第五十六話 「女帝」
どしゃ降りの雨の中、俺とグレッグとダニエルは『女帝』の店に向かった。
カティとクララはお店でお留守番である。
お客さんが来ないとは思いつつも、もしかしたら来るかもしれない、と考えたからだ。
モヒカン兄弟の案内で早足で街路を歩いていくと、ほどなくして目的の店に到着した。
店の入口の軒下で雨具を脱ぎ、ドアを開けて店内に入る。
「いらっしゃいませ」
店員が笑顔で迎えてくれた。
店内には四人連れの客が一組、テーブルについて食事をしていた。
夕食時だというのに客が一組とは、たとえどしゃ降りの天気の影響があるとしても、少ないだろうと思う。
やはり、グレッグが言ったとおり、パスタ屋と比較されてしまったために、不当に低い評価をされてしまったせいだろうか。
「店主にお会いしたいのですが……」
そう店員に告げると、店員は訝しげな表情をしたが、取り次ぐために奥の部屋に入っていった。
ほどなくして、店の奥から一人の人物が出てきた。
二十歳くらいの若い男で、やや肥満体型だが、ひと目で高価だとわかる洋服を着ている。
女帝の店だと聞いていたので、女性が出てくるものだと思いこんでいた俺は、思いっきり肩透かしをくらった気分だ。
俺はグレッグに視線をやり、「女帝じゃなくて男じゃねえか」と目で訴える。
グレッグも俺に視線を向け、「知らねえよ」と無言で首を振った。
そのグレッグの手をつかみ、俺の前に引っ張り出し、その店主と向き合う形に背を押した。
グレッグは「やれやれ」といった風にため息をつくと、店主に話しだした。
「あの、この店はマルゲリータ・モンテスカーノ様のお店ではありませんか?」
店主は、モヒカン頭のグレッグに明らかな軽蔑の視線を向けながら、ぞんざいに答える。
「いえ、違います。
店主はこの私、リカルド・モンテスカーノです。
マルゲリータは私の姉です。
姉になにか御用でもあるのですか?」
リカルドと名乗った店主が逆に問いかけてくる。
今度はグレッグが俺を前に立たせるように背を押す。
そして再び店主と向き合った俺は、彼にこう答えた。
「私はそこに新しくできたパスタ屋の者なのですが、お客さんがぱったり来なくなってしまいましてね。
話に聞けば、あなたのお姉さまが良からぬ噂を流しているのが原因だと伺ったのです。
その真偽について訪ねようと参りました」
「良からぬ噂……ですか。
いったい、どのような噂だとおっしゃるんですか?」
リカルドの問いかけに答えたのは、ダニエルだった。
「あんた、知らないってことはないだろう!
パスタを食べると深刻な健康被害があるから食べない方が良いって、女帝からの通達が出てるじゃねえか!」
ダニエルの大きな声が店内に響いたので、店の奥のテーブルの客達がこちらに振り向いている。
「そうおっしゃられましても、私にはなんのことやらさっぱりわかりません。
ただの噂ではございませんか?
まあ、火のないところに煙は立たないとも言いますから、何かやましいことでもなさってるのはないですかねぇ?」
いやらしい薄笑いを浮かべて、リカルドがそう言った時、店内の客の一人がこちらに歩いてくるのに気づいた。
スラリと背の高い女性だ。
ダークブロンドの髪はリカルドと同じ色だが、腰までの長く艷やかな髪が輝いて見える。
二十代半ばといった年頃に見えるその彼女は、眼を見張るほどの美人であった。
そしてその美人が口を開く。
「リカルド、これはどういうことなのか、説明なさい」
リカルドは慌ててその女性に対して説明を始める。
「いや、ねえちゃん、違うんだよ、これは……」
「お姉さま、でしょう?」
「お姉さま、違うでございますですよ、これは……」
「ちゃんとした言葉遣いをなさいと、あれほど言ったでしょう、リカルド」
「お姉さま、申し訳ありませんです、はい」
突然始まった姉弟の口喧嘩に、俺達はしばらく呆然として目の前のやり取りを聞いているだけであった。
どうやらこの女性がマルゲリータ・モンテスカーノ、女帝と呼ばれるその人のようだ。
リカルドはそれまでの俺達とのやり取りについてマルゲリータに説明をした。
マルゲリータは俺達の顔を一通り見渡した後、再びリカルドに向き直る。
「リカルド、あなた勝手に女帝通信を使ったわね?」
『女帝通信』って何だ?
