番外編「混乱する剣」
手にしているのは、鉄の塊。一振りの剣。
この剣を手にして、どれくらいになるだろう。
コイツで数えきれない数の敵を屠り、夜を共にした。
己の内から力を引き出し、刀身へと巡らせる。
その途端、剣はまるで己の手の延長のように体に馴染む。
一太刀浴びせれば、大地は砕け、空を割ることが容易に想像できる。
――だが、足りない。
目の前の相手を見て思う。
一人で自らを研ぎ澄ませるとき、必ずヤツが前に立つ。
己の師匠、導師レギン。彼は魔法も剣も、無双の使い手だった。弟子入りしてから今まで、一度も勝てたことが無い。
剣を構えながら思う。
(レギン……あんたとあの魔物、どっちが強いんだろうな? ……あんたに勝てたら、オレは竜の魔物にも勝てるんだろうか)
戦う意味を見出し、イメージの中で切りかかろうとした、その時――
「あーんっ! なんでうまくいかないのぉ!?」
思考は中断された。
声のした方を振り向く。
女が地面に座り込んで喚いていた。
「どうした、ハル」
「ねえ、ルゥ……炎の精霊、うまくいかないよぉ……」
ハルは半べそをかきながらオレにすがった。
その手から、魔力の残滓が空しく散っていくのが見える。
(……こいつ、普段はオレに触られるとうるさい癖に、自分から触るときは遠慮しないんだよな)
最近は特に頻度も上がっている気がする。
「うまくいかないって、どう上手くいかないんだ」
「え、えっとね……魔力を集めて、精霊を出そうとするんだけど、最後、どうしても『フワッ』てしちゃうの」
「うん? 『フワッ』と? ……それはどんな感じだ?」
「どうって……『フワッ』とは、『フワッ』とだよ。集まった魔力が、最後に『フワッ』てしちゃうの」
「……ふむ」
全然わからん。
さて、どういうアドバイスをするべきか。
一度魔法を教えると約束した以上、適当な回答をするわけにもいかない。
しかし、実際のところ……全くどう言っていいか思いつかなかった。
「……魔法の発現が上手くいかないとき、その原因は三つに大別されることが多い。一つは、魔力が足りないこと。一つは、魔法のイメージが出来ていないこと。一つは、魔力をイメージに変換できていないことだ」
とりあえず、魔法を習う時によく聴く話を言ってみた。たぶんこの中のどれかだろう。嘘は言っていない。
「そっか。じゃあ、私はその中のどれかが上手くいってないかもしれないんだね」
「ああ」
「……なるほど。えへへ、流石導師様」
満足したように笑いかけられる。
うまく誤魔化されてくれたか。
しかし、コイツにこんな風に言われると、どうにも調子が狂うな。
その目は止めろ、その目は。
オレはこんな顔をしているが、全然わかってないぞ。
ハルは再び精霊を作るための精神集中を始めた。
やれやれ、これでまた自分の修行に集中できる。
こういうときでも、オレは一瞬で頭を切り替えることが出来る。そういう修行をしてきた。
剣を構え、幻想の相手を作り出す。
よし、切りかかるぞ。
……チラリとハルの方を見た。
「ばっ!?」
バカと言うよりも早く、ハルへと一気に肉薄する。
魔力を集めすぎだった。あれでは成功しても炎が大きすぎて火傷するか、魔力を使いすぎて気絶するだろう。
魔法が発現する前に、その腕を掴んで強制的に魔法を止めた。
「えっ!? な、なに!?」
ハルがドギマギとした目でオレを見た。
「バカ! 魔力を集めすぎだ! 暴発するぞ!」
「あっ!? う、ご、ごめん」
ハルはすぐにシュンとした。
自分のミスだと悟ったらしい。
掴んだオレの手をジッと見つめている。
……いや、オレのアドバイスも悪いのか。
コイツはオレの助言に従って、『魔力が足りない可能性』を考慮して多めに魔力を使ってみたんだろう。
失敗だった。やっぱりオレは教えるのが上手くない。
つくづく自分は教師に向いていないと思う。
全く、なんでコイツは俺なんかに教えを請うたんだ?
