第12話「ハル、誘惑する」

 その人物は、がっしりとした体格で姿勢よく立ちながら、本を読んでいた。

 ペラペラと本をめくりながら、時折メモ帳に何かを記している。

 今から私は、彼に話しかけ、ワースさん達が拘束できるよう隙を作る。


 ……私が考えた作戦はこうだ。

 私は魔導院に最近入った駆け出し魔法使い。

 ワースというセクハラロリババァに命令され、本を探している。

 なかなか見つからないので、近くにいた人に聞いてみた、という設定だ。


 ……うん、多分大丈夫だと思う。

 よし、行くぞ!

 私は彼に向かって足を踏み出した。


「私に何か用かね」


(!!)


 彼は後ろ向きのまま声をかけてきた。

 とっくに私の存在に気付いていたらしい。


 ……不意打ちだ。不意打ちを食らったら先に攻撃される。

 ゲームでも現実でも、そこのところは同じだ。

 私が硬直していると、その人物が振り返って私を見た。


「……何か、用かね?」


 思ったよりも若く、精悍な顔をした男性だった。

 鋭い目つきで私を睨んでくる。

 ま、まずい、警戒されている。


 ……いけ、頑張れ、私。

 作戦通りにやるのだ!


「あ、ああ、あの、本を探しておりまして……」


「本なら、魔導院所属の君の方が詳しいんじゃないかね」


「わ、私、魔導院に入ったばかりで、何もわからないんです……」


「……悪いが、私は忙しい。力にはなれない」


 彼は厳しい目つきで私を睨んでいる。

 ……だ、ダメだ――!!


 どうしよう、このままじゃバレちゃう……!!

 どうしよう、どうしよう……!!

 ……え――――い!!


「ッ!?」


 私はやけくそになって飛び出し、彼の手を取って縋った。


「な、なにを……!?」


「お願いです、このままだと怖い上司に怒られるんです……!! どうか一緒に探してもらえませんか!?」


 上目遣いになり、涙目で懇願する。

 涙は演技ではない。


「わ、わかった、わかったから……うッ!?」


 やった、うまくいった!

 と思ったら、彼が赤面して固まった。どうしたのだろう。


「き、君、そのような格好で近づいたら……み、見えているぞ」


 ……えっ、何が。

 彼の視線を追った。


「ひっ」


 その先に、はだけた私の胸があった。

 上から覗き込めば、奥まで覗けてしまうことに、今更気付く。

 その隙間には……

 

 私が悲鳴を上げようとしたその時だった。

 稲妻のように飛び出した小さな影が、男の胸を撃ちぬいた。


「グハッ!?」


 男は一瞬で気絶し、私の胸に倒れこむ。


「きゃぁっ!?」


 体重を支え切れず、その場に尻もちをついてしまう。

 ワースさんが男をどかし、汗をぬぐった。


「さすがハルじゃ! まさか本当に色仕掛けで行くとはな! 強者のこいつも一瞬で隙だらけになったぞ!! ……お、コイツ随分幸せそうな顔で伸びとるな。ハルの胸で眠れて幸せじゃろう」


