第五十五話 「閑古鳥が鳴いた理由」

 パスタ屋をオープンしてからこれまで、客足が耐えることなど全く無かった。

 開店時間を待つ客が街路にあふれ、昼食時や夕食時には長蛇の列ができた。

 店内は常に活気でみなぎり、美味しい料理に舌鼓をうつ客の笑顔で満たされていた。

 俺は店の安定した人気を実感し、今後の安定した経営に自信を得ていた。

 

 しかし、定休日をはさんで店を再開してみると、客足がばったりと途絶えてしまったのだ。

 その原因には全く心当たりがない。

 近隣の飲食店には普段どおりに大勢の客が来ているし、街路を歩いている人の数も普段どおりだ。

 いったいこの店に何があったのか、さっぱりわからない。

 一日が過ぎ、二日が過ぎ、三日目の夕方に差し掛かった頃、久々に店のドアが開かれた。

 

 外はどしゃ降りの雨が朝から続いており、こんな日にはもう客なんて来ないかも、と早めの閉店を提案しようかと考えていた。

 

「いや~、それにしてもひどい雨だな。

 空の上にはいったいどれだけの水桶が並べられてるんだろうな」

 

 店に入ってきた客はそんなことを大声で言いながら、雨具と帽子を脱いでいた。

 

「ヨハン湖と同じだけの水が貯められているって聞いたことがあるぜ」


 二人連れのもう一人がそう答えながら、同じ様に雨具を脱いでいた。

 帽子を脱いだその頭が、赤い髪のモヒカン頭であることに気づいた。

 やや大柄で筋肉質な体格のその二人には見覚えがある。

 マフィア「ドルレオーネ・ファミリー」の構成員であり、俺と若旦那の飲み仲間でもある、モヒカン兄弟だ。

 

「よう、グレッグ! ダニエル!

 よく来てくれたね!」

 

 俺がそう声をかけながら出迎えると、彼らも笑顔を向けてきた。

 もとが凶暴な印象を与える人相をしているので、歯を見せて笑った時はさらに怖い顔になる。

 慣れていなければ誤解を与えることもあるだろう。

 その証拠に、クララとカティは店の奥からこちらをこっそり伺っていた。

 

 俺は二人と握手を交わすと、店の中に二人を招き入れた。

 彼らをテーブル席の椅子に座らせたところで、クララとカティを呼び寄せ、二人に紹介した。

 

「こちらがこの店の店主兼料理長のカテリーナだ。

 そしてこちらが共同経営者兼給仕長のクララだ。

 クララは若旦那……フェルナンドの妹さんだよ」

 

 クララとカティは、少しかしこまりながら軽く会釈をする。

 

「クララには以前話をしたと思うけど、この二人は若旦那との共通の友人でもあるんだ。

 お兄さんのグレッグと、それから弟さんのダニエルだよ」

 

 グレッグは軽く手を上げて挨拶を返すが、ダニエルは怪訝な表情を浮かべてカティのことを見つめていた。

 

「あれ?

 どこかで会ったことがあるような……?」

 

 以前、若旦那とひと悶着あった時にカティがダニエルに突っかかっていったことがあるのだが、そのことは伏せておいた。

 

 カティは顔をひきつらせながら、こちらに視線を送ってくる。

 

「とにかく、よく来てくれたね。

 食べに来てくれたんだろう?

 料理を楽しんでいってくれよ」

 

 俺はそう言ってダニエルの注意を逸らした。

 ダニエルは俺に向き直り、表情を崩す。

 

「そうだな。

 何でも良いから、おすすめのメシを食わせてくれ。

 実は朝から何も食ってなくてな。

 腹ペコなんだよ」

 

「わかった。

 腕によりをかけて作るから、楽しみに待っていてくれ」

 

 俺はカティを連れて厨房に入り、クララは飲み物の注文を受けてカウンターに入って行った。

 

 

 

 腹ペコだと言っていたので、料理を多めに出したのだが、二人は軽々と平らげていた。

 六人分ぐらいのパスタとパン、そしてワインをジョッキで二杯ずつ。

 完食したあとでもケロリとしている。

 

 食事も一段落ついたころ、俺はテーブル席の空いている椅子を勧められた。

 勧められるままに、俺は腰を下ろした。

 

