第21話「願いの行方」

 静寂があった。


 大地は割れ、破壊の爪痕が遥か彼方まで続いている。

 激しい爆発も、大気を揺るがす轟音もない。

 大地を撫でる風の音だけが、そこにあった。


 目の前に、ウサギ頭の巨大な獣人が立っている。

 獣人はピクリとも動かない。先ほどまでの剣呑な雰囲気はどこにもない。


 静かに、彼を見守る。

 大きな眼が、瞬きもせず一点を見つめている。それは遠くを見ているようであり、私たちを見ているようでもあった。


(ど、どう……? も、元に、戻った……?)


 彼の次の動きを、固唾をのんで待つ。

 ルゥが私の肩に手を置く。

 その上に、そっと手を重ねた。


「……あっ!」


 獣人がゆらりと、こちらに向けて動いた。

 体が強張る。

 ルゥが背中の剣に手を伸ばす。

 緊張感が全身を包んだ。


 獣人の目がゆっくりと閉じられ、その場に崩れ落ちた。

 地面に触れた瞬間、土のように体が崩れ、砂煙となって散った。


「ッ……そんな」


 届かなかったのか。私の願い。

 結局、私は……殺すことしかできなかったのか。

 崩れ落ちそうになる。

 ルゥに支えられた。


「……ルゥ。ダメだったのかな。私の願い。届かなかったのかな……」


「それはどうかな」


「……え?」


 ルゥに手を引かれ、立ち上がる。

 光の精霊が見える。

 辺りは再び、光の奔流に包まれつつあった。


「オレは見ていた。お前の魔法に貫かれた瞬間、ヤツの魔力が消え去るのを。あの瞬間、ヤツは元の無力な存在に戻ったんだ」


「……じゃあ?」


「ヤツの目から敵意は感じなかった。叶ったさ、お前の願いは」


 ルゥの目を見る。

 揺るぎない。

 慰めようとしているわけではない。

 信じている、そういう目だ。


「……うん。そうだといいな」


 不意に、身体が揺れた。

 思考に霞がかかり、徐々に意識が遠くなる。

 目の前が暗転し始め、頭が地面に近づくのを感じる。


 だが、私はそれに身を任せた。

 きっと支えてくれると、信じたから。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 違和感があった。

 いつもの味噌汁の香りがないのだ。私の脳はアキちゃんの作る味噌汁に反応し、覚醒するようにできている。それが今日はない。


「うぅ――ん……」


 それどころか、体が重い。どこが重いかと言うと、胸が重い。

 具体的に言うと、人が一人乗っているくらい重い。

 果たして私の胸に乗っているのは、人か、猫か。はたまた子泣き爺のような妖怪の類か。

 などと考えていると、目が覚めた。


「うう~ん、至福……」


 美しいウェーブがかった金髪が目に入る。

 金髪の幼女が、私の胸の上に乗っている。


「なんという揉み心地、弾力……おお? 起きたか、ハル!」


 ……間違えた。幼女じゃない。セクハラロリババァだ。

 幼女の皮をかぶった妖怪が、私の布団に潜り込んで胸を揉んでいた。


 悲鳴と頬を叩く乾いた音が室内に響き渡った。


「うぅん……なに? うるさいわね」


「やぁ君たち、今日も良い朝のようだね」


 部屋のあちこちから声が聞こえた。

 見回すと、大きな部屋の中にいることがわかった。

 ベッドがいくつも設置してある。

 ……どこだろう、ここ。


 ベッドの一つから、黒髪の女性が体を起こした。

 頭に大きな犬耳と、お尻にフサフサの尻尾が見える。

 彼女は私を見ると、ニコッと笑いかけた。


「あ、おはようハル。私、マルテ。覚えてる?」


 と、気さくに話しかけられた。


「あ、は、はい」


 思わず恐縮する。

 マルテさんは薄着で、直視するのが憚られた。

 笑顔がとても眩しい。


「やあハル君。お初にお目にかかる。私はダン。覚えてね」


 今度はマルテさんの隣のベッドから声をかけられた。

 そこに、ベッドをはみ出しそうな大男がいた。

 気さくな笑みをこちらに向けている。

 しかし……


(なんで、上半身裸なの?)