 ……尻もちをついたまま、私はブルブルと体を震わせた。


「ん? どうしたハル?」


「ワースさんのバカ!! 私、色仕掛けなんてしてない!!」



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「バカバカバカバカッ!!」


「あいたっ、あいたっ、ハル、許してくれ!」


「嫌ですっ!! 怖くて、恥ずかしかったんですからッ!!」


 ポカポカとワースさんの頭を叩く。

 私の顔は火が噴きそうなくらい赤くなっていた。

 先ほど胸を見られたことを思い出し、さらに怒りがこみ上げる。


「ハル、おぬしには酷なことを頼んで悪かったと思っとる! で、でも自信持っていいと思うぞ? 軍の堅物を骨抜きにしたんじゃから」


「私はそんなことしたくないですッ!!」


 誰がすき好んで人に胸を見せるというのだ。

 私はワースさんのように痴女ではない。


「まあまあ、本命を誘惑するいい練習になったじゃろ」


「ほ、本命!?」


 私の手が止まる。


「お、今誰かを思い浮かべたか?」


 ワースさんがいやらしい笑みを向けてきた。


「ワース様ッ!!」


 マルテさんがパシンとワースさんの頭を叩いた。


「あいたッ! なんじゃマルテまで」


「これ以上ふざけると、明日からデザート抜きですよっ!!」


「そ、それだけは勘弁しておくれマルテッ! ちゃんとするからっ!」


 信用ならないとばかりにマルテさんがワースさんを睨む。

 私も睨む。


「……ふ、二人とも怖いのう。明日のデザートに誓ってちゃんとするぞ? どれ、早速こいつの記憶を探ってみるか」


 ワースさんは気絶した男を転がし、頭に手を当てた。

 目を閉じると、手に光が灯る。


「ワースさん、何をしてるんですか?」


 尋ねたが、ワースさんは目を閉じて沈黙したままだ。

 代わりにマルテさんが答えてくれた。


「これは『読心』という魔法よ。相手の記憶を読み取ることができるの。結構集中力がいるみたいだから、話しかけないで上げてね」


 うわ、なんて恐ろしい魔法だ。私には絶対に使ってほしくない。

 ……私が寝てるときに使ってないよね?


「ふーむ」


 ワースさんが男から手を離した。

 どうやら終わったようだ。


「どうでした? ワース様」


「こいつはシロじゃな。ダンと同じ完全な武闘派で、大した情報は知らされておらん」


「はぁ。では、今回もハズレですか」


「いや、コイツは上の指示で情報を集めていたようじゃ。読んでいた本が手掛かりになるじゃろう。『竜の生態』に『人竜戦争の兵器』……竜ばっかりじゃな」


「戦争でもする気でしょうか」


「流石にそこまでバカではあるまい。のう、ハルはどう思う?」


「うーん……」


 考えるのは苦手なんだけど……頑張ってみよう。

 彼らは竜のことを調べていた。

 つまり、竜のことが知りたい。


 私が相手のことを知りたくなるのはどんな時だろう。

 えーと、相手のことが気になるとき、相手のことが好きなとき……これは違うな。

 あ、もしかして、逆に相手のことが怖いとき……とか?


「軍の人は、竜が怖いとか?」


「っ!」


 私の言葉に、ワースさんの顔つきが険しくなった。


「あ、いえ、そう思っただけで、全然見当違いのこと言ってるかも……」


 ワースさんは口に手を当てて考え込んでいる。


「……いや、その推理、ワシはかなりいい線いっとると思う。そうか、それなら色々と辻褄が合うな……」


 そう言いながら、うんうんと頷いた。


「ワシらは一人一人がなまじ強いがゆえに、弱い者の視点が欠けがちじゃ。……ハル、マルテ。研究棟に戻るぞ。ワシの推理が正しければ、奴らはあそこに手がかりを残しているはずじゃ」



