第2話「触診」

 魔法教室一日目。私は修練場にやってきた。

 今日はとりあえずルゥと二人だ。

 マルテさんは「すぐに片づけてくるッ!!」と言ってどこかに行ってしまった。先に仕事を終わらせて、後で合流するつもりらしい。


「回復魔法が使えるようになりたいんだったな」


「はい、先生」


 居住まいを正し、答える。

 何事も最初は大事だ。

 やる気のない所を見せて、先生にがっかりされたくない。

 たとえ相手が唐変木のルゥでも、先生は先生だ。

 先生、ハルはやる気ですよ。


「気持ち悪いから先生は止めてくれ」


 これは。

 生徒にやる気はあっても、先生にやる気がないタイプだったか。

 いや違うか。ルゥは先生をやる気がないのだ。

 じゃあいつも通りでいいか。


「うん。とりあえずそれを目標にしたいと思ってるよ」


「……目標としてはなかなか難しいな」


「え? そうなの?」


 回復魔法が目標として難しい。

 そうなのか。

 いきなりケ○ルガとかベ○マじゃなくて、ケ○ルとホ○ミのつもりで言ってるんだけど。

 それでも難しいんだろうか。


「まあな。理由は単純だ。回復魔法と呼ばれるものは、全て大魔法に属するからだ」


「え? 全部!?」


 全部が難しい大魔法。

 ケ○ルやホ○ミでもか。


「そうだ。傷を治したり、解毒したりといった魔法は、対象に直接効果を発揮させる必要がある。だから全部大魔法なんだ」


「……やっぱり、最初の目標としては難しい?」


「いきなり大魔法は無茶だ。オレでも無理だろう」


「そ、そっかぁ……」


 思わず肩を落とした。

 まさかこんな罠があったとは……

 やはり、ゲームとは違って思った通りには行かない。

 じゃあ、別の目標にするかなぁ……


「……一応、大魔法でなくとも癒しの効果を持つ精霊は作り出せる」


「えッ!? ほんと!?」


 それを早く言ってくださいよ、先生!


「まあ、直接作用させることが出来ないから、せいぜい肩こりを軽くしたり、吐き気を抑えたりといったことしかできないけどな」


「……肩こりに、吐き気」


 衝撃の事実。

 肩こりを治す精霊に、吐き気を抑える精霊が存在する。

 すごいぞ、この世界は。

 魔法で肩こりを軽減できて、吐き気も抑えられる。

 これで仕事もはかどり、飲み会の翌朝も安心。

 中高年が泣いて喜ぶ魔法があるんだ!


 ……とはいえ。


「思ってたのとちょっと違う」


「だろうな」


「はぁ」


 ため息をつくしかない。


「……だが、最初の目標としてはいいかもしれないな」


「肩こりの精霊に、吐き気の精霊が?」


 やだよ私。肩書が「肩こり魔法の使い手」とかになるの。


「そんな名前じゃない。癒しの精霊だ。何度か説明しているが、魔法の基本は精霊を作り出すことだ。光の精霊よりは複雑だが、最初の目標としては適当だと思う。回復魔法を使うための練習にもなるはずだ」


 そっか。つまり、肩こりの精霊の延長線上に回復魔法があるわけだね。

 ならいいか。


「それならいいかも。どうやったら使えるようになるの?」


「まずは精霊を作るのに慣れることだな。最初は基本的な精霊を作って、徐々に複雑な精霊にシフトしていく。とりあえず、炎の精霊を作って見ろ。何度か見てるからイメージしやすいはずだ」


 ルゥはそう言って、人差し指を掲げた。

 掲げた瞬間に、もう炎の精霊が出来ている。

 ほえ~、流石導師様。

 じゃ、真似してやってみるか。


 えっと。まず体内の魔力を感じる。

 光の精霊を作った時もそうだったけど、なんとなくわかる。

 自分の中に小さな魔力の塊みたいのがあるのだ。

 それを引き出して……


「”炎の精霊よ、顕現せよ!”」


 ずるりと、何かが引き出される感覚があった。

 魔力が変容し、炎の精霊へと変換されていく。

 よし、できた――――


 ぷすっ。


 ――と思った瞬間、煙のようなものが手から出て消えた。


 あれ? 炎の精霊は? どこ? でておいでー。

 ……いや、わかってる。これは失敗だって。

 でも心の中で誤魔化したくもなるよ。

 だって、おならみたいな音がしたんだもん……


「むむむ」


 悔しい。もう一度、もう一度だ。


「”炎の精霊よ、顕現せよ!”」


 ぷすっ、ぷしゅーっ、と間の抜けた音が修練場に鳴り続けた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 魔力を感じ……感じ……ない。

