第19話「闇を駆け抜けろ、剣の風」
「魔力の凝集を確認した! 次くるぞ!」
「はい!」
ワースの怒号が飛び、マルテがそれに応えるべく魔力を練る。
直後に大地を揺るがす漆黒の波動が街に向けて放たれる。
白い光が壁となって拡がり、街を襲う闇を受け止めた。
「ぐうぅっ! マルテ――ッ!!」
ワースが歯を食いしばりながらマルテを呼ぶ。
横合いから猛然と加速したマルテが闇の波動に突撃する。
「はあぁぁぁ――ッッ!!」
結界を伴って闇の波動に衝突し、その軌道を街の外へと吹き飛ばした。
漆黒の闇が街を大きく越え、遥か彼方まで大地を削り取った。
闇の波動が過ぎ去った戦場で、二人の少女が息を切らせて喘ぐ。
「ハァ……ハァ……」
ワースが肩を上下させる。
「大丈夫ですか……ワース様……」
そう尋ねるマルテの顔も苦悶に染まっていた。
「たわけ……! まだまだいけるわ……! おぬしこそ、やれるんじゃろうな?」
「ッ……はい……! いけます……!」
二人がゆらりと立ち上がる。
微笑んで頷きつつも、ワースは心の中で案じる。
(まずいな……ワシよりマルテの消耗の方が激しい。物理的な魔法で対抗できない以上、結界で弾き飛ばすしかないが……消耗する魔力は膨大じゃ。かといって、マルテの結界の強度ではヤツの攻撃を受け止めきれん……!)
ワースは怪物との前線を窺う。
一人の大男が目にも止まらぬ速さで怪物に接近し、激しい戦闘を繰り広げていた。
「ぜやぁぁぁぁ――ッッ!!」
杖から伸びた白刃が幾重にも剣閃を放ち、怪物を護る結界を削り取る。
結界に無数の傷がつけられるが、傷は瞬く間に回復した。
「チッ!」
ダンは大きく飛び退り、いったん距離を取る。
(結界に綻びが見当たらん……! なんという完成度だ。本当に野生の獣なのか?)
ダンは杖を構えなおし、再び怪物に肉薄する。
背面に突撃し、背中を護る結界を集中的に切りつけた。
(ならば、一点に集中するしかあるまい。死角である背中から攻める!)
結界の傷が修復するより早く追い打ちをかけ、わずかに怪物との距離が近づいていく。
(よし、いけそうだ。でかい図体がそのまま弱点だな)
怪物は抵抗することなく攻撃を受けている。
ダンが怪訝に思うと、怪物は口を開いて魔力を溜め始めた。
(私を無視して放つ気か。まずいな。これ以上はワースもマルテ君も厳しいはずだ。そろそろ決めねばなるまい)
「うおおおぉぉぉっっ!!」
鬼神と化したダンが激しく背中を切りつける。
白刃が次々と怪物の結界を切り裂いていく。
(見えてきたッ……! あと少し!)
気合を込めて杖を一閃すると、ついに怪物の本体が露になる。
ダンが怪物の背中を捉えた。
「”大地の槍よ、貫け!!”」
地面から鋭い槍が幾重にも出現し、怪物の体躯を貫いた。
耳障りな悲鳴が辺りに響く。
「とった!!」
杖の先端を怪物に向け、止めの魔法を放とうとした。
そのとき、ダンの背中をゾクリと悪寒が駆け抜けた。
全身を恐怖が支配し、怪物に向けた手が止まる。
視界の端に、異様なものを捉えていた。
ダンが目線を上げると、そこに夜より昏い闇があった。
怪物の口が裂け、その口腔をダンに晒していた。
「し、しまっ……!!」
闇が放たれた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「い、いかんっ!!」
ワースの目が怪物の異変を捉えた。首があり得ない角度に回転し、真後ろに向けて闇の波動が放たれる。そこには、怪物を仕留めようと猛攻を仕掛けていたダンがいたはずだった。
(ま、まずいぞ……! ダンは攻撃に己の魔力を割いていた。防御を捨て、無防備だったのではないか……!?)
