第8話「精霊の夜と魔法の言葉」

 街が夕陽に照らされ、オレンジ色に染め上げられる。太陽が西に沈むのはこの世界も変わらないらしい。


「腹が減ったな。食べに行くか」


「そうだね。また宿屋で食べるの?」


「いや、ちょっと行ってみたい店がある」


 行ってみたい店? どんなところだろう。さっきみたいな変な店じゃないといいんだけど。変な店というか、変な店員だったけど。


 ルゥは来た道を戻るように歩き出した。こちらは中央区の方向だ。たしか、ここに来るまでにたくさん店があったと思う。あの中のどれかが気になったのかな。


(宿屋みたいに美味しいところだといいなぁ)


 街の人通りは少なくなっており、手を繋ぐ必要はなかった。

 ルゥの後ろをゆったりと歩き、道々にある店を眺める。すでに食事をしながら談笑している人たちがいた。


(……あれ?)


 ルゥは次々と店を通り過ぎていく。どの店にも入る様子がない。

 ……そしてとうとうどこの店にも入ることなく、ルゥは立ち止まった。


「え? ここって……」


 眼前に、古風で立派な建物があった。

 思わず建物を見上げる。首が痛くなるほどでかかった。


「入るぞ」


 躊躇なく建物に踏み込もうとするルゥ。


「えっ、えっ、えっ、待って」


「どうした?」


「だ、だって……」


 確か、この建物に入っているのは高級料理店という話だ。

 辺りを見回すと、身なりのよさそうな人しかいない。私は場違いに思えた。


「別にお前の格好におかしなところはない」


 キョロキョロする私を見て、ルゥが言った。

 しかし、そう言われても、すぐには納得できない。

 なおも私は入るのを躊躇した。


「仕様がない奴だな」


「あっ」


 ルゥは私の手を取ると、少々強引に中に引き入れた。そのまま受付まで向かう。


「予約しているルゥだ」


 ルゥは物怖じせず受付に告げた。すごい。私なら絶対吃る。

 ……ていうか、いつの間に予約なんてとったんだ。魔法でも使ったのか。


 それにしても、ルゥの格好も少々場違いに見えるけど。

 本当に大丈夫なのかなぁ……

 ドレスコードがどうとか言われて、追い出されない?


 だが、私の心配をよそに、何事もなく部屋まで案内されてしまった。ずっとフワフワした気持ちだったので、途中のことはよく覚えていない。


 案内されたのは、ほぼ最上階の、しかも個室である。

 見るからに高そうな調度品の数々が視界に入る。それらを豪奢な照明が優しく照らしていた。


 こんな場所は東京にいたときもお目にかかったことはない。私にとっては別の意味で異世界だ。


「こ、こんなところに私がいていいの……?」


「いいに決まっている。後ろがつかえているから早く座れ」


「え?」


 振り返ると、給仕の人たちが後ろに控えていた。食器や料理を運んできたようだ。


「ご、ごめんなさいぃ~!」


 私は急いで席に着いた。

 すると、給仕の人たちは見事な手際で配膳を開始する。

 あっという間に食卓が整った。


 給仕たちは立ち去り、部屋は私たち二人きりになる。

 私は椅子の上でカチコチになって固まっていた。


(お、男の人と二人きりで食事…………)


 いや、宿屋でも二人で食事したではないか。

 でも、ここは……宿屋の気安い食堂じゃない。雰囲気満点の個室だ。

 否が応でも、緊張してしまう。


「結構うまそうだな」


 ルゥは料理を見て平然と言った。いつもと変わらずといった感じだ。


(緊張とかしないのかな……もしかして、こういうの慣れてるのかな)


 ルゥが一口、料理を口に運ぶ。すぐさま気に入った様子で二口目に手を付けた。


 私も料理に目を落としてみる。

 見たことない料理だが、確かに美味しそうだった。

 お腹がすごく減っている。ゴクリと唾を飲みこんだ。

 でも、どうやって食べればいいんだろう。

 チラリとルゥを盗み見てみる。


 ……え、意外。すっごく綺麗に食べてる。

 や、やっぱり慣れてるんだ、こういうの。


 意を決して、料理を食べ始める。でも、見様見真似だ。ルゥを見ながら懸命に料理を口に運ぶ。美味しいのかもしれないが、食べることに必死で味なんてよくわからない。

 私がルゥの方をチラチラ見ながら食べていると、ふいに彼の動きが止まった。


(……ん? どうしたの?)