「……わかればいいんだ。次からは気を付けろよ」
自分が悪いとわかりつつ、そんな風に言ってしまう。どうしてか、先生らしく振舞おうとしてしまう。
「はい。わかりました」
「あ、ああ」
魔法を教えるようになってから、コイツは時々敬語になる。それがより一層、自分の調子を狂わせている気がする。
クソ、なんなんだ、この気分は。
ハルの腕を離し、再び剣を握る。
相手との対峙に集中する。集中する。するんだ。
……ああ、今度は魔力が少なすぎるぞ……あれじゃどうやっても炎の精霊は出来ない。どうする。言うべきか、言わないべきか……
いや、ここは様子を見るべきだな。アレなら失敗しても怪我はしない。少しずつ覚えて行けばいいんだ。オレだって地の精霊を作ろうとして泥まみれになったしな。
……ああ、でもちょっと炎の精霊は危ないんだよな。最初は水の精霊にするべきだったか……いや、中途半端はよくない。今更変えたりしない方がいいか……ハッ!?
完全に先生モードになっていた。なにやってんだ。修行に集中するんじゃなかったのか。しっかりしろ。
「あれぇ? 今度は煙も出ない……」
「……!」
ハルの声に再び思考を中断する。
その後、オレの葛藤はハルの魔力が尽きるまで続いた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……どうしちまったんだ、オレ」
「何が?」
ハルは体育座りをしながらオレを見て言った。
魔力が尽きたハルは、完全にオレの修行の観戦体勢になっている。それならば、もうコイツのことを気にする必要はない。いつも通り修行すればいい。
……だが、だが何故だ。全く集中できない。
「お前、もう部屋に戻ってろよ。オレの修行なんか見ても面白くないだろ」
「えー!? そんなことないよ。先生の修行を見て、勉強になることだってあるよ! ね、マルテさん?」
「ええ、ハルの言う通りね」
なぜかハルの隣に座りながら、マルテが言った。
「なんでお前もいるんだよ……」
仕事はどうした、仕事は。お前は旅の準備をするんじゃなかったのか。
「なんでって、仕事が一段落ついたから来ただけよ。悪い?」
「悪くはないけどよ」
一段落ついたって。まだ半日も経ってないだろ。本当に働いてきたのか?
どうにも、コイツも最近様子がおかしい気がする。
「……ハル、お前も『先生』は止めろって言ってるだろ」
「あ、はい。わかりました、先生」
全然わかってねえ。
言っても無駄か。もう突っ込むのも疲れてきた。
このままなし崩し的に先生と呼ばれ続けるんだろうか。
「……オレの修行は参考にならんと思うぞ」
最後に、ささやかな抵抗を試みることにした。
ハルが顎に手を当てて考え込む。
「そっか……わかった。じゃあ私達は遠くを見ながら休憩してるよ。ルゥは気にせず修行してよね」
「気にしないでよね」
そう言いつつ、二人は姿勢も視線の先も変えないまま、そこに居座った。
オレは改めて思い知る。こいつら、意外と頑固なんだよな……
こうなるとコイツらはオレの修行を見るまで、確実に居座るだろう。諦めるしかないか。
……いや、これも修行の一環だと思えばいいのか。なぜだか分からんが集中できん。しかし、そういう状況でも戦う。そう、これはそういう修行なんだ。これなら、集中できなくともやる気は出る。よし、やるか。
しかし、集中できない状態ではイメージトレーニングが難しい。
オレは修行の方向性を変えることにした。
己の内から魔力を引き出し、イメージと結び付けていく。
「”魂の幻影よ、顕現せよ”」
呪文と共に、目の前に揺らめく人影が現れた。
「えっ、なにそれ!? 初めて見た! 何の魔法!?」
ハルが割り込んできた。
遠くを見てるんじゃなかったのかよ。
「あれは思い描いた人物の影を顕現させる魔法ね。自立して動く分身を作り出す魔法と言っていいわ。まあ、あくまでルゥのイメージだから、本物そのものじゃないけどね」
ハルの隣でマルテが解説した。
「へえー、なんか、すっごく難しそう……」
「その通りよ。この魔法はほぼ全ての属性の混合魔法である上、大量の魔力を消費するわ。導師級じゃないと使えないわよ」
マルテの言う通り、大半の魔力を持っていかれた。かなり疲労感がある。
だが、この程度で倒れるようでは導師は務まらない。
……ん? そういえば、なんでハルは魔力が無くなっても平然としてるんだ?
