2章:竜嵐
第1話「旅の仲間」
足取り軽く、どこへともなく私は歩いている。
宿舎を出発し、変な占い師のいた道を通り過ぎ、人でごった返す中央区へ。
どこも昨日とは別種の喧騒があった。
(やっぱりみんな……昨日のことで持ちきりだなぁ)
それも当然だ。昨日この街は地図から消えてしまうところだったのだ。
避難を命じられた住民たちは直接戦いを見てはいないが、それでも爆発や閃光を感じたはずだ。何があったのか、しきりに話していた。
(んん? でも、なんかさっきから……)
気になる。
視線を感じる。
なんか、みんな私を見てない? いや、みんなというか、時々見られている感じがするというか……
おかしいな。今の私は普通の服を着てるんだけど。
視線から逃げるように中央区を通り過ぎる。
路地裏に入り込み、視線を感じなくなった。
私はホッと顔を上げる。
(……あっ。ここは……)
顔を上げた先に見える、小さな家。
壁に寄り添うように花が咲いている。
一昨日、ルゥと入り、服をいただいた店だ。
(良かった。どこも壊れてない)
戦いの影響が見られない様子に安堵する。
何気なく店を眺めていると、不意に扉が開く。
品の良い女性が中から現れ、私に気付いて微笑んだ。
「あら? こんにちは。今日は店は休みよ」
「こ、こここ、こんにちは」
思いがけない遭遇。
こうなると、どうしようもない。私は盛大に吃った。
ああ、ここにルゥが居てくれたら。静寂の風で私を喋れるようにしてくれるのに。
逃げ出したい衝動が沸々と湧き上がった。
「あれ、その服……うちの商品よね。いらっしゃったことがあったかしら」
ギクリ。まずい。この服はワースさんから持っていっていいと言われたものだ。この店員さんはそれを知らない。盗まれたと思われるかもしれない。
「あ、う、こ、これは、一昨日この店で店員さんから頂きまして……」
しどろもどろに答える。
ますますまずい。これは盗人の反応だ。怪しすぎる。
だが、女性は何かを察した様子で笑った。
「ああ、あの時の。そんなに怯えなくても大丈夫よ。ちゃんとお金はいただいてるから」
「そ、そうですか。良かった……」
なんだ。ワースさん、ちゃんと払ってくれてたのか。
良かった、非合法な手段を使ってなくて。
「あの時はびっくりしたわよ。いきなり店を貸してくれって言われて。でも、導師様から頭まで下げられたら、断れないわよね」
あっ、そうか……!
あのとき、色々おかしかったもんな。
ワースさん、こうやって事前に根回ししてたのか。
この分だと、夕食の店もワースさんの差し金だな。
なんだ。ルゥが私のために用意してくれたのかと思ったのに。
「その服、気に入ってくれた?」
「え? あ、はい。すごく可愛くて動きやすいです。気に入ってます」
彼女は満足げに笑った。
「ふふ。よく似合ってるわよ。こうやってうちの服を着てくれているのを見ると、私もうれしいわ」
似合ってる? えへへ、お世辞でもうれしいな。
と、浮かれかけたところで、中央区でのことを思い出した。
「……あの、ここに来るまで、いろんな人にジロジロ見られたんですけど、どこか変じゃないですか?」
私の質問に、彼女は目を見開いた。
何言ってるの、という感じだ。
「そりゃあ、あなた目立ってるもの」
え!? 目立つ!?
教室の隅で石ころのようになっていた私が?
「ああ、誤解しないで。恰好におかしなところはないわよ。そうじゃなくて、今街に噂が流れているのよ。『街を襲った怪物が、女の子に倒された』ってね。あなた、その女の子の特徴と一致してるのよね」
えっ? そ、そそそそれは……見られてた、ってこと?
そんな。ワースさんの話じゃ、住民は避難してたって……!
