第17話「調査隊、闇との対峙」
ハルとルゥが魔都に向けて旅立った後。
街の中心では三人の男女がお茶をすすっていた。
「うまくやっているのかねぇ……ルゥ君は」
ミルクと砂糖の甘い香りのする湯呑を傾けながら、ダンが呟く。
すでに日は落ち、夜の帳がおりかけている。
街は精霊の出現を待つ人で溢れていた。
「……ルゥは優秀です。何も心配はいりませんよ」
果物の豊潤な香りのする湯呑を見つめながら、マルテが答える。
「うん、ルゥ君の能力は私も認めている。だが、私が心配しているのはそこじゃないんだな」
「ダンの言いたいことはワシもよくわかるぞ」
清涼な香りが漂う湯呑をすすりながら、ワースが同意した。
「あやつ、ハルに粗相して、二、三発ひっぱたかれてないかのう」
「なッ……!!」
ワースの言葉に、マルテが腰を浮かす。
尻尾がピンと立ち上がった。
「おや。私は逆にルゥ君がハル君をないがしろにしすぎるんじゃないかと心配しているが。ルゥ君にそんな甲斐性はないだろうに」
ダンが意外だとばかりに目を見開く。
「いやそれがな、あいつも意外とやるんじゃぞ。昨日は手をつないどったし、会ったばかりの時は乳を揉もうと――」
「昨日はワース様がけしかけたからでしょう!? 魔都でのことは……何かの間違いに決まってます!!」
マルテがヒステリックな声を上げてワースの言葉を遮った。
ワースがニヤリと笑う。
「ほほ~う。マルテが熱くなるとは珍しいのう」
「う……!!」
マルテはしまったとばかりに口をつぐみ、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「ははは。今日のマルテ君は一段と可愛らしいな」
「……ッ!! ……忘れてください」
「マルテももうちょっと素直になればいいのにの」
マルテは居たたまれないとばかりに顔を伏せてしまう。
犬耳がぺたんとへたり込んだ。
「ワース、それ以上は無粋というものだ。あんまり人の仲に口をはさむものじゃないよ」
ダンがたしなめると、ワースは頬を膨らませた。
「なんじゃつまらんのう。ワシはもっと赤裸々な話が聴きたいぞ」
「あなたは仮にも隊長で最年長なんだから、もっと慎みを持つべきだと思うね」
「あーあー、聞こえなーい」
ワースが両手で耳を隠してかぶりを振る。
その様子に、ダンはやれやれと肩をすくめた。
「さて、議論も尽きたようだし、あとは宿舎で二人の帰りを待つとするかね」
ダンが腰を浮かせかけ、その場を後にしようとする。
その時、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
「失礼する!」
髭をたくわえた強面の男が部屋に踏み込んだ。
彼の剣幕に、部屋の中の面々の表情が引き締まる。
「どうした? ザング兵長」
ワースが尋ねる。
「ベランダへ」
ザングと呼ばれた男は理由を答えず、一同に外に出るように促した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「街の西、およそ5000ソルのあたりだ」
ザングは西の草原を指さした。
その先に、ゆらゆらと蠢く影のようなものが見える。
周囲は闇に包まれ、その正体が何なのか判然としなかった。
「ふむ」
ワースは杖を抜くと、それを空に向かって掲げた。
「”光の精霊よ、顕現せよ!”」
街の上空に忽然と巨大な光球が現れる。
太陽のごとく強烈な光が、街の周辺一帯を照らし出した。
「……これは」
ダンの顔が不敵に歪められる。
西の草原を見つめる視線が一様に鋭さを増した。
それは遠目には黒い小山のように見えた。
だが、頂上付近で怪しく輝く二つの光点。
それが、ゆらゆらと上下に揺れる。
「あ、あれは一体……」
マルテが息を呑んだ。
光点は地平線よりも高い。
あれが頭部だとすれば、今いる建物の最上階よりも高いことになる。
やがて、光の精霊に照らされ、近づいてくる者の正体が露になった。
長い二つの耳に、口から零れ落ちる醜悪な液体。
頭部は野生の獣のようだが、身体は筋骨隆々の人間のようだ。
半人半獣の巨大な怪物が、ゆっくりと街に近づいてきていた。
「……バケモノめ。この街に眠る魔力源に惹かれたか?」
ワースが怪物を睨みつけて言った。
「日没後に門に待機していた部下が発見した。前触れなく突然現れたらしい」
ザングが額に汗を浮かべる。
「ヤツは程なくしてこの街に到達するだろう。今しがた住民を東側に避難させているところだ」
にわかに街は騒然としている。
階下から、動揺した人々の悲鳴や怒号が聞こえてきていた。
「ワース。あれが魔都の怪物かい」
ダンがワースに尋ねた。
「そのようじゃな。報告よりちとでかいが」
