第二十一話 「平民」

「なあ、シュンよ。

 お前、平民にならんか?」

 

 それは、青天の霹靂というか、寝耳に水というか。

 全く予想していなかった言葉だった。

 思いがけない親方の言葉に、俺はしばしの間言葉を失った。

 

「へ、平民ですか?

 あの、えっと、俺は、奴隷で……お金で買われて……

 それが平民にって、なれるものなんですか?」

 

「そうじゃ、知らんかったのか?

 能力のある者は、その能力を活かせるような、より重要な仕事をしてもらうべきなんじゃ。

 そして、その能力は、さらに高められるようにするべきなんじゃ。

 それが世の中のためになり、人々のためになると、そう考えられているからなんじゃよ。

 奴隷のままでは、その才能は埋もれたままになってしまう。

 そうならないために、奴隷という身分を改め平民とすることは、ごく一般的なことなんじゃ」

 

 そうだったのか?

 知らなかった!

 考えてもみなかったことだ。

 俺はもう奴隷の身で一生を終えるものだとばっかり思っていた。

 

「シュンよ、お前はこの工房のために、よーやってくれた。

 工房の経営は、お前が来る前に比べてガラリと変わった。

 儲けも倍になっとる。

 優れた矢の製造元として、今では街の外にまで名が広まっているんじゃ。

 それもこれも、全部お前がやったことじゃと思うとる」

 

 俺はそう褒められると、とてもくすぐったいように感じながら、言い返した。

 

「いやいや、俺はただアイデアを出しただけです。

 これは工房の人たち全員で力を合わせて成し遂げたことですよ」


 それに対し、親方はかぶりを振って、なだめるように俺に言った。

 

「わかっとる、わかっとる。

 じゃがの、例えそうだとしても、お前がおらなんだら、こうはなっておらんかったじゃろう?」

 

 俺には言い返す言葉が思いつかなかった。

 そして親方はさらに言葉を続ける。

 

「シュンよ。

 平民になれ。

 さすればこれからは自由の身じゃ。

 別の職を得ようとも構わんし、どこかに旅立とうとも構わん。

 これまで通りここで暮らし、工房の仕事をしてくれても構わん。

 儂としては、それを望んでおるんじゃがの」

 

 平民になるということは、街に対して住民登録するということであり、同時に納税の義務を負うことになる。

 その代り、法の範囲内で行動の自由が得られる。

 財産も持てるし、職業を選ぶこともできるということだ。

 ただし、個人として生計を立てていかなければならないわけだ。

 そんな風に、若旦那が説明をしてくれた。

 

 もしも俺が工房に残ってくれるのなら、寝起きする場所と賃金は提供するとも言ってくれた。

 

 どうじゃ? と親方は俺に答えを促す。

 

 すると、部屋に静寂が訪れる。

 俺の返事を待っているのだ。

 俺に、断る理由は全くなかった。

 

「ありがとうございます、親方、皆さん。

 俺を認めてくれて。

 本当にありがとうございます。

 お言葉に甘えて、俺、平民になります」

 

 その席に着いていた全ての者が破顔した。

 若旦那とクララは俺の側まで来て、よかった、おめでとう、と祝福の言葉をかけてくれた。

 クララは俺の背中から抱きついてくる。

 柔らかい大きなものが背中に当たる感触に、俺は少しドキドキしてしまった。

 親方もおかみさんも、よかったと口々に言っていた。

 俺もつられて、笑顔を浮かべていたようだ。

 

 俺は目の前のお茶をもうひと口、飲んだ。

 

 やっぱり、すごく苦かった。

 

 その後すぐ、工房の皆の前で、俺が平民になることが紹介された。

 ここでも皆が祝福をしてくれた。

 アディとジュノは涙を流して喜んでくれた。

 アンドレに背中をバシバシと何度もたたかれたが、不思議と痛みは感じなかった。

 

 

 

 俺は当面、親方の家に居候することになった。

 仕事は、工房での生産管理をするかたわら、弓の仕事も手伝ってほしいと言われた。

 若旦那はどうやら、クロスボウを開発したいようだった。

 そのための設計を頼まれた。

 

 奴隷として命令をきくのではなく、被雇用者として労働力を提供し、賃金を得るのだ。

 生きていくためには仕事をしなければならない。

 

 考えてみれば、給料ももらえるし、三食寝床付きの高待遇だ。

 

 まずは、この工房でホワイトカラーとして、異世界での人生を再出発することにした。

 もう、命令されるだけの奴隷ではない。

 自らの意思で行動するんだ。

 自分の人生に、自分で責任を持つんだ。

 この世界を生き抜いていくために。

 

 

 

 それから、俺は苦いお茶を飲むたびに、この日感じた気持ちを思い出すようになった。

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