 こちらはこちらで、目のやり場に困る。

 私は視線をさまよわせ、足の方を見た。

 あ……ベッドから足がはみ出してる。


「は、初めまして。ハルです」


 視線を下にそらしつつ、挨拶した。


「うんうん、実に良い。まことに可愛い。今度お茶でもどう? 君と魔法の話がしたいな。具体的には、怪物に使った魔法について」


 ひっ。急に何言いだすのこの人。目がギラついている。怖いよ。

 私が怯えているのを察したワースさんが話しかけてきた。


「すまんのう。ダンは強いヤツのこととなると見境がないんじゃ。普段は紳士的じゃから、適当に流してやっておくれ」


「わ、わかりました……って、なんでまだ乗ってるんですか! 胸を揉まないでください……あっ」


 意図しない声が漏れてしまった。

 誰かこの妖怪を退治してくれ。

 と思っていたら、マルテさんが近づいてきてワースさんを引きはがした。


「あーん、嫌じゃ嫌じゃ、ママの所がいい!」


 誰がママか。

 こんな老いた言葉を話す子供を持った覚えはない。教育してやろうか。

 マルテさんは私の隣のベッドにワースさんを下ろした。

 もっと遠くに離してほしい。


「随分騒がしいな。お、ハルも起きたか」


 ルゥが部屋に入ってきた。

 台車のようなものを引いている。そこから香ばしい匂いが漂ってくる。

 どうやら朝食を運んできたようだ。


「あっ! お、おはよう、ルゥ」


「ああ」


 ルゥはぶっきらぼうに返事をすると、台車を固定して、そばにある椅子にドカっと座った。

 相変わらず、傍若無人な振舞だ。不機嫌なのかと思う。

 でも多分、これが普通の状態だ。大体わかってきたぞ。


「あの、ここ、どこ? なんで私はここに?」


「ここはワシら調査隊の宿舎じゃ! ハルも大分疲労しておるようじゃったから、まとめて療養室に運んでもらったわい」


 ワースさんが答えた。


「調査隊?」


「もう気付いとるかもしれんが、ワシは占い師ではない。ルゥもマルテも、おぬしと会うときは身分を偽っておった」


「あ、やっぱり……マルテさんもですか」


「うむ。ワシらはの、魔導院から派遣された、国家公認の魔法使いの一団なんじゃ」


「国家公認の魔法使い!?」


「ただの魔法使いじゃないぞ。ワシらはその中でも、飛び切りの腕利きじゃ」


 フフンと、鼻を鳴らして言った。


「へえー、道理ですごい魔法を使うと思ってました」


「そうじゃろ、そうじゃろ!」


「あの、何の調査隊なんですか? ……えと、もし聞いていいことなら」


 もしかして、国家機密か何かに関わることなんじゃないか。

 下手に聞いて、消されたりはしたくない。

 まあ、そんなことするような人たちじゃないと思うけど。


「ワハハ! 心配せんでも大丈夫じゃよ。むしろ、ハルは聞いておいた方がいいんじゃないかのう。みなもそう思わんか?」


 一同が頷いた。


「ハル君の事情はルゥ君から聞いてるよ。もしかしたら、我々の話が役に立つかもしれない」


 ダンさんが言った。

 彼の表情は先ほどと打って変わって穏やかだ。こっちが普段の顔なのかな。ちょっとホッとする。

 ワースさんがベッドの上で腕を組んで説明を始める。


「事の始まりは、二十日前。魔導院は巨大な魔力波を観測したのじゃ。魔力波は魔都グースギアから放たれておった」


「あ、それ、私が現れた場所ですね」


「うむ。まず魔都に赴いたのは、この街に駐留する調査隊じゃった。公にはされておらんのじゃが、魔都には定期的に調査隊が入っていたんじゃ。これまでの調査では、魔都に危険はなかったんじゃが……その調査隊の消息が途絶えた」


 ワースさんが神妙な顔つきになる。

 私はゴクリと唾を飲んだ。


「そこで今度はワシらの出番じゃ。魔法に精通し、腕に覚えもある者たちで調査隊が結成された。ワシ、ルゥ、マルテ、ダン。それと軍から一小隊。ちなみに、ワシが全体の隊長じゃ!」