 もうほとんどない。つまり、魔力切れだ。

 10回くらいだろうか。

 私が炎の精霊に挑戦した回数だ。

 そして、無残に失敗した回数でもある。

 結局、今日は一度も成功しなかった。


「……失敗しちゃいました」


 ひどく弱々しい声になってしまった。

 上目遣いでルゥを見る。

 先生、私ができない子だからって、見捨てないで……


 ルゥはいつもの顔だった。


「どうした? もう一度やって見ろ」


「もう、魔力がないです……」


「ああ、そうか。じゃあ今日はここまでだな。魔力を回復させる薬はあるが、アレを使うと疲れるからな……かえって効率が悪くなるから、戦闘以外でアレは無しだ」


「……ご、ごめんなさい」


「あん? なぜ謝る?」


「う、うまくできなかったから……」


「別にお前は悪くないだろ。挑戦し、失敗した。それだけだ。だから謝られても困る」


「……見捨てないでくれる?」


 そういうと、ルゥはため息をついた。


「……あのなぁ。何にも悪くないお前をオレが見捨てるわけないだろ。オレを何だと思ってるんだ? お前のそういうとこ、悪い癖だぞ。前も言ったが、お前は周りを気にしすぎだ」


「そ、そうだったね」


 思い出した。

 グースギアの夜に同じことを言われた。

 あの時のことを思い出し、少しだけ胸が熱くなる。


「それに、魔法は基本的に失敗して覚えるものだ。オレだって最初は失敗しまくったぞ。マルテだってな」


「そうなの? マルテさんが失敗してたのは聞いたけど、ルゥのは初めて聞いた」


「ああ……オレは特に地属性の魔法が苦手でな。マルテは簡単にできてたから、焦ったな。実は、今でも地属性は得意じゃない」


「そうなんだ。なんでも得意なのかと思ってた」


「誰だって苦手なものはある。マルテは攻撃魔法全般が苦手で、オレたちの中で一番魔力量が少ない。ダンは魔力が多くて攻撃魔法が得意だが、接近戦はオレたちの中で一番弱い」


「そ、それはすっごく意外……あんなに体が大きいから、てっきり一番接近戦が強いのかと思ってた」


「だろ? ダンの前では言うなよ。たぶん気にしてるからな」


「じゃあ、ワースさんは?」


「……ムカつくことに、あのババァは何でも得意なんだ。魔力も多い。その上、魔法より格闘が得意ときてやがる」


「本当に、みんな見た目と全然違うね。ね、皆の中で誰が一番強いの?」


 面白くなってきたので、聴いてみた。


「……誰が強い、ってのはちょっと言い辛いな。誰もが互いを倒せる力を持っているから、単純に比べられるものじゃない。だが、先ほどの例で言うなら――」


 ルゥは「魔法」と「格闘」の尺度で強さを説明してくれた。

 それによると、こんな感じらしい。


 魔法:ワース>ダン>ルゥ>マルテ>リィ

 格闘:ワース>マルテ>ルゥ>ダン>リィ


「へええええ。ルゥはどっちも真ん中くらいなんだ」


「……まあな。腹立たしいことにな」


「やっぱり悔しいんだ」


「当り前だ! あのババァにどっちも負けてるんだぞ! いつか絶対超えてやる!」


「ふふ、頑張れ頑張れ」


 ルゥはたまに熱くなるな。

 こういうとき、ちょっとかわいく見える。年相応の男の子って感じで。

 ルゥはちょっと熱くなったのが恥ずかしかったのか、咳ばらいを一つした。


「……大分話がそれたが、失敗を気にすることはない。たぶんオレの教え方も悪いしな。大丈夫だ。光の精霊が出来たんだから、他の精霊も出来るようになる。そうしたら、魔力も増えて、ペンダントも反応するようになるはずだ」


