第20話「はじまりの魔法」

「見えた! あそこだ!」


 大地を切り裂くように疾駆するエト。その背にまたがり、ルゥが叫んだ。

 ルゥの下からひょこっと顔を出し、彼の視線の先を追う。


「え!? あれって!」


 視線の先には、ウサギ頭に筋骨隆々の怪物が佇んでいるのが見えた。

 魔都で戦った巨人より、さらにでかい。


「魔都がもぬけの殻なわけだ。街を狙っていたのか」


「で、でも、私たちが戦ったヤツの三倍くらいあるよ!? どこに隠れていたの!?」


「さあな。なにせ急に現れるヤツだ。木にでも化けてたんじゃないか」


 私は周辺の木々に化けて人を襲う怪物を想像した。思わず背筋がぞわっと震える。何気なく背を預けた木が怪物だったとしたら……聞くだに恐ろしい。


「こ、怖がらせないでよ!」


「すまん」


 私たちが話している間もエトは走り続け、怪物との距離を縮めていく。

 怪物のその先に、街の明かりが見えた。


「どうやら街は無事のようだ。間に合ったか!」


「よ、良かった!」


 着くまでに街が無くなっていたらどうしようかと思ってた。

 ほっと胸をなでおろすのも束の間、私は怪物の異変に気付いた。


「ねえ、怪物の首! 後ろ向いてる!」


 魔都でも意表を突いてやってきた行動だ。

 もし、この後も同じなら……あの怪光線が来るかもしれない。私たちのいる場所も焼かれるかもしれない。


「あれか! エト!」


 ルゥはエトを巧みに操り、進行方向を変えた。

 怪物の攻撃を避け、大きく迂回しながら街へと向かう。


 予想通り、怪物は後方に向けて闇の波動を放った。

 先ほどまで私たちのいた場所も破壊される。

 すごい。魔都で戦ったものより、明らかに威力が上だ。


「あと少しだ! ワースが街を守っているのが見える! マルテもいる!」


 ルゥが叫ぶように言った。

 エトの足が彼女らの方に向き、加速する。

 その間も、私は怪物から目を離さずにいた。そして、その動きがこれまでと違うことに気付く。


「ルゥ! 怪物の首が街の方に向いた! 口が開いてる!」


「なに!?」


 怪物は街を射程にとらえると、すぐさま闇の波動を放つ姿勢をとった。


「あれだけの魔法を連発するだと!? まずい、今あの怪物の向いてる先には……」


 怪物の口から闇の波動が放たれ、その射線にあった大地が吹き飛んだ。


「マルテ――ッッ!!」


 ルゥが声のあらんかぎりに叫び、エトを猛加速させる。

 すさまじい衝撃を体に受けるが、そんなことなど意に介していないようだった。


 破壊の跡に力なく倒れる人影を見つける。

 ルゥがエトから飛び降り、そのまますごい速度で走り出した。

 人影に駆け寄り、腕に抱え上げる。


 エトも遅れてルゥに追いつく。

 ルゥの腕の中で、マルテさんが体を震わせた。


「ルゥ……ご……め……私、もう、魔力が……」


 マルテさんが息も絶え絶えになっている。


「しゃべるな。後は俺たちに任せろ」


 マルテさんが私を見た。


「ハル……ごめんね……巻き込んで……」


 そして、糸が切れたように意識を失った。

 私の中に嫌な予感が過る。


「ル、ルゥ、マルテさんは!?」


「……大丈夫だ。急激な魔力消費によって衰弱しているだけだ。結界が間に合ったようだな」


 私はほっと息をついた。

 良かった……生きてて。

 ルゥはマルテさんを抱えて立ち上がると、静かにエトに乗せた。

 私は彼女を受け取り、落ちないようにしっかり抱きしめる。


「街の入り口に連れて行ってくれ。ワースがそこにいるはずだ。マルテが生きているくらいなら、あのババァは死なん」


「わかった。ルゥはどうする?」


「決まっている」


 ルゥは背中の剣を抜き放った。

 刀身が光の精霊の輝きを受けて、ギラリと光る。


「ヤツを倒す」



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ワースさんにマルテさんを預け、私は駆け出した。

 今、私は怪物の前に立つルゥの背中を見ている。


 彼は強大な敵を前に、一片の揺らぎも見せずに立っていた。

 剣を構え、呪文を唱えている。何らかの手段で怪物に対抗する気なのだ。


 怪物が猛々しく吠え、口腔をこちらに向ける。

 姿勢を低く、低く構え、ほとんど地面と平行になるように体勢を変えた。

 両手で自らの口をむりやりこじ開け、これまでで最も大きくその深淵を覗かせる。


(ま、魔力が……私にも見える……!! 黒く、大きい……!!)


