第二十二話 「街に出る」
俺が平民になったその翌日は、とても忙しい日になった。
朝食後、若旦那に連れられて、まず奴隷商店に向かった。
森でエルフに救われた後、ここの奴隷商店に売られ、さらにその翌日に若旦那に買われたのだった。
あれからもうだいぶ長い月日が経った気がするが、まだ一年経っていなかった。
そこで俺は、奴隷としてのまじないを解いてもらった。
おでこに描かれた呪いのような入れ墨のことである。
魔法使いの老婆が俺の額に手をかざすと、ブツブツと呪文を唱える。
俺の頭から何かがスーっと抜ける感覚があり、その施術はすぐに終わった。
鏡を覗き込んで見たら、おでこの入れ墨は綺麗サッパリ消えていた。
そして、次に向かったのは役所だ。
平民となった俺は、戸籍を登録しないといけないらしい。
役所は街の中心部にあった。
周囲は高い塀で囲われており、門をくぐると広大な公園のような広場があり、庁舎はその中央に建てられている、立派な石造りの建物であった。
ロマネスク建築のような厚い壁と半円のアーチ状の開口部が特徴的であり、壁や柱には細かい装飾が施されていた。
建物の大部分は二階建てとなっているが、中央部分は高い塔がそびえ立っていた。
いくつかある大きな入口から中に入ると、大きなホールのようになっている。
床は大理石が敷き詰められており、ピカピカに磨かれている。
そのホールとカウンターを挟んで奥側に職員の執務机が並んでいた。
室内はそこで働く職員や、利用する市民など、大勢の人達でにぎわっている。
基本的に若旦那が全ての手続を済ませてくれた。
俺は時おり投げられる確認の問いに答えるだけだった。
これで晴れて俺はこの街の市民となった。
ちなみに、この街がグルックスタットという名前であることを俺は初めて知った。
この国で二番目に大きな街であるらしい。
ちなみにこの国の名前はラーション公国。
ヨハン・ラーション大公殿下が治めておられるそうだ。
そんな一般知識もこれから憶えていかなくてはならない。
お昼は街のレストランで食事をすることにしていた。
俺にとってはこの世界に来て初めての外食だ。
クララも一緒に食べたいと言い出したので、お店の前で待ち合わせをすることにした。
俺達が店に着いた時には、クララはすでに到着して俺達が来るのを待っていた。
幅の広い大通りに面した、細い路地との角に、その店はあった。
大通りは石畳が敷かれており、時おり馬車が通っている。
人通りも多く、この地区で最も栄えている地域のようであった。
「も~、遅~い!
待ちくたびれちゃったじゃないの」
口をとがらせて文句を言うクララに、若旦那は弁解した。
「悪い、役所が混んでいてね。
思ったより時間がかかってしまったよ」
この日のクララはよそ行きの服装をしていた。
控えめにフリルのついたブラウスとプリーツの入った赤いロングスカート。
革のベストを着て、頭にはつばの広い帽子をかぶっていた。
胸元がやや広く開いており、その膨らみについつい目が行ってしまう。
その店はレストランと言っても庶民向けの、しかしちょっとお洒落な雰囲気のあるお店だ。
店の入口から客の行列が外の道路に長く伸びている。
俺は現世で人気のラーメン屋に並んだのを思い出した。
美味い店には行列ができる、どの世界でも同じみたいだ。
時間をかけて待つことを厭わないほど美味い、ということなのだろう。
俺はクララに訊いてみた。
「すごい行列だね。
人気のお店なのかい?」
「そうなの。
このお店ね、最近ちまたで話題になっているのよ。
お肉がとても美味しいんだって」
クララが先に着いて列に並んでいてくれたおかげで、待ち時間も短くて済みそうだった。
それでも、俺達の前にはまだ数名の客が並んでいた。
初めての外食が行列のできるレストランということで、順番が来るのが待ちきれなかった。
店内から漂ってくる美味しそうな匂いに、俺は早くも唾液が口内に溢れそうになっていた。
「あらぁ、クララじゃなくて?」
突然、通りを歩いていた女性が近寄ってきて、クララに声をかけた。
ほっそりした体型で、背はスラッと高い。
やや赤みがかった茶色の髪は、肩までの長さに揃えられている。
水色のワンピースに紺色のジャケットを羽織っていた。
つばの広い帽子の下から覗く茶色の瞳と、やや厚めのぷっくらとした唇のその彼女は、ハッとするほどの美人であった。
「あら、カティ!
こないだぶりね。
あたしね、これからこのお店でランチなの」
「まあ、ステキですこと。
このお店、最近人気なんですってね。
いいですわねぇ」
澄んだ、透き通るような彼女の声は、なぜか耳に残るように感じる。
「どお?
もしよかったら、これから一緒に食べてかない?」
クララの誘いに二つ返事で、カティは昼食を共にすることになった。
一緒に、列に並んで順番を待つことにすると、俺の隣に並んだ。
「ねえねえ、クララ。
こちらの殿方は、どちら様なのかしら?」
彼女は俺を視線で示すと、クララに質問をした。
「こちらは、うちの工房で働いている、シュンよ。
ほら、このあいだ話したでしょ?
美味しい料理を教えていただいたって。
シュンは仕事ができて、お料理も得意なのよ」
「はじめまして。
シュンスケって言います。
シュン、て呼んで下さい」
俺は簡単に自己紹介した。
「まあ、あのお料理を教えていただいた方なのですわね。
ステキですわ。
ワタクシはカトリーヌと申します。
ぜひ、カティとお呼び下さいませ。
私にも、ぜひお料理を教えて下さいませね」
カティは工房の近くに住んでいて、クララとは幼馴染みであるらしい。
大人になった今でもよく一緒にお茶を飲む間柄だということだ。
クララは、そのように紹介してくれた。
それから、列に並んでいる間、俺はカティの質問攻めにあっていた。
仕事のこと、料理のこと、プライベートのこと、グイグイ来る。
俺のどこに興味を持ったのだろうか。
努めて目立たないようにしているのだけれども。
「ほら、兄貴!
この店が、美味いって最近うわさになっている料理店ですぜ!」
不意に、野太い大きな声が、すぐそばの通りから聞こえてきた。
「おう、ここがそうか。
一度行ってみようと思ってたんだ」
やや大柄な男が二人、ほら、と店を指さしながら話をしていた。
二人ともその赤い髪を立たせてモヒカンのようにしており、後ろ髪は背中まで長く、後ろに垂らしていた。
腕まくりをしているから、その筋肉質な太い腕が露わになっている。
そのしゃべり方や振る舞いからは、どう見てもカタギではない空気が感じられた。
なんか、チンピラ兄弟が現れた。
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