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 私たちは図書館を後にし、研究棟へと足を向けた。

 先ほど通ったライトな研究室を通り過ぎ、奥へ奥へと進んでいく。

 マルテさんが言うところの、見るのも憚られる研究をしているところだ。


「さっきの人は、あのままで良かったんですか?」


「大丈夫じゃ。『伝心』の魔法で適当な記憶を上書きしておいた。今頃幸せな夢の続きを見ておるよ」


「……私の夢じゃないですよね」


「も、もちろんじゃ! ぷりちーなワシを抱いて寝とる夢じゃよ」


 それは幸せなのだろうか。

 私がワースさんを抱いて寝たときは胸を揉まれた気がするのだが。

 抱いて寝たというより、勝手に入ってきたんだけど。

 ワースさんは何かを誤魔化すように口笛を吹いている。

 怪しい……


「ワース様、もしや今向かっているのは……」


 マルテさんが顔を青ざめさせながら聞いた。


「……うむ。覚悟しておけよ」


 なになに。いったいどこに向かってるの。

 二人とも神妙な顔つきをしている。

 ちょっと怖いんですけど…………

 戦々恐々としているうちに、ワースさんが足を止めた。


「ついたぞ」


「……ついてしまいましたか」


 マルテさんが盛大にため息をついた。

 よっぽどこの先に嫌なものがあるらしい。

 私はゴクリと唾を飲んだ。


「よし、あけるぞ!」


 ワースさんがガラッと扉を開けた。

 ……その先に待っていた光景に、私たちはくぎ付けとなった。



「うーん、いい……実にいい……今日も素晴らしい毛並みですね……」


「ハ、ハカセ、そこは弱いです~」



 室内に、パンツ一丁になって少女の尻尾に頬ずりしている男がいた。

 私たちは目を丸くして、時が止まったようにその場で立ち尽くした。


「あ」


 男がこちらに気付いて声を上げた。

 ワースさんはピシャリと扉を閉じた。

 ワースさんとマルテさんが顔を見合わせて頷く。


「帰るか……」「ええ……」


 ドタドタと部屋の中から駆けてくる音がする。

 勢いよく扉が開けられ、男が飛び出してきた。

 マルテさんの手が掴まった。


「う”っ」


「マルテさ――ん!! お、お待ちしておりました――!!」


「ぜ、ゼド博士……離してください。帰りますから……」


「なんでですかっ!? 用があってきたんですよねっ!?」


 ゼド博士とやらは白衣の下にパンツ一丁という個性的なスタイルで私たちを止めた。慌てて白衣だけ羽織ったようだ。だが、それが返って猥雑さを強調していた。

 研究者は変態ぞろい、か……


「さあ入ってください、遠慮せずに!」


 私たちは半ば強引に部屋の中に通された。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「ちょっと待っててくださいねっ、今お菓子持ってきますからっ!」


「菓子はいいから服を着てこんかいッ!!」


 ゼド博士は奥に引っ込んでいった。

 あんまり戻ってきてほしくない。


 ふと、服の袖を引かれる感覚があった。

 引かれた方を見ると、猫のような耳の生えた少女が袖を引いていた。

 先ほど尻尾を頬ずりされていた少女だ。


「ダン様は? ダン様はいらっしゃらないのですか?」


 私たちの中にダンさんがいないか探しているみたいだ。

 しきりにきょろきょろと周囲を見回している。


「え、えっと、ダンさんは今日は別のところで仕事をしてます」


「そうですか……お会いしたかったです」


 彼女は猫のような耳をションボリと落とした。可愛い。

 この子、ダンさんが好きなのかな?

 彼女は俯いた姿勢からハッと何かに気付いたかのように顔を上げた。


「あ、すみません。自己紹介が遅れました。ボクはリィといいます。ゼド博士の助手をしています」


 ペコリとお辞儀される。

 尻尾がゆったりと揺れるのが見えた。マルテさんよりも毛量は少ないが、フワフワとして艶やかな尻尾だ。


「は、初めまして。最近魔導院に入った、ハルといいます」


 彼女は「ふわあああ」と声を上げた。


「魔導院の魔法使いさんですか!? そんなにお若いのに、すごいです! リィも魔導院に入って、将来はダン様と一緒に仕事をしたいと思ってます!」


 パタパタと尻尾を振りながら輝く目で見てくる。


「リィちゃんは、ダンさんが好きなの?」


 と聞くと、頬を赤らめて指先をいじりだした。


「え、えへへ……ダン様、好きです……」


 意外だ。ダンさんにこんな可愛いファンがいたなんて。

 あ、意外っていったら失礼か。ダンさんかっこいいし。

 でも、そんな子がこんなところに居ていいんだろうか。貞操的に危うくないか。

 室内を見回すと、人形がたくさん置いてある。主にケモミミ少女の……


「あの、ワースさん。ここは一体何の研究室何ですか? まさか尻尾や耳を愛でる研究室じゃないですよね」


「ああ、ハルがそう思うのも無理はないが、ここは……」


 ワースさんが言いかけたとき、研究室の奥からゼド博士が現れた。


「ここは呪いの研究をしているんですよ。主に獣と竜の……ね」


 ゼド博士はビシッと決まった白衣で現れた。先ほどまでは髪はボサボサで無精髭も生えていたが、綺麗に整えられていた。

 メガネがキラリと光る。


「初めまして。僕は魔導学院研究所長、ゼドです」

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