第四十四話 「勝負の行方」

 ハァハァと生暖かい息が顔にかかる。

 ザラザラした感触の柔らかいもので顔中を拭かれている感触がする。

 おいシュン、と俺の名前を呼ぶ声が聞こえている。

 気絶していたんだな、と先程のイノシシとのやり取りを思い出した。

 薄く目を開けてみても焦点が定まらなかったが、徐々に見えてくる。

 真っ先に見えたのは、猟犬のブラボーの顔のドアップであった。

 俺はヒィと悲鳴を上げたかも知れない。

 

「あ、気がついたようね。

 シュン、大丈夫?」

 

 俺を心配そうに見つめるエレナの顔がブラボーの顔の背後に見えた。

 クーランディアとリングウェウも同じように俺を見つめている。

 

「俺、気絶しちゃったんですね」

 

 と言いながら体を起こそうとすると、エレナが背中に手を当てて支えてくれた。

 

 まだ少し頭がクラクラしているが、手足の感覚はしっかりしており、問題はなさそうだ。

 イノシシにぶつかった右肩に痛みはあるが、骨が折れている様子はない。

 ここで、俺は右手に木刀を握りしめたままだったことに気がついた。

 

「突進するイノシシにそんな木の棒で立ち向かうなんて、どうかしてるわよ。

 無茶にもほどがあるわ」

 

 エレナは真顔で俺に抗議する。

 

「いや、もう、とっさのことで……

 体が自然に動いてしまったんだよ」

 

「でも、シュンがイノシシを止めてくれたから、私も助かったわ。

 モグラの穴に足を突っ込んでしまって、身動きがとれなかったからね。

 ほんとに、ありがとうね、シュン」

 

 エレナは俺の手を両手で握ると、俺の目をまっすぐに見つめた。

 彼女の目が少し潤んでいるように見えたのは、気のせいだろうか。

 そんなふうにされると、心臓の鼓動が速くなってしまう。

 顔が赤くなったのがバレてしまいそうで恥ずかしい。

 

「どうやら、顔色も良くなってきたようだねえ。

 安心したよ」

 

 クーランディアの声にも安堵の色が感じられる。

 

「シュンの勇気ある行動は、称賛に値するだろう。

 そんな君とこうやって一緒に狩りができたことを、神に感謝しよう」

 

 クーランディアがの俺を見つめる目には真剣な色があった。

 

「しかし、まさか木の剣で獲物を仕留めてしまうとはねえ。

 長いことハンターをやっているが、初めて見たよ。

 まったくシュンは、愉快な男だよ」

 

 クーランディアはそう言うと、静かに笑い声を上げた。

 

「違いないな。

 弓の腕だけじゃなく、剣の腕もたつとは、俺もうかうかしてられないな」

 

 リングウェウも陽気に笑う。

 

 俺もつられて声を出して笑ってしまった。

 なんだか照れくさい。

 だが、とても心地よい気分だった。

 

 

 

 その日の夕食は、前夜と同じように焼き肉パーティであった。

 前日に仕込んだ鹿の燻製肉に、イノシシの肉も加わり、豪勢な晩餐となった。

 最後の夜ということで、皆のワインの盃を空けるペースも速い。

 普段はそれほど口数の多い方ではないクーランディアとリングウェウも、この時ばかりは陽気に盛り上がった。

 双角竜など様々なモンスターを討伐した時の話は、とても興味深かった。

 

「そういえばあの時、リングウェウは袋小路に追い込まれ、泣き言をもらしていたのではなかったかねえ」


「もらしてないですよ。

 双角竜は走り回ってばかりで狙いがつけられないから、僕が囮になって袋小路に誘い込んだんですよ」

 

「おやあ?

 あの時聞こえた悲鳴のような声は、気のせいだったのかねえ?」

 

「違いますよ!

 あれは一斉掃射の掛け声だったじゃないですか。

 あらかじめ決めておいたでしょう?」

 

「ははは、そうだったかねえ。

 しかし、そのおかげで双角竜の急所を狙い撃つことができて、無事に倒すことができたんだったねえ。

 しかし、あそこで倒しきれなかったら、囮役の君はずいぶんと危険なことになっていたんじゃないかね?」

 

「まあ、そうですが、そんなことはこれっぽっちも考えていませんでしたよ。

 名手クーランディアが、そんな好機を逃すはずがない、ってね」

 

 二人は楽しそうに思い出を語り合っていた。

 俺とエレナもそんな二人の話を愉快げに聞いていた。

 

 

 

 ふと、クーランディアが他の三人を見渡して話しだした。

 

「そういえば、勝負の結果を確認していなかったねえ」


 するとエレナが気まずそうな表情を浮かべてソワソワしだした。

 

 確か、倒した獲物の数はクーランディアとリングウェウが四頭で、俺とエレナが三頭だった。

 どうやって順位をつけるのだろう?

 

 クーランディアが話を続ける。

 

「まず、私が四頭。

 リングウェウも同じく四頭」

 

 クーランディアが視線を向けると、リングウェウは盃を上げて答えた。

 

「エレナリエルは……三頭だったね。

 今日のような強風では、少々厳しいコンディションだったと言わざるを得ないねえ」

 

 エレナは手のひらを上に向けて肩をすくめ、降参のジェスチャーをした。

 顔には苦笑が浮かんでいる。

 

「そして、シュン……五頭だ。

 おめでとう、勝負は君の勝ちだよ」

 

 リングウェウはそう言うと、拍手をする。

 リングウェウとエレナも続いて拍手をした。

 三人とも俺に笑顔で視線を向けていた。

 

 俺はあわてて問いかけた。

 

「あれ?

 俺は三頭しか倒してませんよ?」

 

「何を言っているんだい?

 鹿を三頭、イノシシを二頭も倒したじゃあないか。

 しかも、そのうちの一頭は木の剣でね」

 

 ああ、イノシシもカウントに入っていたのか。

 今になって気がついた。

 確かに、鹿だけをカウントするとは一度も言われていなかった。

 てっきり勝負には負けたと思い込んでいたのでなかなか実感が湧いてこないが、ここは素直に喜んでおくべきだろう。

 

「いやあ、全く期待していなかったのですが、勝負に勝てたのはとっても嬉しいです。

 きっと、運が味方してくれたんでしょうけどね」

 

「運も実力のうち、って言うじゃない?

 今回は、私の完敗だわ。

 おまけに、危ないところを助けてもらった恩もあるしね。

 さあ、何でも言って、言うこときいてあげるわ」

 

 そうだった、トップがビリに何でも命令できるんだった。

 エレナに頼みたいこと…それは一つしか思い浮かばなかった。

 

 俺は、エレナの瞳を見つめながら、こう言った。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて、一つお願いをしますね」

 

 エレナは、何を言われるのかと緊張の表情だ。

 俺も真顔で言葉を続ける。

 

「俺に、魔法を……もっと魔法を教えて下さい」

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