第5話「涙と静寂の風」

「オレはルゥ。旅の魔法使いだ」


 彼は腕組みをして答えた。


「ま、魔法使い?? こ、ここ、ここは……?」


「オレが借りている宿屋の一室だ」


 宿屋。彼が借りている。

 つまり私は、彼のベッドに寝ている。

 なぜ。


「な、な、な、なんであなたの部屋に私はいるの?」


 彼はジトッとした目で私を見ると、ため息を一つついた。


「今までお前を介抱していたからだ。いきなり倒れて、熱が出ていたから、急いで街まで連れてきたんだ。そのあとは解毒と治癒の魔法をかけて寝かせた。……言っとくが、やましいことは何もしてないぞ。そんなに怯えるな」


 私はベッドで震えながら彼の話を聞いていた。

 その様子に、彼は心外だとばかりに嘆いた。


(本当かなぁ……)


 私はそろそろと毛布の中で傷のあった場所を見てみる。

 何もない。傷が痕も残らず綺麗に治っていた。

 破けた服は、結んで落ちないようにされていた。

 恐る恐る彼を見る。


「本当に、何もしてない……?」


 彼は私の方を向き、居住まいを正した。

 キリッとした眉で、真剣な顔をしている。


「お前が俺のことを疑っているのはわかる。だが、誓って何もしていない。……その、昨日見たことは忘れよう」


 極めて真面目な表情だ。だが、顔が少し赤い気がするのは私の気のせいか?

 ……まあ、彼の言葉を信用するかはとりあえず置いといて、それよりもすごく気になることがある。


「……あなたは、私の言葉がわかるの? 日本語が使えるの?」


「ニホン? それがお前の国の名前か?」


 と、予想外の答えが返ってきた。

 

「え? だってあなたさっきから……」


 言いかけて、ハッとした。

 あまりに自然に話しているから、気付かなかったのだ。


「私、日本語で話してない……?」


 それはまるで、生まれてから今まで使ってきた言葉のように、自然に口をついて出た。私が話しているのは、まったく未知の言葉だ。


「お前が使っているのは、我が国ゼルンで標準語として使われているものだ」


 ゼルン? ヨーロッパのどこかにそんな国があったか。

 いや、そんなワケはない。ここはたぶん地球じゃない。

 別の世界の、この国の言葉なのだ。


「お前が話せているのは”伝心”の魔法の効果だ。この魔法は術者の知識を他者に移植することができる。お前の反応をみるに、魔法は成功したようだな」


 なにそれ、すごい。

 それがあれば私も明日にはバイリンガル。いや、すでにバイリンガルだから、トライリンガルか。


 これで英語の勉強もいらなくなる! と思ったけど、それには英語を使う人が魔法使いになるか、魔法使いが英語を覚える必要があるということに気付いた。つまり、私が英語のテストで楽をすることは無理ということだ。無念。


(あ、でも……)


 ”伝心”という言葉の響きが気になる。もしかしてその魔法は、知識を移植するだけでなく、読み取ることもできるのではないか。これは聞かねばなるまい。


「あの、その魔法って――」


 と言いかけたところで、口よりも雄弁にお腹が語った。

 ぐ――――――……と。つまり、何か食わせろと。


(な、なんで今……!!)


 顔が熱くなり、背中に冷や汗が浮かぶ。

 彼が訝しんだ目で私を見ていた。


 違う。違うんです。私は昨日から何も食べておらず、お腹が鳴ったのは不可抗力からで、決して私は食いしん坊というわけでは――……


 その瞬間、脳裏で私の中のアキちゃんが語り掛けてきた。

 

『お姉ちゃんはうちで一番食いしん坊だよね。ご飯は必ずおかわりするし』


 無慈悲な妹の声が私の胸を串刺しにした。


「腹が減っているようだな。ついてこい。昼食にしよう」


 彼が椅子から立ち上がる。


「昼食? 朝食じゃなくて?」


 彼はやれやれと首を振った。


「もう昼だ」


 つまり私は、食いしん坊の寝坊。年頃の乙女というより、育ち盛りの小学生男子である。穴があったら入りたい。

 


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ルゥの後ろについて階段を降りると、香ばしいにおいが鼻腔をくすぐった。

 薄暗く狭い空間に、小さなテーブルが所狭しと並んでいる。暖色の照明が、そこにいる人々や料理をぼんやりと照らしていた。ここは食堂のようだ。


 ルゥは何も言わず端っこにある二人用のテーブルに座った。

 私も彼の向かいに座る。

 すぐに店員がやってきて、水の入ったグラスを二つ置いた。


 ルゥが店員にいくつか注文をする。

 

「お前はどうする?」


 と聞かれたが、何があるのかよくわからない。

 まあ、何があるのかわかっても、私は大抵こう言うのだ。


「あ、わ、私も同じのを」


 それを聞くと、店員はメモをとって厨房に入っていった。


 料理を待ちながら、私は俯いている。

 周りから視線を感じていた。


 ……たぶん、顔つきや服装が珍しくて、目を引いているんだと思う。服はボロボロだし。どうしよう、この服。さすがにこのままはまずいよね。


 向かいの男は無言で壁の飾りを見ていた。

 何が面白いんだろう。いや、私にとっては物珍しくて興味を引くけど。


 正直、居心地が悪かった。

 私は話す言葉を見つけられず、俯いてグラスの水を見つめていた。


「お前、名前は?」


 ルゥがポツリと言った。

 顔を上げて彼を見ると、腕組みをしてムスッとした顔をしている。

 ……なんでそんな怖い顔するんだろう。


「ハ、ハルです」


 気圧されて、素直に答えてしまう。まだ信用したわけじゃないのに。


「ハルか。やはり珍しい響きの名前だな。どこから来たんだ?」


「ど、どこって……」


 なんて答えたらいいんだろう。

 日本です、と素直に答えたら?