「なるほど……ちなみに、アレは誰の幻影なんでしょうか」
「ルゥがこういう時に顕現させる相手は決まってるわ。私たちの師匠、導師レギンよ」
「えっ! お二人のお師匠様ですか?」
「そうよ。はあ、アレを見ていると辛い修行が思い出されるわ。あの人は鬼か悪魔かってくらい強くてね――」
マルテがレギンの解説を始める。
オレは雑念を追い払い、目の前の敵に集中することにした。イメージと違い、この相手からはダメージを受ける。二人が見ているからと言って、気を抜くわけにはいかない。
ゆっくりと息を吸い込み、全身に力を漲らせた。
相手は微動だにしていない。自らが作り出した幻影でありながら、こちらを全て見透かしているように見える。我ながら恐ろしい完成度だ。
「フッ」
僅かな呼気と共に、一気に目標へと接近する。
射程に相手を捉えると、上段から斜めに切り下ろした。
しかし、正しく影のごとく、ゆらりと剣戟が躱される。
速い。恐るべき反応だ。
(だが、それは予想通りでもある。ここからだ)
勢いを殺さない。振り下ろした剣を利用し、竜巻のように回転して襲い掛かる。一撃目よりもさらに速い。たとえ剣の達人であっても、これを受ければ刀身ごと両断されるはずだ。
しかし、これも躱される。まるで流れる水のように、刀身を潜り抜けられた。背中に冷たい感覚が流れる。冷や汗が額を伝い落ちた。
そして、反撃が来た。
無防備となった肩口への一撃。ほんのわずかの隙をついて、猛烈な突きが飛んでくる。
受ければ死ぬ。相手が幻影ではなく、師匠その人なら。この突きは魔力結界を貫き、上半身に風穴を開けられるだろう。必殺の一撃だった。
だが。
(――ここだ。”風の鎧”よ、受け流せ!!)
あらかじめ身に纏っていた風の魔法が、剣閃をそらす。
渾身の一撃をそらされた影は、そのまま全身に隙が生まれていた。
「ぜぃッッ!!」
魔力を込めた全力の一撃が、影を両断した。
影がガクリと崩れ落ち、周辺に霧散して消えた。
戦う前の予想通り、紙一重で勝つことが出来た。
自ら隙を作りだし、相手にも隙を作る捨て身の戦法。こうでもしなければ、この相手から攻撃のチャンスを作り出すことなどできない。
これは次にヤツと会ったとき、オレが仕掛けようと思っている戦法だ。
「……ふぅ」
剣を下ろし、一息つく。
……勝ったというのに、どうにも達成感が無かった。
果たして……オレの想像が、本当にヤツに通用するのだろうか?
「……っすっごいすごいすごいすごい! ルゥ、かっこよかった!!」
「あぁ?」
ハルが飛び跳ねながら近づいてきた。そのまま手を握ろうとしてくる。
「な、なんだよ。別に格好つけてやったわけじゃないぞ」
「そんなことない! すごかったよ!」
ハルは大げさにオレの手を握って振り回した。
自分の心境とは裏腹に浴びせられる賞賛に、どうしても戸惑ってしまう。
「そうね。見事な捨て身の一撃だったわ」
そう言いながら、なぜかマルテもオレの手を握ってきた。
「お、おい。なんでお前まで握ってくるんだ!」
「ちょっとルゥの魔力を測ろうと思って。結構消耗したんじゃないかしら」
「自分の魔力残量くらい把握している!」
オレは二人を押しのけようとした。
だが、思った以上に強固に抵抗される。
マルテはともかく、ハルの方も意外に力が強い。
右手はハル。左手はマルテにガッチリ抑えられてしまった。
う、動けねえ……
「あ、ルゥ。額のところ……!」
ハルが何かに気付き、手を伸ばしてきた。
その瞬間、額にズキリと痛みが走る。
「いてっ。……!? 斬られていたのか」
紙一重で躱したと思っていた。
それだけの魔力を風の鎧に込め、魔力結界も厚めにしていた。
だが、どちらも貫通し、刃は額に傷をつけていた。
全身から冷や汗が噴き出した。
……不味い。これでは到底レギンには勝てまい。
ヤツがオレの想像通りだとは思えない。間違いなく予想を超えてくるはずだ。
コレじゃだめだ。別の対策も考えないと……
「おわぁっ!?」
逡巡していると、ものすごい力で地面に組み伏せられた。
何が起こったか確かめる前に、額に温かいものが触れる。
「”生命の光よ、癒せ”」
マルテがガッチリとオレを抑え込み、回復魔法を使っていた。
「お、おい。これくらいだったら自分で……」
抗議しようとしたら、恐ろしい目で睨まれた。
思わず言葉を引っ込めてしまう。
マルテは低い声で言った。
「……こんなんじゃ、レギンに殺されるわよ」
ギクリとした。
正しくその通りだと思う。
流石に兄妹弟子だ。オレの危機感は完全に見透かされてる。
悔しいが、受け入れねばなるまい。自戒として。
……無様だな。
マルテに組み敷かれ、天井を見上げる。
何かが目に入る。ハルがオレとマルテを見下ろしていた。
(ん? なんでコイツ、寂しそうにしてるんだ……?)
