第9話「告白と揺れる犬耳」
気だるさと心地よさが同時に押し寄せる。
重たい目をこじ開け、無理やり体を起こした。
部屋の隅を見ると、椅子に背を預けて眠っている男がいた。
(……やった。今日は私の方が早起きだ)
起こさないように、慎重に着替える。もちろん、見られないようにキッチリとカーテンで隠しておく。
ふふっ。新しい服って気持ちいいな。
クルッとその場で回ってみる。
スカートが揺れ、緩やかに波を作った。
(あっ、そうだ)
昨日貰った花飾りを胸につける。
これで装備は万全だ。武器は素手。モンクだな。
ルゥはまだ寝ていた。
彼の元まで行き、しゃがんで顔を覗き込む。
(……なんか、苦しそうだな)
寝ているときも、ルゥは厳めしい顔をしていた。いや、いつもより若干険しい気がする。これでちゃんと眠れているんだろうか。
さっきからしげしげと眺めているが、一向に起きる気配がない。
ふと、いたずら心が湧いてきた。
……鼻をつまんでやろう。
私はゆっくりと鼻に手を近づけた。
よし今だ、と私が力を込めようと鼻先に触れたとき、ルゥの目がカッと見開いた。私が鼻をつまむよりも早く、腕をつかまれる。
「……なんだお前か。驚かすな」
「お、おはよう……」
驚いたのはこっちだよ。
さすが旅人、隙だらけに見えて隙が無かった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
食堂にルゥと向かい合って座る。
昨日と同じく、ルゥと同じものを頼む。
料理はすぐに運ばれてきた。
うん、美味しい。昨日は涙と鼻水で良くわかなかったけど。素朴で味わい深い。好きだな、こういうの。家で食べるご飯みたい。どんどん食べちゃう。
……あれ? ルゥの様子がおかしい。全然食が進んでない。なんか、エネルギー源だから仕方なく口に入れているといった感じだ。どうしたんだろう。
「ルゥ、どしたの? 具合でも悪い?」
ルゥは料理を口に運ぶのを止めた。
「……なんでもない。昨日たくさん食べたから、食べすぎが気になるだけだ」
えっ。ルゥ、摂取カロリーを気にしてるの。全然そんなタイプに見えないよ。
「ぷっ、あはは。昨日めちゃくちゃ食べてたもんね」
「オレの分のパン食べてもいいぞ」
「そう? じゃあ貰うね」
ルゥの皿からパンを一つ奪う。
彼は全く興味なさそうにモソモソと食べ続けた。
ルゥを見ながら、私はあることを告げようと、そのタイミングを見計らっていた。
……よし、言うぞ。
「あのね、ルゥ。ちょっと聞いてほしいんだけど」
「……なんだ」
「私、ルゥに助けてほしい。だからこれまでのこと、全部話そうと思う」
「え?」
ルゥが肉を口に運ぶ途中で固まる。ポロリと、食べかけの肉が零れ落ちた。
彼は口を半開きにしている。こんな間の抜けた顔を見るのは初めてだ。
「私が何でここにいるか、聞いてほしいの。……頼っていいんだよね?」
「あ、ああ。だが、なぜ急に? どうして心境が変わったんだ?」
ルゥは本当にわからないという顔をしていた。頭にクエスチョンマークが浮かんで見える。
「……それは」
そんなこと、聞く?