あっ、もしかして、門にいた兵隊さんが噂を流したのかな……
「……あなたが、この街を救ってくれたんでしょう?」
私が押し黙っていると、彼女が言った。
彼女を見る。とても優しい目をしている。
……どうしよう。なんて言えばいいんだろう。わかんないよ。
困った私は、「あー」とか「うー」とか変な声を出してしまった。
そんな私の反応を肯定と受け取ったのか、彼女は続けた。
「私、この街が気に入って住み続けて、十年になるの。この街が好きよ。他の人もきっと同じ。だから、こんなこと私が言うのはおこがましいかもしれないけど……私たちの街を守ってくれて、ありがとう」
そういって、私をまっすぐ見据えた。
「あ、う……どう、いたしまして……」
「見た目は普通の女の子なのに、すごいわね。まあ、あの小さな導師様の知り合いなんだから、あなたも高名な魔法使いなんでしょう? もしかして、あなたも導師様とか?」
「そ、それは……」
言えない。実は『導師』が何なのか知らないって。言葉自体はたまにワースさん達が言ってるから、聞いたことはあるんだけど。
「ふふ、もしかして秘密だったかしら。魔導院の方は身分を明かされないことも多いものね」
「はい……秘密です……」
そういうことにしておこう。
あとでワースさんたちに『導師』が何なのか聞いておかねば。
「……あら、もう行かないと。引き止めちゃってごめんなさいね。またうちに寄って頂戴」
「は、はい……また伺います」
彼女は手を振りながら、路地の奥に消えていった。
彼女が去るのを見守ったあと、私は来た道を戻りだした。
……奇妙な高揚感が体を包んでいる。こんな間隔は初めてだ。
あんな風に感謝されることなんて、今までなかった。
(……そっか。私はあの人たちを助けられたんだ……)
熱に浮かされたまま、フワフワと道を歩く。
いつの間にか、中央区の通りに出ていた。
足を踏み出したところで、はたと気付く。私の周囲をたくさんの人が囲んでいた。
「え」
……見られている。たくさんの、目が。
視線が、突き刺さっていた。
(えっ、どうしよう、どうしよう。戻りたい……)
「嬢ちゃんが、街を怪物から救ってくれたのかい?」
彼らの内の一人が口火を切った。
「え? あ、う……」
思わずもじもじしてしまう。
……あ、でも、やばい。このパターンはさっきと一緒だ。肯定しているのと同じことだ。
案の定、次々と言葉を投げかけられる。
「うちの子と同じくらいの年にしか見えないのに、すげえなあ!」
「君、魔導院の導師なんでしょ? どんな魔法を使ったのか教えてくれないか? いや、私を弟子にしてくれないか!?」
「息子が街の兵士なんだよ。あんたがいなかったら死んでたかもしれねぇ。お礼を言わせてくれ」
「爆発が見えたときは何事かと思ったよ。噂には聞いてたけど、流石導師様だね」
言葉の洪水をワッと一気に浴びせかけられる。
待ってほしい。頭が混乱して聞き取れない。
何も話せない……
「え、えと、あたし……」
誰の目も見ることができない。
逃げたい。
俯く私に、小さな影が歩み出した。
子供だ。私の妹と、同じくらいの……
「ねえ、お姉ちゃん。この街、もう大丈夫なの? また怪物、やってこない?」
(えっ。そ、そんなこと聞かれても……わからないよ!)
「お願いします導師さま。また私たちを守ってください」
その一言をきっかけに、私を囲む人たちの目の色が変わった。彼らは一様に期待を込めた眼差しを向けてくる。
「そうだ、また怪物が来るかもしれない!」
「お願いします、また私たちを守って!」
「導師様、どうかこの街にいてください……」
彼らの声が悲痛な響きを含みだす。
「……ッ! こ、ご、ごめんなさい、私、何もわからないんです……!」
逃げ出した。
耐えられなかった。
振り返らずに、一目散に走った。
走って走って、どこだかわからない通りをひたすら進んだ。
「ハァッ、ハァッ」
喉が冷たくなり、お腹が痛くなっても走った。
誰もいないところに行きたかった。
視界が白濁し、足がもつれる。
そうして力を使い果たした私は、とうとう転んでしまった。
「あつっ! ……ハァ……ハァ……」
ぐらりと、だらしなく寝転んで仰向けになる。
空が青かった。
周囲に人影はない。安堵した私は、しばらくぼんやりと空を眺めた。
「……どうすればいいかなんて、私にもわからないよ」
ポツリと、口をついて出る。
……そう、どうすればいいかわからない。
確かに、私には戦う力があるみたいだ。もう一度怪物が襲ってきても、なんとかできるかもしれない。でも……
「……アキちゃん」
私、アキちゃんを探しに行ったんだ。でも、魔都には彼女はいなかった。
本当の所、今すぐ彼女を探しに行きたい。彼女に会いたい。
……けど。
「……この世界のこと、何にもわかんない。どこに行けばいいのかも、わからない……」
私は一体、どうすればいいんだろう。
「あー、そこの可愛いお嬢ちゃん」
不意に、声がした。
誰もいないと思ったのに。
また、何か言われるのか……
億劫になりながらも、顔を上げる。
すると、そこには。
「……ワースさん?」
黒いローブをかぶった小柄な人物が、小さなテーブルの前に座っていた。
いつの間にいたんだ。
「いいからこっちにくるのじゃ」
袖の余ったローブで手招きしてくる。
私は立ち上がり、おずおずとワースさんの前に座った。
「また占い師ごっこですか?」
「……えーい、ちょっとは乗らんか! ワシは大占い師のワースちゃんじゃ!」
そうはいっても、今は遊んでる気分ではないんだけど……
私はしぶしぶ乗ってあげることにした。
「お嬢ちゃん、おぬし今迷っておるな?」
「まあ、はい」
「ふふふ。迷えるおぬしに、このワシが道を示してやろう」
そういって水晶のようなものを取り出した。
水晶に手をかざし、変な動きを始める。
(あ、今度は結構占い師っぽい)
「むむむむ……見える、見えるぞ!」
手をワキワキさせながら水晶に語り掛ける。
どうでもいいけど、手つきが何だかいやらしい。
「とりゃ――ッッ!!」
ワースさんが立ちあがって手を大きく広げると、閃光が周囲を照らした。
まぶしい。光の精霊の無駄遣いだ。
光がゆっくりと収まると、彼女は静かに着席した。
「……ここより遥か北、ゼルンの首都のさらに西に、竜が支配する恐ろしい国がある」
「竜?」
なんだなんだ。いきなりスケールが大きいな。
「数日前、竜王国とゼルンの境目から、魔都に匹敵する巨大な魔力波が放たれたのじゃ」
「……え?」
魔力波? 魔都に匹敵する?