「うん。そういえば、ペンダントって、魔力があるからってすぐに使えるようになるわけじゃないんだね」


 光の精霊が使えたのに、ペンダントが反応しないから不思議に思ってた。

 どうも他にも条件があるらしい。


「ああ。魔導院の魔法使いとして相応しいくらいの魔力量は必要だ」


「それって、どれくらい?」


「具体的にどれくらいって言うのは難しいな。大魔法が使えるようになればいけると思うんだが……」


 ふーん。

 大魔法が使えるくらいかぁ。

 じゃあやっぱり時間がかかるのかな。

 魔導学院の生徒たちも苦労してたし。

 あとどれくらい練習すればいいのかな……

 ……


 ふと、私は周りを見た。

 誰もいない。

 修練場は、ルゥと私の貸し切りだ。

 貸し切り。

 ……それなら……


「ね、ルゥ。私に触れば、あとどれくらいで大魔法が使えるようになるかわかる?」


「ああ?」


 ルゥが不思議そうに私を見た。

 直後に、体全体が熱くなる。

 汗が噴き出し、ゆでだこのように赤くなってしまった。

 私は、今、自分から私に触ってと言ったのだ。


「どれくらいで使えるようになるかは、魔力がどれくらい増えるかによるが……そうだな。今の量を確かめておけば、予測は立てられるか」


「……ん」


 ルゥはおもむろに私の頬に触れた。

 心臓が早鐘を打っている。

 ゆっくりと目を閉じ、頬に触れる感触に集中する。

 暖かい。じんわりとした熱が、手を伝って頬に浸透していく。

 どうでもいいけど、どうしていつも頬なんだろう。

 触ればいいだけなら、手でもいいんじゃないか。

 それとも、頬に触るのが普通なんだろうか。

 あんまり、触ることも触られることもない場所だと思うんだけどなぁ。

 お父さんにもあんまり触らせないよ。

 わかってるのかなぁ。

 わかってないだろうなぁ。

 あ。

 離れて行く。

 終わったのかな……


「今の魔力量は把握した。明日どれくらい魔力が増えているかを見て、予測してみよう」


「うん。ありがとう……」


「どうした? まだ何かあるか?」


 彼が私の顔を覗き込んでくる。

 近い。すぐそこに、ルゥの顔がある。

 手を伸ばせば触れられる位置に。

 ……いいよね。

 もうちょっと、近づいてもいいよね。


「私が触ったら、ルゥの魔力もわかるのかな?」


「は?」


 ルゥが固まった。

 目を見開いて私を見つめている。

 想定の範囲外の質問が来ると、こうなるようだ。


「……試してみるか?」


「うん」


 手を伸ばし、頬に触れる。

 あ、意外と冷たい。

 ……というか、私が熱いのか。

 しまった。手が汗だらけだ。

 じっとりとした感触がある。

 い、嫌じゃないかな……

 ごめんね、ちょっと我慢してね。


 ……

 ……魔力、魔力……これ?

 え、これ!?

 す、すごい量……私がコップ一杯の魔力だとしたら、海くらいあるんじゃないだろうか。本当に、導師の魔力は桁が違う。


「どうでもいいが、どうして頬なんだ?」


 ポツリとルゥが言った。

 は?

 お前はいつもほっぺに触ってくるだろうが。

 それが普通じゃないんかい。


「ルゥだっていっつも頬に触ってくるじゃん」


「オレは位置的にそこが触りやすいからだ。お前だと手を伸ばさないといけないだろう。オレの手を触ったほうがいいんじゃないか」


「じゃあ、私の身長がもうちょっと高かったら、ルゥは私の胸に触るの?」


「ああ? んなわけないだろ。おい、なんかさっきからお前おかしくないか?」


「うるさい黙れ」


 おかしいのはわかってる。

 言われるまでもないことだ。

 ただ、熱い。

 頬も、胸も、口も、お腹も。喉がカラカラだ。

 私は何をやっているんだろう。

 ルゥの頬に触れて、私は……


「ッッ!!」


 ルゥの体がビクリと震えた。


「ど、どうしたの?」


 しかし答えない。

 彼の視線を追ってみる。

 そこには……


 犬耳の女性がギラギラとした目でこちらを見ていた。

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