 しばらくの間をおいて、グレッグが店内を見渡しながら口を開いた。

 

「こんなに美味い料理なのに、客が全くいないなんて、もったいない話だな、まったく」


 ダニエルもうなずきながら、

 

「そうだよな。

 ほんと、ひどいことするよな、『女帝』も……」

 

 耳慣れないその一言に、俺は無意識にピクリと反応した。

 

「女帝?」


 グレッグは、少し離れた場所に立っているクララとカティに視線を配る。

 俺も彼女たちを伺ったが、何も知らないといった風に、目を丸くしていた。

 

 グレッグは小さくため息をついた後、俺に向き直る。

 

「やっぱり知らなかったのか。

 女帝の仕業なんだよ、この状況は」

 

 グレッグは右手を広げて無人の店内を示すようにかざした。

 

「女帝って、いったい何者なんだ?」


 俺は女帝なる人物について全く知らないし、聞いたこともない。

 そんな俺に対し、グレッグは詳しく説明をしてくれた。

 

 『女帝』というのは、もちろんただの呼称であり、女性の皇帝というわけではない。

 この町の住人が、噂話で彼女を表す時に使う呼び方だ。

 彼女はこの街、特にこの店のある地域において、流行への影響力の強い人物であり、幅広い分野の最新情報を発信しているのだそうだ。

 彼女の発言は、発せられるとすぐに口コミによって街の隅々に伝わり、行き渡る。

 どこの店が好きだ、という情報が流ればその店はたちまち繁盛するし、逆に悪い情報を発すれば、たちまち衰退する。

 例えるなら、俺の元の世界でいう、有力ブロガーといったところか。

 どうしてそれほどの影響力を持っているのだろうか。

 どうやら彼女は平民であるにもかかわらず、貴族との強いコネクションを持っているからだろう、というのがもっぱらの噂である。

 

 いずれにしても、その『女帝』の流した噂によって、このパスタ屋に閑古鳥が鳴いている、ということらしい。

 カティとクララは女帝の影響力を見にしみてわかっているのだろう、がっくりと肩を落としてうつむいてしまった。

 

「どうして女帝はそんな噂を?

 何か恨みでも買ってしまったのかな?」

 

 俺はグレッグに問いかける。

 彼は俺に目を合わせ、静かに語りかける。

 

「このパスタ屋がオープンしたその日、この街区でオープンした飲食店がもう一店舗あったんだ。

 そして、パスタ屋は客足が絶えず途切れずの大盛況をみせた。

 一方の店は、初日こそ絶え間ない客の入りがあったが、次第に客足は遠のいていった。

 同じ日にオープンした店ということで、街の人々からはパスタ屋と比較して見られることが多かったんだ。

 オープンする以前はその店を期待する声も多かったから、余計に印象を悪くしてしまったんだろうな。」


 グレッグは少し間をおいて、こう続けた。

 

「そのもう一つの店のオーナーが、『女帝』だったってわけさ。

 要するに、この店に逆恨みしてるってことだよ」

 

 俺は、クララとカティも、目を丸くして驚きを隠せず、言葉を失っていた。

 

 グレッグは苦笑を浮かべ、掌を上に向けて肩をすくめた。

 

「こんなふうに女帝に目をつけられちまったら、もうどうしようもない。

 女帝には、俺たちも……ファミリーにだって、手出しはできねえんだ。

 せっかく出した店なんだろうが、あきらめるしかねえよ」

 

 グレッグは視線を落として首を横に振った。

 

 沈黙が店内を支配する。

 

 クララのすすり泣く声が小さく聞こえてきた。

 カティは力なく床に座り込んでしまった。

 彼女たちが感じているのは、絶望だろうか、悔しさだろうか、それとも怒りだろうか。

 店の改装にはかなりの金をかけた。

 あちこちから借金をして、なんとか工面した金だろう。

 手間を掛けてメニューを揃え、最高のレシピを求めて何度も調理し、時間をかけた。

 そんな俺達の努力の結晶を、そんな逆恨みのせいで踏みにじられるのは、まったく納得のいくものではなかった。

 

 強い憤りを胸の奥に感じながら、俺は立ち上がった。

 ガタン、と椅子が鳴る。

 

「よし、その『女帝』とやらに会いに行こう」

 

 勢いよく言い放った俺のその言葉に、四人の目は釘付けだった。

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