第17話「竜嵐」

 私とマルテさんは、魔力干渉源へとたどり着いた。


「こ、これはッ!?」


「うっ……!!」


 周囲に、無数の肉片がばら撒かれている。

 大半は竜の物だったが、中には人の破片と思しきものもあった。

 必死に嘔吐感をこらえる。


(ル、ルゥ……!! ダンさん……!!)


 胸を焦がす感覚に、涙が溢れてくる。

 死骸を踏み越え、その先に、一際激しい攻防の跡があった。

 そこに、見覚えのある人影を見つける。


「ルゥッ!!」


「ルゥ――ッ!!」


 私とマルテさんが駆け寄る。

 ルゥはぼろ雑巾のようになって地面に倒れていた。

 彼の体に触れ、血の気が引くのを感じた。

 

 ルゥの全身は傷だらけで、辺りに大量の血がこぼれている。

 彼は意識を失っており、顔面は蒼白だった。


「マ、マルテさん……ルゥは?」


 声が震える。

 返事を聞くのが怖かった。

 マルテさんも私と同じように顔が青ざめていた。


「……大丈夫。ルゥは生きてる!」


 それを聞き、一気に体から力が抜けた。


「よ、よかった」


「でも、本当にギリギリよ。今から私が回復魔法をかける」


「だ、大丈夫なんですか!?」


 マルテさんが強い目で私を見た。


「……ルゥは私が絶対に救ってみせる! ハルは、ダンさんを探して!」


「……ッ!」


 私は即答するのを戸惑った。

 ……ルゥのそばにいたいという気持ちがあった。


「私を信じて」


 マルテさんを見つめる。

 その目に、私はルゥを託すことを決めた。


「……わかりました、お願いします!」


 立ち上がり、ダンさんを探して歩き出す。

 後ろから、マルテさんが何かを詠唱する声が聴こえた。


「ダンさん……! どこ……?」


 時折瓦礫に足を取られながらダンさんを探す。

 彼らは一体何と戦っていたんだろう。

 この破壊の跡。本当にあの竜たちがつけたんだろうか……?

 もし破壊の主が竜でないとすれば、そいつはどこにいったのか……?


「あっ……」


 それを見つけ、背筋が寒くなるのを感じた。

 不吉な印。血痕。

 それ自体はここにいるまでたくさん見てきた。だが、その跡は一際強い力で何かを叩きつけたように見えた。

 転々と、大きな血の跡が遠くまで続いている。


「……ダンさん」


 血の跡を追い、少しずつ歩を速める。

 徐々に血の感覚が短くなっていく。

 ……暗がりに、大きな何かが力なく横たわるのが見える。


 嫌だ。確かめたくない。

 でも……


 リィちゃんの顔を思い出す。

 私は彼女に「任せて」と言った。

 たとえどんな結果が待っていようと……私が目を背けてはいけない気がする。 意を決し、私は彼の体に駆け寄った。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「私を信じて」


 マルテはハルに言った。

 ハルは逡巡していたが、やがて決意を固めてダンを探しに言った。


(……ごめんね、ハル)