 魔力が顕現し、現実にも見える昏い光を放つ。

 おそらく、これで決める気だ。あのまま放たれれば、地上にあるものは全て吹き飛ばされてしまうだろう。

 もう、後戻りはできない。ルゥの背中がすぐそこにあった。


「ハァ……ハァ……」


 ルゥに向かって駆ける。

 駆けながら、思う。


 ――私は怖かった。自分を出して、自分の意見を言って、誰かに拒まれるのが怖かったんだ。


 何かを決める時、何かを始める時。

 私は誰かに委ねなければ何もできなかった。

 これまでずっと自分で決めなければいけないことを、誰かに預けてきた。

 ……そのことに無自覚だった。


「ハッ……ハッ……!」


 今、マルテさんが死にかけている。ワースさんも。

 このままでは、ルゥも死ぬかもしれない。

 ……全ては、自分が願った結果だ。

 私がアキちゃんを助けに行きたいと言ったから。

 ルゥが私に付き合ってくれたから。


「ルゥ……今、行くから……!」


 私たちの世界が襲われた時、私は何もできなかった。そして全てを失った。

 今になって強く思う。

 アキちゃんといたい。彼女がいないと、私は駄目なんだ。


 今度こそ、手放さない。手放したくない。

 私は強く願う。

 ルゥと、その仲間たちを護りたい。

 こんな風にはっきりと願うのは、きっとこれが始めてだ。


 ただ一つきっかけがあるとすれば、この街に来た日。あの精霊の光を見たときに、一人の魔法使いが私に言ってくれたこと。あれは私にとっての、はじまりの魔法だ。


「ルゥ」


 彼の元にたどり着き、背中に呼びかけた。


「……ハル」


 彼は一瞬、なんでここに来たんだ、という顔をした。

 だが、私の目を見ていつもの表情に戻った。


「ルゥ。あの攻撃を防いで、みんなを守ることはできる?」


「一度だけなら可能だ。だが、それはオレがヤツを倒すために使おうと思っていた手段でもある。それを使えば、オレに反撃の手はなくなる」


「……大丈夫。私があいつを倒すから」


 私は言い切った。

 ルゥはじっと私の目を見た。

 そこに、私の意思があるか確かめるように。


「……お前を信じる」


 私が頷き、彼も頷いた。

 怪物を見る。

 闇の入り口に、魔力が顕現しつつある。

 もう、一刻の猶予もなさそうだ。


「どうやって止めるの?」


 直撃とはいえ、ルゥの結界は魔都の怪物に一度貫かれている。ましてや、今対峙している怪物は魔都の怪物より強力だ。普通に戦っては、とても対抗できるとは思えない。

 だが、ルゥは不敵に笑った。


「お前も見ただろう。この大地には、ヤツを上回る巨大な魔力源が眠っている。……そろそろ時間のはずだ」


 私はハッとして周囲を見渡した。

 淡い暖色の光が、周囲に溢れつつあった。

 ルゥは怪物に手を向けて唱えた。


「”光の精霊よ、我が元に集え”」


 辺り一面が柔らかな光の粒に包まれ、一斉に光が強さを増した。

 光の粒子が、ルゥの呼び声に呼応して集まってくる。

 彼の手の中で、光の奔流が力強く胎動を始めた。


「さあ、バケモノ。勝負だ」


 ルゥの言葉を待っていたかのように、怪物の口から最大の闇の波動が放たれる。


「らあぁぁぁぁ――ッッ!!!!」


 ルゥが手に集まった力を解き放ち、巨大な結界を作り出した。

 闇の波動と光の壁が衝突する。

 両者の力がぶつかった瞬間、衝撃が周囲を襲った。

 力の交わる境界で、大地が砕かれ、地響きが巻き起こる。

 光の柱が天に向かって伸び、空を割った。


 私はルゥに並び立ち、深呼吸をした。

 全身から力を抜き、腕をだらりと下げる。

 目を瞑り、怪物の体を思い浮かべた。その周囲に、大きな手を想像する。

 手はそっと怪物を包み込む。隙間がないように。


(……私が……みんなを護るんだ!!)


 次の瞬間、脱力した状態から一気に全身に力を込め、ありったけの力で怪物を握りしめた。

 私の周囲を稲妻のような雷光が取り巻く。

 目に見えない強大な力が顕現し、轟音と共に大地が沈む。

 怪物の魔力結界を貫き、体躯が潰れ、全身から血が噴き出した。


(もっと、もっと……!!)


 辺りに骨の砕ける耳障りな音が響く。

 怪物は悲鳴を上げながらも、なおも闇の波動を放ち続けている。

 そしてあろうことか、体の力だけで私の力に抵抗し、立ち上がろうとしていた。

 砕けた魔力結界が刺のような形で再生し、私の手を貫いた。


「ぐッ! ……ううぅぅッッ!!」


 ギリギリと、手が軋む。

 痛みに脳が戦うことを拒否しようとする。

 しかし、決して手を緩めない。必死に力を顕現させ続ける。

 だが、怪物の抵抗は思っていた以上に強固だった。

 怪物の足が立ち上がり、その手を私たちのいる方向に伸ばそうとする。


(だ、ダメ……今、来られたら……!!)


 こんなものか、こんなものなのか、私の力は。

 それとも、私は……


 脳裏に、魔都でみた光景が浮かんでいた。

 寄り添うように抱き合い、横たわる獣人。その小さな体の感触を思い出していた。


 その憧憬が、浮かんで離れない。

 目の前にいるコイツを倒さなければ、私の大切なものが消えてしまうのに。


「ぐううぅぅ――ッッ!!」


 歯を食いしばって唸る。

 こんなときに何を躊躇しているのだ。

 目の前にいるのは、敵だ。

 今すぐ止めなければ。今すぐ、殺さなければ。

 意識が白濁する。

 その時。

 ルゥの声を聞いた。


「ハル」


「……ル、ルゥ……!?」


「ハル、無理をするんじゃない」


 それは、ルゥにしては珍しく、とても優しい声音に聞こえた。


「オレの言ったことを思い出せ。自分に正直でいい。お前のやりたいことをしっかりと想像しろ。そして思ったら、それを口にする。それが魔法になるんだ」


 私の……やりたいこと。

 それは、なんだ。

 私の本当にやりたいこと。それは……


 きっと、目の前の獣人を殺すことじゃない。

 彼にもみんなにも、死んでほしくないのだ。

 だったら、私の願いは……


「さあ、お前の願いを言え。お前ならきっとできる」


 彼の言葉に、全身の緊張が解けていく。

 私は怪物を包む手の拘束を解いた。

 そして、それを口にする。


「お願い……元の姿に、元のあなたに戻って!!」


 閃光が怪物の巨躯を貫いた。

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