第2話「終末の獣」
ベッドの上で、ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返す。
体が冷たい。血の気が完全に失せていた。
頭を抱え、先ほどの光景を思い浮かべる。
(――――ただの夢じゃない)
経験が訴えていた。
これまで見た夢の中でも、飛び切り不気味な感覚があった。
(でも、あれはいったいどこ…………?)
竜や獣人。とても身近で起こる出来事とは思えない。
だとすれば、危険はないのではないか…………
ふと、外から聞こえてくる音が気になり、窓を見る。
……何もない。
ヘリコプターが過ぎ去る音だけが、耳に残った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あ、おはようおねーちゃん。今日は寝坊だね」
「…………うん、ちょっと変な夢見ちゃって」
台所にいくと、アキちゃんが朝食を作っていた。
テーブルに向かいあって座り、朝食を食べる。
「お父さん、結局帰ってこれなかったみたいだね」
「うん」
お腹に詰め込むように、カレーを口に入れる。味はよくわからなかった。
先ほどの夢についてまた考える。
(…………大丈夫だ。あんなこと、起きるわけない)
外から轟音が響き、家の窓が揺れた。
またヘリコプターだ。さっきより近くを通ったらしい。
「なんだか朝から騒がしいね」
「うん」
「なにかあったのかな。テレビでもつけてみる?」
「うん」
『うん』しか言わない私に、アキちゃんはやれやれといった様子でテレビをつけた。画面が映ると、私はそれに釘付けになった。
”……世界中の各都市の上空に現れた正体不明の物体は、現在も空に居座ったままです。この物体は日本時間の午前5時頃、突然現れたとみられ、主要都市の上空にとどまりました。こちらは東京上空の映像です……”
「え? なにコレ。映画か何か?」
アキちゃんはテレビを操作して次々とチャンネルを替えた。
しかし、画面が切り替わっても、テレビが伝えてくるのは同じ内容だった。
私はテレビから目を離し、リビングのガラス戸を開けて、外に出る。
そこに、あった。
光を吸い込む漆黒の闇。
空にぽっかりとあいた巨大な穴のように、それが存在していた。
「うそ……」
だって、あれはここじゃないはずだ。
ここには竜も獣人も居ない。あれは日本じゃない。
でも、でも…………
空に浮かぶ物体は、間違いなく夢で見たものだった。
「お姉ちゃん!」
アキちゃんがリビングから外に飛び出してくる。
そして、空を見て絶句した。
「お姉ちゃん、アレ、なに?」
不安そうに私の腕に触れてくる。
「私にもわからない」
そう答えるしかなかった。
私にわかるのは、あれが夢で見たものと同じということだけだ。
夢の中の光景が、思い起こされる。
夢では、あの後…………
体に震えが走った。
体全体が揺れ出し、止まらなくなる。
(あんなの、逃げられっこない)
アキちゃんが私を見つめている。
不安そうな顔をしていたが、やがて表情を変え、私の腕を引いた。
「お姉ちゃん、学校行くのやめよう。逃げるから、支度して」
そう、毅然と言った。
アキちゃんはスマホを取り出し、素早く画面をたたいて耳に当てる。
「お父さん、出て……」
スマホのコール音を聞きながら、台所を歩き回る。
「……っ! だめだ、つながらない! お姉ちゃん、メールでもSMSでもいいから、何でも試してみて! 私は必要なものを集めてくる!」
「う、うん。わかった」
アキちゃんは二階へと走っていった。
なんであんなに素早く動けるんだろう。さっきまでは私と同じで、不安そうな顔をしていたのに。
……いや、きっと私のせいだ。さっき私の目を見たとき、そこから私の不安を読み取ったんだろう。私を助けるために、自分のことは後回しにしたのだ。
私は弾かれたように体を動かし、スマホを操作した。
父に繋がる連絡手段を片っ端から試してみる。
しかし、どれも混雑かサービス外で繋がらなかった。
「お姉ちゃん、どう?」
アキちゃんが小さなリュックを担いで戻ってきた。
「だめ、どれも繋がらないの」
彼女は爪を噛んで逡巡したが、すぐに決断した。
「しょうがない、行こう。後で災害用伝言ダイアルにかければいいから。ここらへんの避難場所は、小学校だったよね」
彼女が私の手を引こうとする。しかし、私は踏みとどまった。
「だ、だめ……そんなんじゃ……もっと、もっと遠くに逃げないと!」
私の様相に、アキちゃんが怪訝な顔をする。
「どうしたの、お姉ちゃん。何が心配なの?」
「だめ……だめ……あれはちょっと遠くに離れたくらいじゃ……」
アキちゃんは私の手を引くのをやめ、両手で手を握ってきた。
「落ち着いて。何があっても、私はお姉ちゃんの味方だよ。だから、話してみて」
ほんの少しの逡巡のあと、私は彼女に話した。
「……アキちゃん、あれが落ちてきて、ここら辺にあるもの全部飲み込んじゃうって言ったら、信じる……?」
「……信じるよ。誰が何と言おうとも、私はお姉ちゃんの言うことを信じる」
彼女は全く疑う素振りを見せずに言った。
「それじゃ、小学校はだめだね。もっと遠くに行こう。いつもは電車だけど、動いてるかなぁ……」
ぶつぶつと呟きながら、少しの間考える。
「よし、思い切ってタクシー捕まえよう。混雑してる道を避けて、とにかく遠くへ行ってもらおう」
「い、いいの?」
「こういう時のために、お父さんがいくらか置いてってくれてるよ」
「そうじゃなくて、私の言葉を簡単に信じて……」
「もう、何度も言わせないでよ! 私がお姉ちゃんを疑うわけないでしょ!?」
心底心外だと言わんばかりに、腰に手を当てて、への字眉毛で抗議してきた。
「ご、ごめん」
胸にじわりと熱いものがこみ上げる。
「もう! いいから行くよ!」
私は頷いた。
二人で家を出ようとした時、それは起こった。
――ヴウゥゥ――――――ンン――…………。
その音は、低く、重く、長く響き渡った。
巨大な重低音に、周囲の建物すべてが鳴動する。体にかすかな揺れを感じた。
私は全身が総毛だった。体が震えているのは、振動によるものだけではない。
私の脳裏に、夢の中で観た最後の光景が想起された。この音が響いた後、街は…………
「なに!? この音!」
両耳を手で塞ぎながらアキちゃんが言った。
私は固唾をのんでテレビを見る。そこには、私が見たくなかったものがあった。
黒い塊が落下し、タールのようにゆっくりとうねりながら街を飲み込む。悲鳴と轟音が流れ出し、やがて音割れとともにそれも消えた。
――そんな。もう、間に合わないの?
テレビに映っていたのは、外国のどこかだ。だが、おそらく東京にも落ちるだろう。いや、もう落ちているのかもしれない。今まさに、漆黒のうねりがここを目指してやってきている最中かも――……
――私にできることは、もうないの?
アキちゃんの方を見る。
目が合った。
彼女の目の端に、うっすらと光るものを見つける。さっきまで気丈だった彼女の顔が歪んでいた。それでも、彼女は私の手をしっかりと握っている。手を通して、彼女の震えが伝わってきた。
私は彼女を強く抱きしめ返した。
テレビが何かを言っている気がする。東京がどうとか。それも、遠くから響いてくる轟音にかき消された。もう、来るのだろう。
ああ、神様でもなんでもいい。アキちゃんだけは助け――――……
――……
……
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