しかも自分で女帝って言っちゃってるんだけど、いいのか……?
「ねえちゃ……お姉さま、俺知らないよ……存じ上げぬことです。
きっと誰かが噂を流したんだよ……ですよ。
だってほら、俺が毎日三食、パスタを二人前ずつ食べたら、こんなに太っちゃったわけだし。
これって立派な健康被害じゃん?……ではないでしょうか?」
リカルドのたどたどしい弁解を聞くに、犯人は自分だと自白しているようなものだな、と思った。
しかし、三食パスタを腹いっぱい食べていたら、糖質の摂り過ぎで太ってしまうかも知れないな。
ちゃんと有酸素運動をしないと……
「あなた、何故そんなに毎日パスタ屋に通っていたの?」
「いや、それがさ、姉ちゃ……お姉さま、あのパスタってのが美味いのなんのって、もう病みつきになちゃってさあ……なってしまいまして。
そんな店が近くにあったんじゃ、うちの店が一番になることなんて到底無理だと思ったんだよ」
「もういいわ、リカルド。
あなたはもう黙ってなさい」
マルゲリータが厳しい表情でリカルドに告げると、俺達の方に向き直った。
「あなたがそこのパスタ屋さんの方?」
「はい、シュンと申します。
うちのパスタ屋についての流言飛語が言いふらされているらしいので、それを撤回するようにお願いに上がりました」
俺はマルゲリータの目を見据えて、そう伝えた。
どうやら弟のリカルドが姉に内緒で『女帝通信』でデマを流したのだろう。
弟に代わって姉が詫びを言い、デマの撤回に協力してくれると期待をした。
しかし、それは叶わなかった。
「私には、何のことだかさっぱり……身に覚えのないことにございます。
弟も、そのように申し上げておりますゆえ、私達がどうこうする義理や義務はございませんわね」
マルゲリータは毅然として答えた。
俺はその答えに一瞬愕然としたが、気を取り直して言い返す。
「いや、さきほど女帝通信がどうのとか、言っていたではありませんか?」
「女帝通信?
さて、なんのことでしょう?」
マルゲリータは微笑を浮かべている。
彼女はあくまでしらを切るつもりだ。
俺は唇を噛んで絶句した。
これ以上何を言ってもデマを流したことを認めたりしないだろう。
彼女はそういう姿勢を示している。
だとするならば、話の方向を変え、彼女の良心に訴えてみるか。
「あなたが流言飛語の流布に関与していないとおっしゃることは、承知しました。
しかし、さきほど申し上げたとおり、それによって経営に大きな支障が出ているのが現状なのです。
その根も葉もない噂が全くの偽りであると、街の皆さんに知ってもらいたいと思っています。
できれば、それに力を貸してもらえないでしょうか?」
俺は彼女に懇願した。
力を持たない弱者として、力を持つ者である彼女に対して。
しかし、願いは受け容れられなかった。
「そちらが困っていることはよくわかりました。
でも、それが私が噂の撤回に協力する理由にはなりませんね。
こちらにどんなメリットがあるとおっしゃるの?」
万事休すか。
モヒカン兄弟も何も言い出せずに下を向いている。
ここで相手に有益な提案を出せなければ、そこでお終いだ。
「もし、噂の撤回にご協力いただけるとお約束していただけるのなら……
このお店を、客足の絶えることのない、大繁盛するお店にして差し上げましょう!」
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