなことではないのは確かだった。
「ハル、ちょっと言いにくいんだが、これからオレがすることを黙って見て……いや、見ないでくれないか」
「え? なんで? なにするの?」
「こいつらの首を切り取り、封印して持ち帰る」
「ええっ!? なんで!?」
たった今、横たわる二人に私とアキちゃんを重ねていた時に、何を言い出すのか。ちょっとあまりに酷すぎないか。
「魔導院に提出し、調査してもらう。これは必要なことだ」
「なんで首だけ!?」
「調査には最低限首だけあればいい。それ以上は荷物になる」
二人を見る。
首を斬る。
……いや、いやいやいや。
それはあまりにも、可哀そうだよ……
「な、なんとかならないの? 離れ離れにするのは、可哀そうだよ!」
ルゥは難しい顔して腕を組んだ。
「こ、この子たち小さいし、持って帰るだけなら、なんとか……!」
ルゥは目を閉じている。
しばらくそうしていたが、やがてため息をついて口を開いた。
「……この程度なら持っていけないこともないか。そのままの方が調査に役立つのも確かだ」
「……そ、そうだよ!」
やった。
言ってみるものだな。
ルゥは二人の亡骸の前にしゃがみこむと、体にそっと手を添えた。
「”時よ、凍り付け”」
ルゥの手から光の波紋が広がり、亡骸を包む。
波紋はしばらく全体を波打ち、やがて消えた。
亡骸はわずかに発光している。
「対象の変化を止める魔法だ。この光が消えない間、腐敗や崩壊を防ぐことができる」
「え、すご。そんなこともできるんだ」
食べ物の作り置きに使えそうだな。
私も超能力でできるだろうか。
……いや、ちょっとイメージできないな。
「ハル、エトを呼んでくれ」
「わかった」
犬笛を吹く。
エトはあっという間に現れた。
すぐ近くに待機していたのだろうか。
「早いねー、偉い偉い」
エトは尻尾を振りながら私に体をこすりつけている。
喉を撫でてやると、目を細めて嬉しそうにした。
たぶん一人ぼっちで寂しかったんだな。
「こいつは心配いらんと言ったろ」
「うん。これからどうするの? 街、こんなになっちゃったけど」
街には巨人と戦った破壊の爪痕があちこちに残っていた。
私が転移した家もたぶん壊れているだろう。
アキちゃんは……ここにはいなかったんだと思いたい。
「ここは魔導院と軍を派遣し、大規模な調査を行うことになるだろう。後は奴らに任せればいい。お前の妹は……きっと別の場所にいる」
「……うん。ありがとう、ルゥ。私、諦めないから」
「ああ、わかっている。……だが、今は宿に戻ってゆっくり休みたい」
ルゥは弱々しく言った。
同感だ。
今日は肉体的にも精神的にも疲れた。
今なら昼過ぎまで寝ていられる自信がある。
寝坊助と言われても構うものか。
「はぁ、私も疲れたよ。帰ろう?」
「今からだと急げば日付が変わる前にもど……ん?」
不意に、ルゥが胸元に手を当てる。
彼が首から下げたペンダントが、赤く光りながら鳴動していた。
「あれ? どうしたの、それ」
ルゥの顔が強張り、目つきが鋭くなる。
「……緊急の知らせだ」
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