 彼女の気持ちはよくわかる。

 ルゥの傍に居たい。

 だが、それでもハルに頼まなければならなかった。

 ルゥがこんな状況で、ダンの捜索を放っておくわけにはいかない。

 彼も苦境に陥っている可能性がある。

 そして、今死にかけているルゥを救えるのは、マルテしかいないのだ。


 ……落ち着いて、ルゥの状態を確認する。

 致命打を受けた様子があるが、最低限の回復はされているようだった。

 これならば、内部の損傷を治し、血を巡らせれば助かるはずだ。

 並みの人間なら厳しいだろうが、ルゥならこの程度で死ぬはずがない。


 マルテは深呼吸し、魔力を練りだした。

 ――大丈夫、私ならできる。大切な人を守るために、回復魔法を極めてきたんだ。

 そう、自分に言い聞かせた。


「”生命の光よ、癒せ……命脈よ、繋げ”」


 マルテの体から光の波動が放たれ、ルゥの体を包んでいく。

 淡い光がルゥの体に浸透し、失われた肉体が徐々に癒えていく。

 蒼白の顔に赤みが差していく。


「”……命の灯火よ、目覚めよ!”」


 一際強い光がマルテから放たれ、ルゥへと宿った。

 それを受けた体が、一瞬強く跳ねる。

 ルゥとマルテを包んでいた光が少しずつ収まっていった。

 ルゥがゆっくりと目を開けた。


「ルゥ!!」


 マルテはルゥに抱き着いた。


「マルテ……? オ、オレは…………?」


「……死にかけてたんだよ、ルゥ」


 熱い雫がルゥの体を濡らす。

 上手くいったことに安堵し、一気に感情の波が押し寄せた。


「なに……? オレは、確か……そうか!! ダンを助けて、そのあとやられたのか……!」


「思い出した? 何があったの?」


「ああ。オレたちは軍を追って潜入し、その先で地竜の集団と交戦した。地竜どもを倒したまでは良かったんだが、桁違いの魔力を持つ竜にやられてしまったんだ」


「……その竜は、今どこに?」


「……今はいないようだな。あれほど苦しめられた魔力干渉が無くなっている。ダンが倒したのか……?」


「ダンさんはハルが探しに行ってるわ。私たちも行きましょう」


「そうだな」


 二人が立ち上がった時だった。


「マルテさ――――んッッ!!」


 悲鳴のような、ハルの声が響き渡った。


「ッ!?」


「ハルか!?」


 二人は声のもとへ駆けつけた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「ダン、さん……」


 口から流れ出る、大量の血液。

 光を失い、閉じかけたまま動かない目。

 視線を下へと向ける。

 腹部。

 手前に差し出した杖が無残にも折れている。

 その先の腹部に、致命的な傷が穿たれていた。

 一目見て思う。


(こ、これ、もう、ダメ、なんじゃ……)


 口を覆い、言葉を失う。

 だが、一瞬で我に返った。

 ――まだ助かるかもしれない。マルテさんを呼ばなければ!!


「マルテさ――――んッッ!!」


 声の限りに叫んだ。

 やがてそれを聞きつけたマルテさん達がやってくる。

 ルゥもいることを確認した。だが、今は彼の復活を喜ぶ余裕はなかった。


「ハル!!」


「ダンはどうした!?」


「ダンさんが……ダンさんが!!」


 私の様子を察したマルテさんがダンさんに駆け寄った。

 マルテさんは彼の体に触れ、息を飲んだ。


「ど、どうですか!?」


 彼女の額から汗が流れ落ちる。

 ほんのわずかの逡巡の後、ポツリと呟く。


「……まだ、治るかもしれない」


 その言葉に、わずかに安堵した。

 マルテさんはすぐさま回復魔法を唱えだす。


「”生命の光よ、癒せ……命脈よ、繋げ!”」


 マルテさんから暖色の光が溢れだし、ダンさんの体を包んだ。

 光がダンさんの体に吸い込まれていき、徐々に傷が癒えていく。


(す、すごい。あんなに深かった傷が……治っていく!!)


 時間を巻き戻すように傷が癒えていく。

 体には血の気が戻り、明るい色を取り戻していった。


「”命の灯火よ、目覚めよ!”」


 マルテさんが唱え終わると、ダンさんの体を包んでいた光が消えた。

 そこには、いつものダンさんの体があった。


「よ、よかった、ダンさん!!」


 私は彼の体に駆け寄った。

 彼の手を取り、握りしめる。

 ――暖かい。鼓動もある。ちゃんと生きている。

 流石はマルテさんだ。諦めないで良かった。


「ダンさん。……ダンさん……?」


 おかしい。

 いつもなら力強く握り返してくれる手が、動かない。

 手に全く力が入っていない。


 彼の目を見る。

 薄く開かれた目。

 その目が、遠くを見たまま動かない。

 目に、光がない。


「ダンさん」


 反応はない。

 マルテさんがゆっくりと彼の体に触れる。

 苦り切った表情の後、首を振った。


「魔力を感じない」


「え?」


 マルテさんを見つめる。

 彼女が私を振り返った。


「……傷は、治した。失われた血も、戻した。体は元通りにした」


「マルテさん……?」


「でも、魔力の波動を全く感じない。魔力を動かすのは、彼の意思。ダンさんの意識は、戻ってこなかった」


 意識が、戻ってこない?

