第十三話 「在庫切れ」
壁の正の字は23個になっていた。
「おい、ジュノ!
ちょっとこっちに来やがれ!」
ある朝、工房内に親方の怒鳴り声が響いた。
営業担当のジュノが何かやらかしたみたいだ。
親方と若旦那、そしてジュノが注文票の紙の束を前にして立ち、親方はジュノを強く叱っている。
ジュノは顔を青くしながら何度も頭を下げていた。
親方も若旦那も表情に余裕がない。
この工房にとっての一大事が起きていることが想像できた。
そして、しばらくすると三人は倉庫の方に歩いていった。
ちょうどその時、昼食の時間になったので、皆は食堂の方に連れ立って行った。
俺は親方達が騒いでいたのが気になっていたが、勝手に首を突っ込むわけにもいかない。
それに、何に変えても飯の時間は大事なのだ。
俺はアディ、サミーと一緒のテーブルに座り、相変わらず美味しくない食事をとっていた。
そうしていると、ジュノがひどく疲れたような顔をしてやって来た。
俺の向かいの席に座ると、ふう、と大きくため息をついた。
「どうした? ジュノ、何があったんだい?」
ジュノはうつむいたまま、少しの間黙って何かを考えていた。
俺にどう説明しようか、言葉を選んでいたのかも知れない。
そして、助けを求めるように俺に目を向けると、こう話し出した。
「実は、矢じりの在庫が切れちゃったんだ。
十日後にお客さんに納入する契約があるんだけど、その分の矢じりが足りないんだ」
矢じりは、街の鍛冶屋に発注して納めてもらっている。
大きさや形に様々なバリエーションがあり、その種類ごとにある程度の数でまとめて注文していた。
「急いで鍛冶屋に発注して、作ってもらうわけにはいかないのかい?」
「いつもは一ヶ月前に発注するようにしていたから、十日じゃ無理だろうって、親方は言っていたよ。
多分、間に合わないだろう、って。
だから、この午後にお客さんに謝りに行くことになったんだよ」
「謝ったら、納期を延ばしてもらえるものなのかい?」
ジュノは首を振りながら答えた。
「納期を伸ばしてもらうことができても、違約金をとられちゃうんだろうな」
「そうか。
じゃあ、納期の交渉の前に、矢じりをどれだけ早く作ってもらえるか、鍛冶屋との交渉が先じゃないか?」
俺がそう言うと、ジュノはしばらく考え込んだ後、そうだね、と言った。
この世界ではどうか知らないが、俺のいた元の世界では、ものづくり業界の仲間意識は強いものだった。
困っている仲間がいたら、多少の無理をしても助けてやろう、という心意気があった。
それで何度徹夜しただろうか。
だが、同じような局面で助けてもらったことも、またあったのだ。
その時、若旦那の妹さん、クララがパンとスープを運んできてジュノの前に置いた。
「あら、ジュノ。
また叱られたの?
だいじょうぶ? 殴られはしなかった?
これ食べて、元気出しなさいよ」
クララはいつもと変わらず、明る笑顔で言った。
「クララ、ありがとう。
でも、『また』ってのは聞き捨てならないよ。
まあでも、君の作った美味しい料理を食べて、元気を出すよ」
「あら残念、今日はお母様の当番なのよ」
「そうか、でも、ありがとう」
この二人、歳も近いし、お似合いなんじゃないか?