怪物が放った魔法は後方の一帯を飲み込み、破壊の限りを尽くしていた。
「マルテッ!! ダンの救出に向かえ!」
「し、しかし」
マルテが不安げにワースを見る。
自分がいなくなればワースは一人で街を守らねばならなくなる。いかにワースが強大であろうと、単独で立ち向かうのは厳しいと感じていた。
「ワシは耐えてみせる! ダンがいなくなっては、攻略の糸口が無くなる!」
「……わかりました!」
ほんの少しの逡巡のあと、マルテは駆け出した。
それと同時に、ワースは次の攻撃に備えて己の内から魔力を引き出す。
まだやれるはずだと自分に言い聞かせる。
(だが、これでダンが戦闘不能で、ルゥも間に合わないとなると……撤退するしかあるまい)
ワースが次の手に考えを巡らせ始めたとき、突如怪物の頭がグルリと回転した。口は開いたままである。その口腔の先には、マルテの姿があった。
「!? バカな、早い!!」
怪物は先ほどまで一定間隔で魔力を溜めつつ魔法を放っていた。
それが、急に魔法を連発する構えを見せた。
不安は的中し、魔法がマルテに向かって放たれる。
闇の波動は正確にマルテのいた場所を焼き、そのままワースのいる方向を薙ぎ払った。
「ぐぅッ!!」
急ごしらえの結界でそれを受け止める。
激しい衝撃に耐えながら、ワースは思った。
(あ、欺きおった……!! ヤツは、理性のない獣ではない! この街に現れたときも、今この瞬間も……ヤツは、ワシらの隙を付こうと狙っておったのか!)
ワースは己の魔力が尽きかけるのを感じた。
……もはや、次の一撃は耐えられそうにない。
(ただの獣だと、侮っていた……! ワシのミスじゃ……これでは、ルゥの奴も……)
徐々に意識が薄れ、身体を支える力が抜けていく。
力尽きる最後の時まで、懸命に結界を維持した。
……そして破壊は止んだ。
砂塵が周囲を覆い、土塊が降り注ぐ。
風が強く吹き、破壊の様相を露にした。
街は何事もなかったかのようにそこに存在している。
西門の前に、ボロ雑巾のようにワースが倒れていた。
彼女はギリギリまで結界を維持し、街を護っていた。
「あ……あ……」
ワースの意識は闇に沈もうとしていた。
肉体に負荷をかける秘薬を連続して使い、それでもなお魔力を使い果たした。
彼女はもはや指先一つ動かせない。
(すまん、マルテ、ダン……ワシが頼りないばかりに……)
目の前が暗くなり、後悔の念すらも薄れていく。
(ルゥ、ハル、もし生きておるのなら……逃げて……)
音が遠ざかり、暗く深い闇の底に意識が沈んでいった。
…………
……
ぽたりと。
ふいに、熱を感じた。
その熱を呼び水に、意識がわずかに戻る。
(……暖かい)
体に何かが触れている。
柔らかな熱が体を包んでいるのを感じた。
触れた部分から体に火が灯り、耳が、目が、心が覚醒していく。
懐かしい声を聴いた気がした。
「……ん。……ースさん! ワースさん!!」
薄く目を開けると、目に大粒の涙を溜めた顔があった。
しきりに自分を呼んでいた。
「……ハ……ル……?」
「ワースさん!!」
返事を返すと、力強く抱きしめられた。そのぬくもりに、体の芯にわずかに力が戻った気がした。
「……生きておったのか……良かった……」
「ワースさんこそ!」
ワースの頬をハルの熱い雫が叩く。
全くよく泣く奴め、とワースは思った。
「ルゥはどうした……?」
「怪物と対峙しています」
「バカモノめ……はよ……逃げんか……」
ハルはワースの手をぎゅっと握りしめる。
彼女の目に強い光が宿っている。
初めて見せる表情に、ワースはおや、と思った。
「ルゥは逃げないと思います。……ルゥが逃げないのなら、私も戦います」
「ハル……?」
……この子はこんなに強かったか。
何をするにも、他人の顔を窺うようなか弱い存在。今の彼女には、そんな印象を抱くことはなさそうだった。
「大丈夫。ルゥもみんなも、私が守ります」
今なら何故か、安心してハルに全てを任せられる気がした。
ワースは何も言わず、ハルに微笑み返した。
ハルは優しくワースを横たえると、立ち上がって振り返った。
その目に強い意志を秘め、怪物を強かに睨みつけた。
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