 不思議に思って彼の顔を見ると、なぜか彼も私を見ていた。

 ルゥの表情はいつもと変わらない。彼はいつも真面目な顔をしており、それ以外の表情をあまり見せない。何を考えているのかよくわからなかった。


 突然、ルゥが私を見るのをやめ、肉を手づかみにしてかぶりついた。そのまま豪快に口で噛みちぎり、ムシャムシャと咀嚼する。


「え?」


 私が呆気に取られていると、さらにルゥは他の料理も手づかみでガツガツと食べだした。さっきまでの食べ方が嘘だったかのように。


「どうした? 好きなだけ食べていいぞ。遠慮するな」


(あ、あれ? この無神経男、もしかして私に気を使ってる?)


 手元に目を落とす。たどたどしく握られた食器が目に入る。


(……なんか、思ってたより優しいのかな。この人)


 私は食べやすいように食器を持ち直し、料理を口に運んだ。


(うん、美味しい)


 私はその後も、いちいちルゥの方を見ることなく食べ進めた。流石に手づかみはしなかったが。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 たくさんあった料理は綺麗さっぱり無くなっていた。

 結構食べたが、ルゥが私以上にドカ喰いしていたので、食いしん坊には見えなかったはずだ。助かる。


 彼はというと、なんとお酒を飲んでいた。歳は私と大して変わらなそうなんだけど、いいのかなぁ。まぁ、日本のように未成年の飲酒が禁止されているわけじゃないんだろうけど。でも、私はやめとこ。