町工場の社長の娘と育ちの良い若手従業員の恋、悪くないんじゃなかろうか。
仲良さそうな二人をみつめながら、そんなことを最近思っている。
クララはふと俺の方を見ると、トコトコと俺の隣にやってくる。
椅子に座っている俺からだと、彼女の顔を見上げる形になる。
彼女の豊かな胸が俺の顔のすぐ近くにあって気になるが、平静を装いながら……
「お嬢さん、なにかご用ですか?」
と訊ねると、クララは少し頬を赤らめながら、少しためらうような素振りを見せる。
そして、子供がおねだりをするような表情で、俺に話しかけてくる。
「ねえ、シュン。
また料理のことでお願いなんだけど……
美味しいサラダを作りたいと思ってるのよ。
でも、いいアイデアが思い浮かばなくて。
もしシュンに何か良いアイデアがあったら、教えて欲しいの」
ね、と小首をかしげて俺の目を覗き込んでくる。
そんな可愛い仕草で懇願されては、むげに断れるはずがない。
「わかりました。
俺もちょっと考えておきますよ。
いいアイデアを思いついたら、また声をかけますから」
そう伝えると、クララは嬉しそうに頷き、笑顔を残して台所へ歩いて行った。
そして、お昼を済ませると、ジュノは鍛冶屋に出かけて行った。
午後の仕事が一段落する頃に、ジュノは帰ってきた。
鍛冶屋との話がついたのだろうか、それとも取引先と納期の交渉が終わったのだろうか。
親方に報告すると、親方は渋い顔をしていたが、最終的には納得したようだ。
俺は、報告を終えてこちらに歩いてくるジュノをつかまえた。
「ねえ、ジュノ。
交渉はうまくいったのかい?」
肩を落として歩いてきたジュノは、大きくため息をつくと、
「まあ、そうだね。
ちょっと割高だけど、七日で矢じりを納めてもらえるって、鍛冶屋のおやじさんが言ってくれたんだ。
なんとか納期に間に合わせることができそうだよ」
「それは何よりだったね」
まずは、対外的な問題が解決したということだ。
しかし、内部の問題は、そのままにしておくわけにはいかない。
俺はジュノに、さらに質問することにした。
「矢じりの在庫が切れちゃった事について、詳しく教えてくれないか?」
「ああ、そうだね、シュンに相談にのってもらおうかな。
倉庫まで一緒に来てくれるかい?」
途中でアディを誘い、三人は倉庫に入って行った。
倉庫の中には、いくつかの部品棚があり、矢の材料や部品が入った木箱が雑然と置かれていた。
棚に置けない大きさの木箱は床に積み上げられていた。
倉庫の奥の方には、ずいぶん長いこと放置されているように、ほこりをかぶった箱がいくつかあった。
何がどこに置かれているのか、倉庫に慣れていない俺にはさっぱり分からなかった。
鍛冶屋から買っている矢じりは、木箱に入れられて納入される。
ひと箱に五十個の矢じりが入っているそうだ。
矢じりにも種類がいくつかあって、それぞれ別々の木箱に入っている。
そしてその木箱は、同じ種類ごとに積み重ねて置かれていた。
「この木箱の上の方から使っていって、箱が空になったら空箱をどかして、次の木箱のを使うようにしているんだ」
「なるほど。
木箱の数を数えれば、在庫がいくつ残っているのか、分かるはずだよね。
でも、どうして在庫が無くなったことに気づかなかったのかな?」
「一番上の箱が空になって箱をどかしたら、下の箱は違う種類の矢じりだったんだ。
その下に積まれている箱も、全部違う矢じりだったんだよ」
なるほど、部品納入後の庫入れ段階で、違う場所に置いてしまった。
人為的なミスが原因だった。
木箱はどれも同じような姿だし、ちょっとした不注意で起きそうなことだと思った。
その時、アディが顔面を蒼白にしながら声を出した。
「ジュノ、ごめん!
その箱を積んだの、きっと俺だ。
俺が間違って違う矢じりの箱を、間違えて積んじゃったんだ!」
倉庫の管理はジュノの仕事であったのだが、アディは進んでその仕事を手伝っていた。
納入された木箱を倉庫に運び入れるような力仕事に、ジュノがひいひい言っているのを見かねて、手伝っていたのだ。
ジュノは一瞬、アディの突然の告白に驚いていたようだったが、涙を浮かべるアディに向けて、優しく声をかけた。
「アディ、正直に言ってくれて、ありがとう。
気が付かなかった俺も悪かったんだ。
原因も判ったし、よかった。
アディ、次からは気をつけておくれよ?」
アディは涙をその瞳からこぼしながら、ごめんなさいと何度も頭を下げていた。
ジュノはそんなアディの肩を優しくたたきながら、慰めていた。
俺は、そんな彼らに、こう声をかけた。
「いや、まだだ。
これで終わりにしちゃダメだよ」
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