改まって言うのは気が引けるんだけど……
私は躊躇しつつ、ルゥと視線を合わせないようにして答えた。
「昨日よく考えて、ルゥなら信じていいかなって思って。そもそも、ルゥがいなかったら私はあそこで死んでたし。だから……今度も、助けてくれるかなって……」
やっぱり照れ臭い。もう、こんなこと言わすなよ。
「そ、それと、私まだお礼言ってなかった。……た、助けてくれて、ありがとう」
そう言って頭を下げ、再び顔を上げると、ルゥはまだ間抜けな顔のままポカンとしていた。
「……なんか言ってよ。恥ずかしいじゃん」
「あ、ああ、すまん。ちょっと思いもよらなかったんでな……」
そのあともルゥはしきりに不思議そうにしていた。
だが、食欲は戻ったようだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
私は元いた世界で起こったこと、気付いたらこの世界にいたことを話した。
ルゥはずっと真面目な顔で聞いていた。
……正直、まだ馬鹿にされるんじゃないか不安だったんだけど。ルゥは時折相槌を打ちながら、何も言わずに聞いてくれた。
「ど、どう? 信じる?」
「……思っていたより事態は深刻なようだな。異世界からの来訪者とは……だが、信じよう」
ルゥはあっさりと首肯した。
もしかして、この世界ではよくあることなのだろうか。
「こんなことってあるの?」
「いや、寡聞にして聞いたことがない。転移に関する魔法は魔導院の研究にあったと思う。だが、完成には程遠かったはずだ」
「そっか……」
「オレの知り合いに魔導院の関係者がいる。詳しい話を聞いてやろう」
彼の言葉に、表情が緩んだ。やっぱり、話して良かった。
……魔導院ってなんだろう。よくわかんないけど、魔法の研究機関かな。それなら頼りになりそうだ。
「お願いします」
「今後のお前のことだが、魔導院に保護を受けられるよう、オレが取り計らってやろう。あそこなら特に不自由なく過ごせるはずだ」
本当に!? まさかまさかの、生活保護? 宿代稼ぐ必要なし? た、助かる~。ルゥに話して良かった。これで問題解決。めでたしめでたし。
……って、違う違う!! それより大事な話があるの!!
「ま、待って! それはすっごく助かる! で、でも、その前に……その、お願いがあるの」
大丈夫かな。図々しくないかな。
「なんだ? まだ何かあるのか?」
「……アキちゃんを、私の妹を一緒に探してほしいの」
ルゥは腕組みをして、しばし考え込んだ。
「……転移前に一緒にいたという妹だな」
「うん。……正直、この世界にいるかも、生きているかもわからない。……だけど、せめてあの場所にアキちゃんが来ていないか、一緒に確かめてほしいの」
私は顔色を窺うようにルゥを見た。
「それなら急いだほうがいいな。あの場所は危険だ」
ルゥは迷う素振りも見せず、即答した。
「行ってくれるの!?」
「力になると言ったろう」
確かに言った。でも、まさか、こんなに早く動いて貰えるとは思わなかったのだ。本当に、もっと早く話せば良かった。
「少し準備がいる。この街の西の門で待っていてくれ。すぐに迎えに行く」
「わ、わかった!」
ルゥは素早く食事を終えると、さっそうと店を出て行った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
大通りの先に、その門はあった。
門は閉ざされており、両脇を警備員のような人が固めている。
(簡単には通れなさそうだけど、大丈夫かな)
まあ、ルゥは私を連れてここを通ったみたいだし。方法はあるんだろう。
通りの脇にある花壇の囲いに腰を下ろした。ここでルゥを待とう。
(……アキちゃん)
ぼんやりとアキちゃんのことを考える。
真っ黒い波に飲まれる瞬間、確かにアキちゃんは私の腕の中にいた。
今でも彼女の手の感触を思い出せる。
転移したときの記憶はないが……なんとなく、アキちゃんはこちらに来ている気がするのだ。
私が転移した場所は危険な場所だった。ルゥが助けてくれなければ私は死んでいただろう。アキちゃんがもしあそこにいたら……いや、アキちゃんは私なんかよりずっと賢くて強い。絶対に生きている。私が助けに行かなきゃ。
「ルゥ、まだかな」
チラリと通りの向こうを見る。
ここは人通りが少なく、ルゥが近づいてくればすぐわかるはずだ。
(……ん?)
通りの向こうから、こちらに近づいてくる影が見える。
ルゥかな、と思った私の目が驚愕に見開かれた。
(で、でかっ……!)
ルゥも大きいが、その比ではない。というか、人という種と比べるべきではない。
ヒグマのような巨大な犬? が、近付いてきていた。
背中に誰か乗せている。髪の長いシルエットから、ルゥではないとわかる。
私が恐れおののいていると、その生物はなんと私の所に一直線にやってきた。
「ひいぃぃっ!」
悲鳴を上げてしまった。
巨大犬が私の前で静止すると、背中に乗っていた人物がヒラリと飛び降りた。
目の前に華麗に着地する。まるで映画のワンシーンだ。
(女の人……人?)