「ごちそうさまでした。とっても美味しかったよ」


 アキちゃんの料理に勝るとも劣らないと思う。


「満足したか?」


「うん。……でも、なんでこんな高そうなお店の個室にしたの?」


 正直、私はもうちょっと気安いお店の方が良かったよ。連れてきてもらって、あんまりな言い草だけど。


「あ――……それはベランダに出ればわかる。そろそろいい時間のはずだ」


 いい時間? 意味がよくわからない。

 ルゥがベランダに出ようとするので、私もそれについていく。


 外に出ると、夜の匂いがした。

 とても見晴らしがいい。下で想像したとおり、街が一望できそうだ。もっとも、今は暗くてよくわからない。


 通りを見ると、たくさんの人が敷物の上に座って談笑していた。お酒を酌み交わしながら、皆楽しそうにしている。


「ねぇルゥ、あの人たちはなんで道に座ってるの?」


「見てればわかる」


「見てれば?」


 ルゥはニヤリとした。


「そら、出るぞ」


「出るって、なにが……あっ!」


 地面に、ポツポツと小さな光が現れた。光は地面から染み出るように現れ、街のあちこちを淡く照らし出す。


「なにあれ! 蛍?」


「ホタル? それがなんだかわからんが、まだまだこれからだぞ」


 ルゥの言葉に、再び街に目を落とした。すると、目を離した隙にも光の粒が増えていた。それらは次々と地面からあふれ出し、星空のように輝きだす。


「……すごい。何これ……星みたい」


 眼下に、オレンジの星々の瞬く海が生まれようとしていた。

 光はさらに密度を増し、通りに溢れ出る。

 無数の発光体は一つの生き物のように群れを成し、街の道という道をくっきりと浮かび上がらせた。


 地上にはオレンジの光の星々が、空には青い光の星々が輝き、自分が宇宙空間に放り出されたような錯覚を覚える。

 私は言葉を失い、しばらくの間、光の海に揺蕩う時間を楽しんだ。


「綺麗……」


 通りの人々が、うっとりとした表情で光を眺めているのが見える。彼らはこれを目当てにやってきた観光客だったのか。この光景をみると、あの人の多さも頷ける。


「流石にここからの眺めは壮観だな」


 ルゥが隣に立って言った。


「これが見たかったんだ」


「ん? ああ、まあな」


 ふと、視界の端に、フラフラと動く光の粒をとらえた。発光体のはぐれが、ここまで来たようだ。


「ルゥ、これはいったい何なの?」


「光の精霊だ」


「せいれい?」


「この街の地下には、何らかの巨大な魔力源が存在している。それが、今の時期になると大地に染み出してくるんだ。その魔力が形を成したのが、光の精霊だ。こんな風にな」


 ルゥは少し得意げな表情で、手を出した。


「”光の精霊よ、顕現せよ”」


 ルゥがそう口にすると、手の中にバスケットボール大の発光体が現れた。明らかに、街に現れたものより大きい。


「わっ、すごい! 自分で出せるんだ!」


「精霊を作り出すのは、基本中の基本だ。昼間、服屋のバカが爆発を起こしただろ? あれも光の精霊によるものだ」


 私は街の光を見る。


「この光ってるの、全部? 家が燃えちゃったりしない?」


「一つ一つは微弱なものだ。フワフワ漂うだけで、何の力もない」


 ルゥは手の中の光を私に差し出した。私はおっかなびっくり受け取ったが、熱くも冷たくもないことを確認して安心した。しばらく手の中で弄んでみる。


「ハル、お前に一つ言いたいことがある」


 ルゥが真剣な顔をして言った。

 何だろう。改まられるとちょっと怖い。


「……なに?」


「お前は少し周りを気にしすぎだ。もっと自分に正直になったほうがいい」


「う、うん……」


 叱責されたと思い、身を縮こまらせた。思わず視線を落とす。

 全く仰る通りだと思います……

 ルゥは続ける。


「お前が何か事情を抱えているのはわかる。それをオレに言う必要はない。だが、もし困っているのなら……助けてほしいのなら、周りを頼っていい。オレを頼っていい。力になる」


 その言葉に、うなだれていた顔を上げた。

 ルゥは真っすぐ私を見ていた。


「言いたいことはそれだけだ。説教みたいなこと言って悪かった」


 ルゥはプイッと顔をそらした。


「……」


 私は何も言えずにいた。

 家族以外でこんなに真剣に話してくれたのは、彼が初めてかもしれない。


(……やっぱり、優しいのかも)


 その後、熱に浮かされたような気持ちのまま、宿屋への帰途についた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 人の少なくなった酒場で、体を投げうつように机に突っ伏す男がいた。

 その姿勢のまま、しきりにブツブツと呟いている。


「疲れた……疲れた……」


「なんじゃその恰好は。情けない」


 彼の向かいの席に、酒場に似つかわしくない少女が座る。彼女は緩やかなウェーブのかかった金髪を揺らして微笑んだ。


 彼女は右半身が露出した黒い服を着ており、半分裸のような恰好をしている。外気にさらした肌には奇妙な模様が走っており、模様の一部分は右目まで達していた。


 机に突っ伏していた男は顔を上げ、少女を睨みつけた。


「おい。なんだあの横やりは」


「助かったじゃろう?」


「ふざけるな。楽しんでいただけだろう。人生で一、二を争うくらい疲れたぞ」


「たわけ。おぬしがうまくやれそうなら黙っておったわ。それがなんじゃ、いきなり泣かせおって。優しくしてやれとゆーたのに」


「う……」


 男は言葉を飲み込み、固まった。


「しかもおぬしときたら、ハルを置いていきそうになるし、言わなくていいことをズケズケ言う割には服を褒めてやらんし、全く気の利かんヤツじゃ」


 少女が一言発するたび、男の頭が下がり、しまいには再び机に額を付けた。


「言葉もない……しかもオレは、結局何一つハルから聞き出せなかった……」


「そうじゃな。これが導師の試験ならおぬしは落第じゃ」


「……」


「ときにハルはどうしておる?」


「……帰ったらすぐ寝たぞ」


「ほう。……おぬしは失敗したと思っておるようじゃが、無理に聞き出そうとしなくて返って上手くいったかもしれんぞ」


 男は顔を上げた。心底わからないという顔をしている。


「? なぜだ?」


「おぬしと話して安心したんじゃろう。なにせ最後のセリフはワシでもグッときたぞ。さっきは落第と言ったが、ギリギリ合格にしてやっても良い」


 男の顔がみるみる怒気と羞恥に染まった。


「て、てめえ……! どこで見てやがった!?」


『ハル。オレを頼っていい。力になる』


 少女が男の真似をし、キリッとした顔で言った。

 

「コ、コロスッ!!」


 男が掴みかかろうとすると、少女はヒラリと飛び上がり、椅子の背もたれに片足で立った。


「未熟者め!」


 男はさらに掴みかかろうとし、少女はそれを迎え撃とうと身構えるが、


「あんたら、静かにしてくれッ!」


 という店員の声に、「「はい」」と、そろって大人しくなった。

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