第二十六話 「ヤケ酒」
夜の酒場で相席になったその相手は、以前に街で絡まれたモヒカン兄弟であった。
マフィア『ドルレオーネ・ファミリー」の構成員、『赤い狂犬兄弟』と呼ばれ恐れられている武闘派だ。
俺は、料理店の前で荒々しく凄みを利かせて詰め寄って来られた時のことを思い出し、また絡んでくるのではないかとビクビクしていた。
しかしその兄弟は、今日はそんな印象とは全く別の雰囲気を漂わせていた。
野蛮な無法者ぶりは、すっかり影を潜めている。
一人は肩を落として、うつむき加減に、ちびちびとジョッキのエールを舐めていた。
もう一人は、その彼の肩を抱きながら「まあ、元気出せって」となぐさめているようだった。
若旦那も俺も空気を読むように、黙ってエールを飲み始めた。
モヒカン達は、テーブルの向かい側に座る俺達を気にするそぶりも見せず、その身に起こった不幸な出来事を何度も口にしては、エールで胃の中に流し込んでいた。
モヒカン弟君、名前はダニエルと言うらしい、は幼馴染みの女の子に恋心を抱いていた。
そして今日、思い切ってその気持を伝えたらしい。
しかし、彼女にはすでに意中の男性がいた、ということだ。
そのため只今絶賛ハートブレイク中というわけだ。
粗雑な輩かと思っていたのだが、意外と繊細な部分があったみたいだ。
俺は、かつて暴力を振るわれそうになったことがあるが、それでも、そんな彼に対して同情の念を憶えていた。
俺と若旦那はやけ酒を飲みに来たわけであるが、あまりしんみりとした雰囲気では、そんな二人を目の前にして愚痴を言い合うのも気が引けるというものだ。
俺は、意を決して、モヒカン兄弟と話をしてみることにした。
「なあ、兄さんたち。
どうした、今日は何か嫌なことでもあったのかい?」
ダニエルは話しかけられたことに少し驚いた表情を見せたが、すぐに目つきを鋭くさせる。
そして胸の前で両の腕を組み、こう言った。
「うるせえ、今日は俺様は虫の居所が悪いんだ。
絡んできやがるなら、ぶっとばすぞ!」
俺はダニエルと同じように両腕を胸の前で組むと、こう返す。
「まあまあ、全く悪気はなかったんだが、お二人の話が聞こえてしまってね。
お兄さんが落ち込んでいるようだったんで、励ましてあげたくなったのさ」
ダニエルは、その右手の人差し指を俺に向けて、こう言った。
「ああん? お前に俺の気持ちがわかるってのか?
分かるはずがないさ。 この気持は、俺以外の誰にもわかるはずがないんだ」
俺も、左手の人差し指をダニエルに向けると、こう返す。
「ああそうさ、君の気持ちは、君以外の誰にもわからないだろうさ。
でもな、俺にだって君と同じような経験をしたことはあるんだ。
その時感じた思いを、思い出してしまったからね」
ダニエルは俺の話に少し興味を示したようで、右手を顎にかけて訊いてきた。
「なんだよ、お前さんも女に振られたことがあるってのか?」
俺も、自分の顎に左手をかけて話す。
「ああ、そうだとも。
俺も女に振られたことがあるのさ。
あの時は、一晩中酒を飲んで、飲みつぶれてしまったものだよ」
「そうだったのか。
さぞ、辛かったろうなあ」
「いやいや、お兄さんもそうなんだろう、って思ってね」
この時、俺はひとつのテクニックを使っていた。
話す相手の仕草を真似ること、あたかも鏡にでもなったかのように、相手と同じ仕草をし続けるのだ。
『ミラーリング』という心理テクニックだ。
相手に親近感を持たせたり好感を抱かせる効果がある。
さらに、俺は声のトーンやテンポ、大きさを、ダニエルの話すそれと同じようにして喋っていた。
これは『マッチング』というテクニック。
『ミラーリング』と同じ効果を得られる。
そして、ダニエルは今明らかに俺に親近感を憶え始めている。
やがて、ダニエルは彼女との思い出を、俺に話し出した。
彼女の名前はシルヴィア。
小さい頃から一緒に遊んだりしていて、妹のように可愛がっていたこと。
変な虫がつかないように、寄ってくる男をいつも追い払っていたこと。
そして、大人になってからは、会う機会もずいぶんと減ってしまっていたこと。
特にマフィアに入ってからは、足を洗って欲しいと、会うたびに言われていたようだ。
「シルヴィアはなぁ、いつも俺のことを『ダン兄ちゃん』って呼んで、俺の後を着いてきていたんだ」
「『ダン兄ちゃん』と呼んで、追っかけてきたのか。
さぞ可愛かったんだろうねぇ」
俺とダニエルが話すのを、モヒカン兄と若旦那は黙って聞いていた。
時折、ジョッキのエールを喉に流し込みながら。
「おう、そうよ。
昔から可愛かったんだけどよ、それが今では、えらいべっぴんさんになってよお」
「べっぴんさんかあ、いいことじゃあないか」
「いいことなんだけどよお……
きっと男からモテてるんだろうな。
好きな男ができたんだって、そう言ってたよ」
「好きな男ができた、かぁ。
ダニエルには、つらい言葉だったろうね……」
「惚れた女の幸せを願うのが、男ってもんよ。
これからは、せいぜい応援する側にまわろうって、そう思ってよ」
「応援する側にまわる、か。
ダニエルは偉いな!」
この時、俺はさらにもう一つのテクニックを使っていた。
相手が言った言葉を、そのまま使って話す、オウム返しのように。
『バックトラッキング』という技法だ。
これは相手に安心感や信頼感を与える効果がある。
そんなやり取りをしているうちに、親近感、安心感、信頼感を得ることに成功したようで、若旦那とモヒカン兄も会話に入ってきて、四人が打ち解けるまでにそう長い時間はかからなかった。
すでに十年来の友人であるかのように、仲良く話をするようになっていた。
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