 そう言いながら、偉そうに胸をのけぞらせた。


「子供でも隊長になれるんですね」


「魔導院は実力主義じゃからな。あと、こう見えてワシはハルよりうんと長く生きておるんじゃぞ」


 だったら年相応の慎みをもってください、と心の中で突っ込んだ。


「まあそれはおいといて、ワシらはその魔力特異点の調査に赴いた。そこで妙な女の子を拾って今に至るという訳じゃ」


 妙な女の子って、私か。ま、変わってますよ。喋るときは必ず吃るし、変な力は使えるし。

 そこから先は、私も知っての通りというわけか。


「なるほどー……事情は分かりました。でも、ちょっと気になるんですけど」


「なんじゃ?」


「なんで今言ったこと、隠してたんですか? あの占い師とか、服屋とか……一体どういう意味があったのかと……」


「まあ、そう思うのも無理はないわな。理由なんじゃが、ワシらはおぬしが何者か見極めたかったんじゃよ」


「見極める?」


「そう。なにせ第一次調査隊は全滅しとるし、怪物だらけの街にいきなり現れるし。ハルがその原因だったらシャレにならん。という訳で、色々けしかけておぬしの人となりを見極めようとしたんじゃ。決して面白いからルゥをけしかけた訳ではないぞ」


 なるほど。確かに、変な格好で訳の分からない言葉を喋る女が、あんな場所にいたら怪しい。私だってそう思うだろう。それは仕方のないことだ。

 ……でも、最後の一言の比重が大きそうなのは私の気のせいだろうか。


「じゃがまあ、杞憂じゃったな。おぬしはワシらが思っていたより、ずっと善良な人じゃった。それを疑ったワシらの方は、実力不足がたたってこのザマよ。ルゥ以外は仲良く並んで療養中じゃ」


 そういうと、ワースさんは居住まいを正した。


「ハル、本当に済まなかった。そして、街を救ってくれたこと、心より感謝する」


 ワースさんが頭を下げた。極めて真面目な顔をして。

 彼女に続いて、マルテさんが言う。


「私からも。ハル、魔都ではルゥを守ってくれてありがとう。そして、私たちを助けてくれてありがとう」


 そう言うと、優しく微笑んだ。

 そして、ダンさんがベッドを軋ませながら私の方を向く。


「ハル君。君がいてくれなければ、私は死んでいただろう。そして私たちが倒れれば、国そのものが危うかったかもしれない。君には本当に救われた。心より、お礼申し上げる」


 ダンさんも頭を下げた。

 皆、一様に暖かい眼差しを向けてきた。

 そして、私は。


(……え? え? え?)


 ひたすら戸惑っていた。


(なに、これ。ど、どうしたらいいの。こんな感謝されたこと、ないよ。どうしよう。どうすればいいの……)


 視線が部屋中をさ迷う。

 視線がワースさんにぶち当たり、マルテさんにぶつかり、ダンさんにぶつかって行き場を失くす。

 ……そして私は、救いを求めるようにルゥを見た。

 そしたら、彼も。

 何も言わず、わずかに微笑んだ。頷いた。


(うっ……!!)


 もう、誰の顔も見ることが出来ない。

 俯き、顔を隠す。

 何かがこみ上げてくるのを感じる。

 嫌な感じではない。だが、ひたすら気恥ずかしかった。


「~~~~~~」


 何も言葉にできない。

 どうして、こうなのか。

 せっかく、せっかくこんなに感謝されてるのに。

 お礼を言われたら、言うことがあるだろう。

 ほら、顔を上げるんだ。

 そして口に出して。


「あの、ど」


 ういたしまして、と続けようとして、私はそれを止めた。

 なぜ止めたのか。それは、口より先に雄弁に語るものがいたからだ。

 そいつは私の言葉を遮り、激しく自己主張した。

 曰く、「腹が減った」と。

 何を隠そう、私のお腹である。


「あ、う、ちが、私、こんなつもりじゃ」


 全身に汗が吹き出し、一瞬で真っ赤になる。

 言い訳しようとしてしどろもどろになった。

 ワースさんたちはきょとんとしていたが、やがて椅子に座っていた男が肩を揺らしだした。


「クックックッ。こんな食い意地の張ったヤツは初めて見た」


 ルゥは台車から湯気の立ち上る料理を取り出し、私の前に置いた。


「~~~~~~!!」


 言葉を失くし、あわあわと口を動かす。

 マルテさんとダンさんが顔を隠して口を押える動作をする。わずかに体が震えている気がした。


「す、すまんのうハル。ワシの話が長いばっかりに。ほら、好きなだけ食っていいぞ。ワシの分もやるから。あ、でもスウィーツは残しといて」


 ワースさんだけは笑わずにそう言ってくれたが、なぜだかそれが無性に悲しかった。

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