彼女は普通の人間にはない身体的特徴があった。
犬っぽい大きめの獣耳に、フッサフサの長い尻尾が生えている。さらに、手から手首の先のあたりまで、短い毛で覆われていた。
彼女は長く艶めく髪をファサッとかきあげた。
青く澄んだ瞳が髪の間から覗く。
「あなたがハル?」
(わっ、鈴の音みたいな声……声も綺麗……顔も体も綺麗……こんな大人になりたい……)
「ねえ、聞こえてる?」
いつの間にか、鼻が触れそうなくらい近くに彼女の顔があった。彼女の口から鋭い牙が覗く。
「あ、う、は、はい! ハルです」
言いながら、慌てて立ち上がった。
……うわっ、足、ながっ……腰、ほそっ……
うう、私と違いすぎ……
体型が違いすぎる。大人になってもこうはなれまい。
彼女を見て居たたまれない気持ちになる。
だが、よく見ると彼女も私を見ていることに気付いた。それも結構しっかりと見ている。下から上まで、舐めるように視線が動く。
ふと、彼女の視線が私の胸のあたりで止まった。微かに彼女の眉が顰められる。
(なぜ? なぜ私の胸を見るの? ワースさんも、ルゥも……)
私は我慢できずに胸を隠した。
「あ、あ、あの、あなたは?」
彼女は胸から視線を外し、ニコッと笑いかけた。男なら一発で惚れてしまいそうな笑顔だ。
「私はマルテ。ルゥのヤツに頼まれてこの子を連れてきたの」
そういって、隣にお座りしている巨大犬を撫でた。
「あの、ル、ルゥとはどういう……?」
「まあ、知り合いよ」
知り合い。知り合いといっても色々あると思うけど。友達とか、仕事仲間とか、恋人とか。
すごく気になったが、聞けなかった。
彼女の隣に鎮座する生物に水を向ける。
「……こ、このおっきいのは何ですか?」
「この子はグース・ダグっていう種類の動物。名前はエト。ルゥが森からあなたを連れ帰ったときに乗ってたのもこの子なのよ」
「えっ、そうなの!?」
エトは言葉を解したかのように、「ウォフ」と鳴いた。
わっ、それを聞くと……なんだか急に可愛く見えてきた。
さっきからすごく大人しいし。よく見ると目が可愛い。
……撫でてもいいかな。私、動物は好きなんだ。
おずおずと手を伸ばすと、エトは少し首を引っ込める動作をした。
「あんまりおっかなびっくり触ろうとしないほうがいいわよ。この子も身構えちゃうから」
「え? じ、じゃあどうすればいいですか?」
「なるべく自然にね。喉のあたりを撫でられるのが好きみたいよ」
やっぱり犬みたいだ。私は思い切って喉のあたりに触れ、ワシャワシャと撫でまわしてみた。すると、すぐに目を細めてグルグルとうなりだした。
「あはは。可愛い」
私はガバッとエトに抱きついた。フカフカで気持ちいい。
「グース・ダグは頑丈で足が速く、森の中も走れるわ。あななたち、西の森に行くんでしょう?」
「あっ、はい。それでこの子を連れてきたんですね」
「ええ。ただ気をつけなさい。この子、ものすごくよく食べるから、長旅には向かないわ。あんまりお腹を空かせると、あなたを食べちゃうかもしれないわよ」
「え”っ」
私はエトに抱きついたまま硬直した。
マルテが悪戯っぽく笑った。
「冗談よ。人は食べないようにしつけてあるし、二、三日は我慢してくれると思うわ。でもなるべく食べさせて、早く返してね」
「は、はい。気を付けます」
私は優しくエトを撫でた。
どうか私は食べないでね。ルゥの方が私より食べるところが多いと思うよ。
「あ、ルゥがきたわ」
マルテさんの耳がピピッと揺れた。
通りの向こうに目を向けると、荷物を担いだ大男が歩いてきていた。
ルゥは私たちの所にたどり着くと、エトに手を付いて言った。
「待たせたな。エトに荷物を載せたら出発しよう」
「うん」
ルゥはマルテさんの方を向いた。
「助かった。この後、街の中央に行ってくれ。ババァが呼んでいた」
「わかった。あと、あの人のことババァっていうのやめなさいよ」
私はルゥとマルテさんを交互に見やった。結構親し気に見える。
マルテさんの尻尾がユラユラと揺れていた。
二人が話している間、所在なさげにエトの毛をいじる。
ペロリと、エトが私の頬を舐めた。
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