……ああ、そういえば、コイツは回復魔法を覚えたいんだったな。
精霊魔法の習得の進捗を見るに、それは大分先になるだろう。
頑張れよ、ハル。……オレもだけどな。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
翌々日。
オレは驚愕していた。
「”おいで、サラマンダー!!”」
ハルの手の中に、小さな地竜のような精霊が生まれる。
精霊は赤々と燃え盛る火を吐いて見せた。
(な、なんだと……!?)
まるで生き物のように顕現した炎の精霊。
こんな魔法は見たことも聴いたことも無かった。
いや、思いついた者はいるかもしれないが……成功させるのは想像以上に難しいはずだ。おそらく、人並外れた想像力と研鑽が必要だろう。それを、コイツは……一人で? この短期間に?
「ふふふ……これだけじゃないよ。”おいで、ウンディーネ!!”」
(な、なに!?)
驚きを口にする間もなく、ハルは次の精霊を顕現させて見せる。
今度は、魚のような尻尾の生えた小さな人型の精霊だった。
まさかこれは、水の精霊?
一日で、二種類も?
いや、コイツの口ぶりからすると、他の属性も使えるのか……!?
「お、おい。これ、お前が考えたのか?」
「うん。まだあるよ。えーとね、風の精霊は……」
そんな馬鹿な。オレですら、基本属性の精霊魔法の習得には時間がかかったのに。一体、コイツは、どうやって……?
ハルが何かを手にしている。
あるのか。そこに、この魔法の秘密が。
見たい。見せてほしい。
ハルは拒んだが、無理やりひったくってやった。この前のお返しだ。
どんな魔法の理論が書いてあるのか、確かめずにいられなかった。
だが、そこにあったのは……
(た、ただの絵……!?)
これをそのまま顕現させたというのか。
そんな、無茶苦茶な。
これはこれまでの魔法とは違う。全く新しい魔法だ。
戦慄しながらハルを見つめた。
ハルは恥ずかしそうに顔を隠していた。
……とてもこの魔法を生み出した魔法使いには見えない。
本来、魔法を生み出すというのは、熟練した魔法使いが、時間をかけて行うことなのだ。
その日の授業と修業が終わる。
ハルが修練場から去る際、訊いてみた。
「おい。お前、どうしてこんなに早く魔法を身に着けられたんだ?」
たぶん、コイツの性格や絵を見るに、理論立てて魔法を作ったわけではないだろう。まともな回答が返ってくるとは思えない。
だが、そこにヒントがあるなら。オレが壁を超えるために必要なものがあるなら、訊かずにはいられなかったのだ。
しかし、ハルは口をつぐむ。
なぜか恥ずかしそうに頬を染める。
な、なんだ? 一体、何をしたんだ……?
ゴクリと唾を飲みこんだ。
そして、しばらく黙っていた後、一言。
「秘密っ」
そうしてハルはそそくさと去っていった。
オレはポカンとそれを見送った。
結局、ハルの力の秘密も、成長の秘密もまだわかっていない。
だが、オレの予想する壁を軽々と超えるアイツを見て思う。
レギンや魔物を超えるヒントがアイツにあるかもしれない。
それが見つかるまで、目を離さないようにしたいと思った。
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