それは、つまり、私が転移したときと同じ……?
徐々に言葉の意味を理解する。
心に沸々と湧き上がるものを感じた。
「放たれたのは魔都グースギアとほぼ同時刻。そこにおぬしの探し人がおるやもしれん」
「ッ! い、行かせてください!!」
一も二もなく口にした。
フードの下の口がニヤリと笑う。
「やれやれ、聞くまでもなかったかのう」
フードを外し、金髪の幼女が顔を出した。
「アキちゃんが、私の妹がいるかもしれないんですね!?」
「うむ。あてもなくさまようよりは、まず行ってみるべきじゃろうな」
アキちゃんが……アキちゃんがいるかもしれない。
その言葉が、私の体に力を取り戻させた。
「じゃがハル、おぬし一人で行く気か?」
私はハッとした。
そうだ。魔力と移転はこの国の国境付近。たぶん、ものすごく遠いだろう。そんなところに、私一人で行くなんて……いや、ワースさん達が来てくれれば……
あ、でも、みんな魔導院というところで働いているんだ。私の個人的な旅に付き合わせるなんてできないだろう。でも、だったらどうすれば……
私が汗をダラダラと流していると、肩をバンと叩かれた。
「水くさいのうハル! おぬし一人で行かせる訳なかろうが! ワシも行くぞ!」
「えっ? でも、ワースさん。この街の人や、お仕事は……?」
「安心したまえ」
突然、後ろから声をかけられる。
路地の裏。大きな影が、壁からひょっこり顔を出した。ダンさんだ。
「この街には魔導院からの応援と、軍が駐留することになっている。中央区にいた皆さんには、ちゃんと説明しておいたぞ。……そしてもちろん、この私も同行しよう!」
ダンさんは力強く自らの胸を叩いた。
「だ、ダンさん」
「もちろん、私もね」
今度は、上から。屋根のあたりだ。
あの特徴的な耳と尻尾は……
「仕事の方も、大丈夫。私たちは元々、魔力特異点の調査のために結成された部隊よ。だから、目的地も一緒なワケ」
マルテさんが屋根の上からヒラリと舞い降りた。華麗に着地し、尻尾が可愛らしく揺れる。
「ま、マルテさん」
彼らが私を取り囲んで微笑む。
徐々に不安が消えていく。
「ほ、本当に……? う、うれしい。嬉しいです……!」
良かった。彼らが来てくれる。
それなら、私も魔力特異点に行くことが出来る。
アキちゃんを探せる!
「あ、でも……どうしてみんな、ここに?」
まるで示し合わせたみたいなタイミングだった。
すると、ワースさん達は顔を見合わせて苦笑した。
「いや、それがのう……ワシはハルのことが心配で、こっそり見守っておったんじゃが……」
照れくさそうに頬を掻く。
「私もだ」
「私もよ」
ダンさんがなぜか自慢げに言い、マルテさんは少し頬を赤くして言った。
「つまり、みんなバラバラにハルのことが心配で見守っておったら、ここで出くわしたという訳じゃ」
「え? みんな、私のことを? ずっと見ていたんですか?」
「そうじゃよ」
それを聞いて、私も照れ臭くなってしまった。
なんか、心がくすぐったい。
なんでこんなに優しくしてくれるんだろう。
……あれ? でも、一人足りなくない?
あいつ。アイツは、どうしたんだ。
私が視線をさ迷わせると、ワースさんがニヤリとした。
「ルゥならそこの影におるぞ。一人だけ出るタイミングを見失っておるわ」
と言ってワースさんが指さす。
すると、そこからガランと何かが倒れる音がした。
「あっ……」
ルゥがバツの悪そうな顔で出てくる。
「……まあ、仕事だからな。ついでに妹探しを手伝ってやろう」
「こいつ照れとるわ」
「うるせぇクソババァ!」
ルゥがワースさんの頭を叩いた。
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