 日本はどこだ、と聞かれるだろう。


 しかし、その問いに答えるのも難しい。

 ここがどこだかわからないと、日本が相対的にどれだけ離れているのかわからないからだ。

 だからといって、私は異世界から来た、なんて言ったら頭のおかしいヤツ扱いされるに決まっている。

 ……そもそも、目の前の男に正直に答えるべきなのか?


「たぶん、すっごく遠いところです」


 迷った末にそう答えた。間違ってはいないが、間抜けな答えだと思う。

 だが、私は頭が良い方ではないし、混乱しているのでそんな答えしか出てこなかった。


「すっごくって……どれくらいだ? 別の大陸とかか」

 

「わからないです。というか、そもそもここがどこなのかわからないんです」


 ルゥは首を傾げた。

 

「お前、記憶喪失とかじゃないよな?」


「違います」


「じゃあこれは答えられるか? なんであんなところに居たんだ?」


「それは……」


 答えようとして、言葉に詰まった。

 何かを喋ろうとするが、言葉にならない。

 ルゥの質問が呼び水となり、日本でのことを思い出した。

 空を覆う黒い物体、それに飲み込まれる街、最後に繋いだアキちゃんの手の温もり……


 胸が締め付けられるように苦しくなり、目の周りが熱くなる。


「わ、わかりま、せん……」


 違う。言うんだ、日本でのことを。

 東京に黒いのが現れて、それが落ちてきて。

 街も人も消えちゃって。

 アキちゃんも。

 父さんも。

 だが、胸に溢れた感情が邪魔して、何一つ言葉にすることができなかった。


「さっきからわからないばかりだな」


 ルゥはグラスを眺めながら頬杖をついて言った。


「~~~~~~ッッッ!!!」


 唐突に、目から大粒の涙が溢れた。


「え?」


 私の様子を見て、ルゥは間の抜けた声を出した。


「う、うぅぅぅぅううう、私にも、何がどうなってるか、わからないの!!」


 最後の方は叫ぶように言ってしまった。

 その言葉を合図に、堰を切ったように熱いものが頬を伝った。

 とめどなく流れ落ちる雫が、テーブルをポツポツと叩く。


「お父さんもアキちゃんもいなくなっちゃうし!! 気が付いたら知らない場所だし!! 気持ち悪いのがウジャウジャいるし!!」


「お、おい」


 ルゥは呆気にとられている。

 店内が騒がしい。みんな見ている。

 それはわかっているが、止まらなかった。止められなかった。


「知らない人におっぱい見られるし!! 私はバカだからうまく説明できないし!!」


「ッ!! わ、分かったから泣くな! 頼む、俺が悪かった!」


 ルゥは慌てた様子で身を乗り出し、涙を拭おうとしてくる。


「あーあ、何やってんだよアンタ。こんな女の子を泣かせて」


 店員が料理を運んできた。

 手際よく料理を並べると、手ぬぐいを差し出す。


「す、すまない」


 ルゥがそれを受け取り、私の涙を拭いてきた。


「ず、ずびばぜ、うっ、うっ」


 しゃっくりと鼻水でうまく喋れない。

 店員は怖い顔でルゥを睨むと、仕事に戻っていった。


「うっ、ぐっ、ひっ、ぐぅ……」


 苦しい。息がうまくできない。

 目と鼻と喉が痛い。

 しゃっくりが止めたくても止められない。


「……」


 ルゥは困ったような顔をした後、見かねたように私の手を握った。

 そして呟く。


「”静寂の風よ、鎮めよ”」


 ルゥが何かを唱えると、手の中にじんわりと滲む熱が生まれた。

 熱は手から全身に広がっていく。

 やがて体全体が温もりに包まれたような感覚になった後、すっと消えた。

 気が付くと、私の涙としゃっくりは止まっていた。


「……あれ?」


「ふぅ……落ち着いたか?」


「……うん。何したの?」


「心を落ち着かせる魔法だ。恐怖や悲しみを和らげる効果がある」


「すごいね。なんかすごく楽になった」


 私はアキちゃんといるときのように落ち着いていた。

 さっきまでの涙が嘘のようだ。


「この魔法は戦いの前に使うことが多い。仲間を鼓舞したり、昂りすぎた気持ちを抑えたりな。……いや、そんなことはどうでもいい」


 ルゥは姿勢を正して、私に向かって頭を下げた。


「すまん。オレが悪かった。知り合いからもよく無神経だと言われるんだ。反省している」


「……ううん。私の方こそ、突然泣いたりしてごめん」


 あっ……なんか、言葉もスラスラ出る。いつもは吃るのに。これも魔法の効果なのだろうか。

 私の様子を見て、彼はホッと息をついた。


「とりあえず飯を食え。魔法なんてしょせん気休めだ。ほら、オレのパンをやるから」


 彼は自分の皿にあったパンを一つ私の皿に乗せた。


「あ、ありがと」


 涙が止まったら、すごくお腹がすいてきた。だからこのパンはとてもありがたい。


 あ、でも、どうやって食べるんだ。この国のマナーなんて知らない。

 チラリとルゥを盗み見る。彼はパンをちぎってシチューのようなものにつけて食べている。


 あれ? そんな感じでいいの?

 日本だと行儀が悪いとか言われそうだけど、私は気にしない。

 だって美味しいじゃん。


 私はルゥの真似をしながら、昼食を食べ始めた。

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