第四十五話 「水の魔法」
「俺に、魔法を……もっと魔法を教えて下さい」
しばしの沈黙が訪れる。
エレナはキョトンとした表情で俺の顔を見つめている。
俺の頼みは彼女にとって意外なものだったようだ。
「あなた、ついこないだ魔力切れでぶっ倒れたばかりでしょ?
懲りてないの?
ていうか、どれだけ魔法が好きなのよ?」
「いや、魔法が好きっていうか……
これまで、自分には魔法が使えないのかも、って思っていたから…
でも、やっぱり使えるんだ、ってわかったから…
もっといろんな魔法を使えるようになりたいって思ったんですよ」
俺がこの世界に飛ばされてきたのは、十中八九、魔法の行使によるものだろう。
召喚魔法、それがどのようなものなのか、今はまだ想像もつかないが。
元の世界に戻れるとしたら、やはり魔法という手段しかないのだろう。
自分に魔法が使うことができると判明した今、元の世界に戻る可能性はゼロではなくなったのではないか。
だから、もっと魔法のことが知りたいのだ。
「そう……
わかったわ。
教えてあげる。
でもね……」
エレナは苦笑いをしながらそう言うと、途端に真剣な表情になり、言葉を継いだ。
「シュンは魔法と呼ばれるものの扱いについてよく知らないようだから、言っておいてあげないとね」
ん?
なんだろう?
「本来、魔法というのは、他人に簡単に教えるようなものではないのよ。
国家機関である魔法研究院や、民間の魔法使いの様々な流派で、独自に研究、開発され、そして伝承されているものなのよ。
それらの組織に所属していない者に教えることは無いし、『教えて』なんて軽々しく言う者もいないのよ」
知らなかった……
魔法って、そんな扱いだったのか。
それなのに、一昨日も今も、軽々しく『教えて』なんて頼んでしまった俺は、常識のない人間と思われてしまったのかも知れない。
さらにまた、非常識なことを言い出した俺に対し、エレナは怒りを感じているのだろうか。
それとも、同じようなことを他で言い出したりしないように、たしなめてくれたのだろうか。
「じゃあ、俺に火の魔法を教えてくれたのは?」
「ごく日常的な、簡単な魔法は、一般的に普及してるものだし、親から子に受け継いでいるのものなのよ。
火の魔法とか、水の魔法とか、ね。
それらを他人に教えることは、特に問題視されないわね」
そう言ったエレナの顔には笑みが戻っていた。
「だから、今回は水の魔法を教えてあげるわ」
俺は心が軽くなったような気がして、思わず笑みがこぼれてしまった。
「ありがとう、エレナ。
そして、これからは魔法のこと、気をつけるよ」
俺の言葉に、エレナは黙ったまま微笑みで返した。
二人のやりとりを黙って聞いていたクーランディアとリングウェウも、つられて笑顔になったようだ。
「じゃあ、火の魔法と同じように、まずはお手本を見せるわね」
エレナはそう言うと、右手の親指と人差指を立てて、指鉄砲の形にする。
そして、俺の顔を狙うように指の先端を向けると……
指の先から水鉄砲のように水がピューと飛び出し、俺の鼻先に命中、顔全体に水が浴びせかけられた。
「うわっ!」
その水は滴り落ち、俺は服までびしょ濡れになった。
「なんてことするんだ……
もう、服まで濡れちゃったじゃないか……」
俺は胸や腹に手を当てて、服の濡れ具合を確認する。
「あれ……?」
びしょ濡れになったと思ったのに、全く濡れてない。
服だけではない。
びしょ濡れになり、水が滴っていた顔も、今では全く濡れていなかった。
「変だな。
今、水をかけられて濡れたはずなのに、濡れてないぞ?」
エレナはいたずらっ子のような笑みを浮かべている。
いたずらが成功して、相手が思い通りの反応を見せているのが満足なのだろう。
「これが水の魔法よ」
「それは分かったんだけど……
今、びしょ濡れになったはずなのに、もう乾いているのは何故なの?」
「魔力によって水を出すんだけれど、魔力の供給を止めると、出した水は全て消えるのよ。
だから、顔も服もすぐに乾いたってわけよ」
「魔力の供給を止めると、水は消える……
ってことはさ、魔法で出した水を飲んでも……」
「喉を潤すことはできないわね……」
なんだか、中途半端だなあ、という印象を受ける。
飲み水には使えないんだな……
あ、でも、使い方によっては便利かも知れない。
「じゃあ、魔法で出した水で洗濯すれば…」
「すぐに乾くわね」
「じゃあ、食器を洗ったりしたら……」
「お皿もすぐに乾いちゃうわ」
「すごく便利じゃないか!」
「そうなのよ、使いようによってはすごく便利なの」
微妙かと思ってたら、ものすごく便利なヤツだった。
使いみちを考えるのが楽しそうに思えてくる。
「お願いします、教えて下さい!」
「フフフ。
こんな便利な魔法を、タダで教えてあげるんだから、感謝しなさいよ」
「感謝しますとも。
勝負に勝った報酬だとしても、ね」
「あ、そうだったわね……」
俺たちは顔を見合わせて笑った。
その後すぐ、エレナは水の魔法を俺に教えてくれた。
火の魔法を覚えた時と同じように、俺の体にエレナの魔力を通して魔法を使う。
その魔力の波動を感じ取り、憶え、自分で再現してみるのだ。
水の魔法は火の魔法よりもやや複雑な波動だったので、さすがに一回で覚えることは無理だったが、二回目で再現できた。
調子に乗って連発するなんてことは、もうやらない。
魔力切れでぶっ倒れるのはもう懲りているからな。
「しかし、あきれるほどの習得の速さね。
教えているこちらが馬鹿にされている気がするわよ」
そんな風に言われても……
「なんていうか、魔力の波動を、映像のようにイメージしてみたら、覚えやすかったんです」
そう、魔法は魔力を波のようにうねらせて流す感覚だ。
それも、波の強弱、間隔が一定ではなく、連続的に変化する。
さらに並列で複数の異なる波形を流すため、憶えるのに難儀する。
俺はその複数の波を映像として記憶し、魔力の操作に再現するようにしていた。
「映像、イメージかあ……
もしかしたら、シュンには魔力を感じる能力が、人より優れているのかもしれないわね」
俺には返す言葉がない。
エレナは自分のあごを指でつまんで、真剣な表情で考え込んでいるように見えた。
しばしの間、沈黙が訪れる。
焚き火の爆ぜる音が、やけに大きく感じる。
そして、意を決したようにエレナは俺の目を見据えて、口を開いた。
「ねえ、シュン。
もしも……もしもの話だけどね?」
こう前置きして、彼女が俺に言った言葉は、思いも寄らないことであった。
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