「……報告にあった個体の30倍は体長があります」
マルテが双眼鏡を覗き込みながら言った。
「ふむ。ルゥ君がしくじったかな?」
「いや、あの速度ではルゥが魔都に向かうより時間がかかるじゃろ。おそらくこの付近に潜んでいたんじゃ。……全くどこに隠れておったのか」
「さて、どうするね」
「倒すしかあるまい。街から離れているうちに、なるべく早くな」
「……私にやらせてくれないか?」
ダンが紳士的な笑みを浮かべながら言った。
ワースが疑いのまなざしを向ける。
「えー……、おぬしが? そこはかとなく不安なんじゃが」
ダンは穏やかな笑みを湛えたまま、ワースの返事を待っている。
「……はぁ、街に被害が及ばんようにな」
ワースがため息をついて言った。
その言葉を聞いた瞬間、ダンの表情が野獣のような獰猛な笑みに変わる。
口角が耳まで裂けそうなほど吊り上がり、目が獲物を狙う動物のように鋭さを増した。
「承知したぁ!!」
ダンが背負っていた杖を抜き放つ。
飾り気のない無骨な杖が、精霊の光を受けて鈍く輝いた。
「ああ……ぞくぞくする。これから、全力で己の魔力をぶち込めるんだ。こんな機会は滅多にない」
杖を見上げながら、恍惚とした表情をして言った。
「おい、手加減しろよ」
ワースがぼやいたが、ダンは無視した。
杖を勢いよく振り、怪物のいる方向に向ける。
「”大地の鎖よ! 顕・現・せよ!!”」
ダンは一拍置きながら大仰に唱えた。
「あーうるさい」
ダンの大声に、ワースが耳を塞ぐ。
大地が鳴動し、怪物の足元にいくつもの亀裂が走った。
裂け目から赤い鎖が幾重にも飛び出し、蛇のように怪物の四肢に絡みつく。
鎖に足を取られ、怪物の歩みが止まった。
「さぁ~、いい子にしてるんだよ~」
ダンが舌なめずりをした。
杖を怪物に向け、銃のように構える。
「ふぅぅぅぅ……」
深く息を吐く。
吐ききると、ゆっくりと空気を吸い込む。
吸気と共に、全身に魔力が漲る。
「はぁぁぁぁ……」
手から莫大な魔力が杖に流れ出す。
握った部分から光が灯り、少しずつ先端へと伸びていく。それと共に、大気を軋ませるような金切り音が響きだした。
「おいおい、大丈夫なんじゃろうな? 街を壊したら本末転倒じゃぞ!」
答えは返ってこない。
ダンの目は怪物を見据えたまま動いていない。
「……来た、来た来た来た来た来たぁッッ!!」
杖に光が満ち、ダンが叫び声を上げた。
「マルテ、ワシ嫌な予感がしてきた」
「ワース様、私も嫌な予感がします」
「おいおい、しっかりしてくれよ。魔導院の皆さんよ」
ザングが不安そうに尋ねると、二人は静かに頭を振った。
「貫けぇッッ!!!!」
ダンが咆哮し、杖から小さな光弾が放たれる。
光弾はすさまじい速度で空気を切り裂き、一瞬で怪物へと到達した。
着弾した瞬間、閃光が一帯を白く染め上げる。
一拍遅れて爆発が発生し、怪物を草原ごと飲み込んだ。
大地が砕け、木々が根こそぎ吹き飛ぶ。
やがて衝撃波が街に到達する。
街を囲む塀の一部が吹き飛び、街灯のガラスが割れ、軒先の鉢植えが砕けた。
「だあああぁぁぁぁ!! 加減せいとゆーたじゃろーがあぁぁぁぁ!!」
ワースがベランダの縁に掴まりながら叫んだ。
マルテが床に伏せ、ザングが壁に掴まり衝撃波に耐える。
ダンだけが恍惚とした表情で立っていた。
「気ん持ちいい……」
と、笑みを浮かべながら呟く。
「どアホ!!」
ワースが杖でダンを叩いたが、ダンは微動だにしなかった。
「これが噂に聞く導師の大魔法か……!! 戦略級と言われるわけだ!」
ザングが衝撃に耐えながら呻いた。
「このアホみたいに威力だけ高めても、戦略にならんわ!」
衝撃と閃光が収まり、着弾した辺りに濛々とした煙が立ち込める。
衝撃から解放された面々が立ち上がりだした。
「全く……なんちゅう威力じゃ。修繕費の件で、また議会から叩かれるぞ……」
「ダンさんの給料から引いてもらいましょうか」
「全然足らんわ……」
ワースとマルテがダンを睨みつける。
ダンの目は爆発の跡に釘付けになっていた。
「さあ、さあさあさあ! どんな姿になっているのかな!? 早く見せてくれ!!」
ダンが両腕を広げ、目を剥いて言った。
「聞いてませんね、これは」
「魔導院から追放したくなってきたわ」
煙が徐々に薄れていき、ダンの目が期待を込めて輝く。
黒い影が輪郭を取り戻していく。
……それが姿を現した時、ダンの表情が固まった。
「……な……んだと」
「なに!?」
「そんな!?」
一同が絶句した。
視線の先。
爆発の傷跡の上。
一切の傷を負うことなく、佇む怪物の姿があった。
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