 体は動いてるのに?

 そんなこと、あるの?


「そんな、でも、身体は、脈打ってるのに」


「……戻すには、遅すぎたの。彼の意識は、もうここにない。私の魔法は、一度死んだ人の意識まで、戻すことはできない……」


 彼女が悔し気に顔を伏せた。

 光るものが彼女の目から落ちる。

 彼女の言葉を、徐々に脳が理解していく。

 そんな。じゃあ。ダンさんは……もう?


「ダンさん」


 もう一度、彼の体を揺すった。

 バランスが崩れ、ゴトリと彼の体が崩れ落ちる。

 受け入れがたい音が、地下の広大な空間に響いた。


「……う、嘘だ!! ダンさん、ダンさん、ダンさんッ!!」


 彼の体を抱き寄せ、必死に揺する。

 しかし、彼は答えてくれない。

 ダンさんの意識が戻ることは、なかった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「”風よ、切り裂け!!”」


 ワースが大魔法を放ち、竜たちを切り刻んだ。

 何体もの竜が斃れる。


 だが、後方からはさらに大規模な集団が押しよせようとしていた。

 ワースはハルたちが戻るまで持ちこたえようと考えていたが、流石に分が悪いと歯噛みした。


「くっ……! いったん退かねばならんか!!」


「ひ、ひぃぃっっ!!」


 ワースの後ろで兵士が悲鳴を上げる。

 ワースは後方に駆け出すと、二人の兵を掴んで走り出した。


「はぁぁぁッッ!!」


 ワースが体を大きく沈ませ、爆発的に跳躍する。

 壁を砕きながら、縦横無尽に飛び回り、地上を目指した。

 程なく地上に飛び出すと、兵士二人を乱暴に放り出す。

 すぐさま体勢を立て直すと、深淵を覗き込んだ。


「……やはり、来るか!!」


 竜が翼を広げ、地上目指して飛び交っていた。

 風の魔法を使い、凄まじいスピードで登ってくる。


「……いたしかたあるまい! ”光の壁よ、顕現せよ!!”」


 ワースは魔力結界を発生させ、地上への出口に蓋をした。

 ハルたちの出口も塞いでしまうことになるが、それよりも死竜兵の地上への進出を止めねばならないと考えた。


「早く、戻ってくるんじゃ、皆……!」


「ワ――スッ!!」


 ワースのもとに駆け寄ってくる者がいた。


「エア!!」


「すまない、遅れた!! 魔導院の魔法使いを各地に配置してきた!」


 エアがワースに並び、深淵を覗き込んだ。


「これが、ゼルンギアの封印……こんなものが、魔導学院にあったなんて……!」


「エア、力を貸してくれ!! 今にも死竜兵とやらが上ってくるぞ!!」


「わかった! ”鎧の宝珠よ、顕現せよ!!”」


 エアはワースが作り出した光の壁に重ねて、魔法による物理的な壁を作り出した。

 死竜兵たちは壁にぶつかり、ギャアギャアとわめきたてる。

 だが、壁を突破することはできないようだった。


「間に合ったか!」


 死竜兵が壁でとどまるのを見て、ホッと息をついた。

 だが、次の瞬間、ワースの目が凍り付いた。


「……な、なんじゃアレは」


 闇の底から登ってくるものがいる。

 それは、光の壁で騒いでいる竜たちが可愛く見えるほどの巨体であった。

 それが、とてつもない速度でやってきている。

 ワースの目は、それが自分たちをはるかに上回る魔力を内包しているのを、はっきりと捉えていた。


「マ、マズいぞッ!! 結界が破られる!!」


 ワースが叫ぶと同時に、巨竜が結界に突撃した。

 結界は一切の抵抗なく砕かれ、巨竜が飛び出す。

 巨竜に続いて、竜の集団が解き放たれた。


 嵐のごとく、竜による蹂躙が始まった。

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