第4話「魔法使いと出会いの記憶」
「ふぎゃっ」
私は少々乱暴に降ろされた。そのおかげで随分間抜けな声が出てしまった。もう少し丁重に扱ってもらいたい。
「いててて…………」
私が降ろされたのは、森の中の少し開けた場所だ。
すでに街の姿は影も形もなかった。
あの恐ろしい場所から離れたことで、少し恐怖が薄れる。
先ほど怪物に傷つけられた体を見る。
あちこちに切り傷がついていたが、それほど深くはなかった。
(良かった…………)
でも、服はボロボロだった。今にも破けてしまいそうだ。
私を運んできた彼は、巨大な犬モドキを撫でていた。
犬モドキは行儀よく座ってグルグルうなっている。
ひとしきり撫でると、彼は私の方を振り向いた。
そのとき、初めて彼の姿をまともにみた。
(…………大きい)
彼は背が高く、ガッチリとしていた。
全身に無駄なく筋肉がついており、鍛えられているのがよくわかる。
あれだけ速く動けるわけだ。
(うっ)
キリッとした眉に意志の強い目をしている。
私はこういう目は苦手だ。睨まれているようで、ちょっと怖い。
(ん?)
私が彼を見ていると、彼も私を見ていることに気付いた。
それも、かなりじろじろと。
いや、間違いなく舐めるように見られている。
…………なんでそんなに私を見るの。怖いよ。実は危ない人なんじゃないか。
あ、でも私を助けてくれたんだった。
えっと、この場合はまずお礼を言わないといけないと思う。
そうだ、私は何を失礼なことを考えているんだ。
彼が黙っているのも、心の中で「なんだコイツ、助けてやったのにお礼も言わないで」とか思っているからかもしれない。
よし、言うぞ。ほら、言うぞ。うん。
……早く言えよ。
「あ、あの、た、助けてくれて、ありがと、ございま……す……」
お礼の練習をしておくべきだった。最後の方は彼にほとんど聞こえないくらい小さな声だった。
「ユ××××ワ××××××ゥ?」
彼が口を開いて放ったその言葉を、私はうまく聞き取れなかった。
「え、え? なんですか?」
「ユゥ××××××ス×××××ル?」
ドッと、冷や汗が噴き出した。
日本語でないのは間違いない。たぶん英語でもない。言葉として耳に入ってこない。ゆえに、彼が何を言っているのか全く分からない。
私は明確に認識した。ここは日本ではないと。
いや、それどころか、地球ですらないだろう。
だって、地球にあんな怪物がいてたまるものか。
彼は顎に手を当てて何かを考え出した。
少しの間をおいて頷くと、私に近づいてくる。
そしていきなり、私の頬に触れた。
「うぇ?」
彼はそのまま無遠慮に私の頬を引っ張り出した。
意表を突かれて変な声が出る。
いきなりのことに頭が混乱した。
彼の予想外の動きに反応できずにいると、さらに予想外のことが起こった。彼は素早い手つきで、私の全身を探り出したのだ。
「え!? え!? え!??」
いやいやいやいや、私は何をされているのだ。
こんなストレートなセクハラは見たことがない。
彼は一言もしゃべらない。それどころか、無表情だ。
い、一体どういう神経をしているのか。
「や、やめ、やめて!」
彼はなおも体を探り続けている。そして私の肩の傷に気付き、そこに触れようとした。そのとき、ビリッと嫌な音がした。
そこでようやく、彼の動きが止まった。
私はホッと息をついた。
(…………?)
だが、彼の様子がおかしかった。
先ほどまでの無表情が一変して、口を大きく開けて固まっているのだ。
その表情を一言で言うなら、「驚愕」だろうか。
私は彼の視線を追い、その先にあるものを見ようとした。
私の目がゆっくりと動き、それはやがて私の胸元にたどり着く。
「え」
剥き出しだった。私の肌を隠していた衣服は破け、機能を失っていたのだ。
つまり、私は目の前の男に右胸を完全に露出している。
その事実を脳が認識したとき、全身の血液が沸騰するのを感じた。
「いやああああぁぁぁっっ!!」
私は無意識に彼の顔面をひっぱたいていた。
乾いた音が響き、彼がのけぞる。
私はかろうじて残った衣服の切れ端を手繰り寄せ、胸元を隠して後ずさった。
だが、不意に地面が揺らいだ。その場に転びそうになる。
なんとか踏みとどまったが、揺れは収まらない。
…………いや、揺れているのは私だ。
どうしたんだろう。急に頭に血が上った影響だろうか。
ぐらっと体が傾き、その場に倒れこんだ。
彼が近づいてきて、何か語り掛けてくる。
しかし、次第に声が遠くなっていき、私は意識を失った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――――小さな建物の一室。その中で、二人の男女がベッドを前に話し合っていた。ベッドにはボロボロの服を着た女性が寝かされている。
「どうだ?」
男が、隣にいる女に話しかけた。
「疲労じゃないかの。回復魔法をかけたし、一晩寝かせておけば大丈夫じゃろ。……それにしても、うくくっ」
女はたまらないとばかりに、笑い声を漏らした。
「……なんだよ」
「ぷあっはっはっはっはっっ! あの対応はないじゃろあの対応は! いたいけな少女の服をひん剥きおって、このマヌケめ! うわははははは!!」
女は腹を抱えて笑っている。
「……問題はなかったと認識している。危険がないか確かめる必要があったし、怪我を負っているのでそれを治そうとした」
「だとしてもじゃ! 女の子はもうちょい優しく扱わんかい。あんなのワシじゃったら鼻に杖突っ込んで電撃魔法をぶっ放すぞ。あれでは聞き出せるものも聞き出せんわ」
そう言いながら、杖で男の頭を小突く。
「ぐっ……!」
「まあそれはおいおい直せ。しかしこの娘、おぬしはどう思う?」
「……今回の事象について、はじめはコイツが原因ではないかと疑った。だが、コイツからは全く魔力を感じない。肉体的にはただの人だ」
二人はベッドの上に寝る人物を見つめた。女は手を伸ばし、ベッドで眠る人物の頬にそっと触れた。
「うむ。ワシも同感じゃ。じゃが、肉体的には普通でも、それ以外に妙なところがあったようじゃな?」
「ああ。聞き慣れない言葉を喋っていた。それに、このような服装も見たことがない。だいたい、普通の人間があの場所にいるわけがない」
「ふーむ……一体何者なんじゃろうな」
女は優しく頬を撫でている。ベッドの人物が起きる気配はない。
「あんたの”読心”の魔法でわからないのか?」
「……実はさっきから試しとるんじゃが、うまくいかん。さっぱり読めんのじゃ」
「馬鹿な。魔力のない人間が、あんたの魔法に抵抗できるわけがない」
「ワシも少々ショックじゃ。おぬしの魔力抵抗でも突破できるんじゃがのう。…………やはりこの娘、ワシはただの人ではないと思う」
「……コイツが”特異点”だと思うか?」
「そう断ずるのは早計じゃ。魔都がああなった原因もわかっておらん。慎重に調査する必要がある。………………よし」
女は男にニカッと笑いかけた。
「……? なんだ?」
「うくく。いいことを思いついたぞ」
女の目が細められる。
「なんだその目は。おいやめろ。嫌な予感がする」
「安心しろ。彼女から情報を引き出し、部下の成長も促せる名案じゃ」
「聞きたくない」
「聞け。ルゥ、おぬしは旅の魔法使いに扮し、彼女を懐柔して情報を引き出せ。なに、おぬしは彼女の恩人じゃ。うまくやれば必ず落ちる。おぬしという人間を信用するよう、優しくしてやるんじゃぞ?」
「勘弁してくれ。オレはたぶんコイツに嫌われている。言葉もわからない」
「案ずるな。ワシの大魔法を使えば、言葉なぞどうにでもなる。ちゃんと陰ながらフォローしてやるから安心せい」
「それが嫌なんだ!! 隠れて楽しみたいだけだろ!! 頼むから他のヤツに」
「ダメじゃ。これは命令じゃ!」
「勘弁してくれ――――」
男はうずくまり、頭を抱えた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
それはパッと見、ビーフシチューに見えた。ただ、いつものビーフシチューと違って、野菜がほとんど見当たらない。その代わり、肉ばかりがゴロゴロと入っていた。
「お姉ちゃん、お腹すいたでしょ? 今日は一杯食べてね」
と、アキちゃんが鍋をかき混ぜながら語り掛けてくる。
そうだ、私はお腹が減っていたんだ。思えば昨日の朝から、何も食べていない。
そうとなったら、食べよう。
アキちゃんの作ってくれる料理に間違いはない。
いただきまーす、と言った直後には口に入れている。
ゴロッとした肉の塊をよく噛み、飲み込む。美味い。
まだまだお腹がすいている。どんどん食べよう。
大きな肉の塊を一つ、二つ、三つ。休まず口に入れる。
「お姉ちゃん、美味しい? まだまだあるよ」
私はおかわりした。すぐに山盛りのシチューが手渡される。
いくら食べても一向にお腹がいっぱいにならないので、一所懸命食べる。
しかしこんな肉、どこで買ってきたんだろう。我が家の経済事情は決して裕福とは言えないはずだ。いつもアキちゃんに余計なものを買うなと叱られるのに、今日はどうしたというのか。
ねえアキちゃん、この肉、何の肉? と、何気なく聞いた。
「ウサギ」
え?
私の食べる手が止まった。
シチューに目を落とすと、大きな肉がプカプカと浮かんでいる。
ウサギ。これまでの我が家の食卓には出たことがない食材だ。ジビエとかいうヤツだろうか。
だが、父は猟師ではないし、近所にもそんな人はいない。こんなもの、スーパーに売っているのか?
それにしても、ウサギの肉とはかくも大きいものなのだろうか。一体どこにこれだけの体積を擁する部位があるのか。牛のように巨大なウサギでもいれば、別だろうが。
私はアキちゃんを見た。
アキちゃんは笑顔で振り返った。手元には、バラバラになった巨大なウサギの頭部があり、ゴロリと転がった瞳がこちらを見た。
「お兄ちゃんがいっぱいとってきてくれたんだから、一杯食べようね!」
「ウワ――――――――――――――――ッッッッ!!!!」
私は跳ね起きた。その瞬間、今まで見ていたのが夢だと悟った。
大丈夫、今のは予知夢の類じゃない。予知夢であってたまるか。
「ゆ、夢で良かった……」
まったく、なんでこんな夢を見てしまったのか。もう変な夢はたくさんだ。
しかし、いつの間に寝たんだろう。直前の記憶が曖昧だ。とても嫌なことがあったのはなんとなく覚えているのだが。
たしか、怪物どもに追われて、そのあと誰かに助けられて……
「やっと起きたか」
「うわぁ!?」
横から思いがけず声を掛けられ、私は悲鳴を上げた。
椅子に、男が座っている。
「だ、だ、だ、誰ですかあなたは!?」
私は毛布を手繰りよせて、掻き抱いた。
ベッドの上に体育座りの姿勢になって小さく丸まる。
「オレはルゥ。旅の魔法使いだ」
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