第四十三話 「ラストチャンス」

 翌日は、一転してどんよりとした空模様になった。

 時折雨がパラついたり、濃い霧に包まれたりする。

 さらに厄介なことに、強い風が吹いている。

 強風の中で正確な射撃をするには、かなりのテクニックを必要とする。

 風に負けないような高い初速と、風向きを読んで矢が風に流されるのを補正して狙う必要があるためだ。

 

 今日は昨日とは違う狩り場で、昨日と同じように猟犬で追い込む狩り方なのだが、荒れた天気のせいか、ターゲットである鹿もなかなか見つからない。

 全体的にスコアはあまり伸びていなかった。

 

 そんな中、クーランデイアとリングウェウはさすがプロのハンターだ。

 チャンスをしっかりモノにし、クーランディアとリングウェウが一頭ずつを倒している。

 

 俺も一頭を頭を撃ち抜いて倒すことができた。

 このクロスボウの利点として、小さい力で弦を引き絞れる。

 故に、クーランディア達と同じような高い初速で射つことができていたのだった。

 さらに、雨で指先が滑ろうが、それが狙いに影響することがない。

 従来の弓に対するクロスボウのメリットが、この天候で鮮明になったのだ。

 悪天候下でのクロスボウの性能を確認できたことも、良いフィールドテストになったと考えて良いだろう。

 

 この天気の影響をまともに受けたのがエレナリエルだった。

 矢が風に流され、狙いを外し続けていた。

 今日はまだノースコアだ。

 一人、ぼやいている。

 

「んもう、この風なんとかならないのかしら?

 矢があさっての方向に飛んでいっちゃうのよ。

 私だけまだ一頭も倒してないわ。

 ずるいわよ」

 

 別にずるくなんかないのだが、体格で劣る彼女には少々分が悪いコンデションだ。

 そんなこんなで、とうとう次がラストチャンスという時間になっていた。

 これまでの成績は、クーランディアが四頭、リングウェウが三頭、エレナリエルが三頭、俺が三頭。

 勝負の行方はこの一回にかかっていると言える。

 クーランディアが追い出し役の順番なので、ブラボーとチャーリーを引き連れて離れていった。

 

 俺たち三人は、獲物が飛び出してくるのを静かに待ち構える。

 息を押し殺し、心臓の高鳴りを感じながら、前方の茂みに集中する。

 昨日から何度も繰り返していることだが、この緊張感にはまだ慣れなかった。

 心臓が速く鼓動する音が鼓膜に伝わってくる。

 

 風の勢いは刻々と変化し、前方の茂みをざわつかせる。

 獲物か、と体に力が入るが、風のせいだとわかり、力んだ体を緩める。

 その次の瞬間、獲物が茂みを割って飛び出した。

 二頭の鹿が軽やかなステップを踏み、疾走してくるのが見えた。

 ビュン、と風をきる音が二つ、同時に聞こえた。

 そのうちの一本が見事に鹿の胸部に命中した。

 矢じりは鹿の心臓をえぐり、生命を断ち切る。

 悪コンディション時には狙いのつけやすい胸部を狙う、プロのテクニックだ。

 もう一本は的を外し、鹿の背後に消えていった。

 

 一瞬遅れて俺はクロスボウのトリガーを引いた。

 狙いは二頭目の鹿だ。

 一旦力を抜いていたため、狙いが甘くなってしまった。

 俺の矢は鹿の後ろ足の付け根付近に命中し、そのまま貫通した。

 鹿は急に方向転換をし、崖の斜面を登るように駆けていく。

 リングウェウとエレナの二射目が後を追うが命中しない。

 このままでは獲物に茂みの中に入られてしまう。

 リングウェウとエレナは鹿の後を追うように走り出していた。

 俺は二本目の矢を装填してからその後を追った。

 俺が二人に追いついた時には、鹿は茂みの中に飛び込んで見えなくなっていた。

 

「うわーん、悔しいよおっ!

 一頭逃しちゃったよお」

 

 エレナが盛大に悔しがっている。

 

「あの一頭を仕留めていれば、私も四頭でトップに並んだのに!」


「あ、ということは、一頭目に命中させたのは…?」


「私の矢だよ。

 エレナリエル、そうだったよね?」

 

「そうよー。

 私のはかすりもしなかったわよ」

 

「と、いうことで、獲物を確認してくるよ」


 リングウェウは絶命して倒れている鹿の方に歩いて行った。

 俺は改めて、二人のプロハンターの腕前に感心した。

 こんな悪条件の中でも正確に獲物の急所を狙い、射抜くことができるのだと。

 ハンターではないが相当な腕前を持つエレナリエルと比較しても、今日の結果が物語っていた。

 

 俺は気落ちするエレナの元に歩み寄っていった。

 これで今回の狩りは終了か、などと考えていたのだが、その時の俺たちは気づいていなかった。

 終了を告げる指笛がまだ鳴っていなかったことに。

 

 突然、茂みの向こうで犬の吠える音がする。

 何かが茂みを揺らす音。

 そして、その茂みから飛び出してきたのは、二頭の大きなイノシシであった。

 鹿の追い出しにまぎれて出てきたのだろう。

 どちらも体長は二メートルはあるだろうか。

 俺とエレナがいるこちらに向かって疾走してきた。

 

 その巨体からの大質量と突進するスピードは、強大なエネルギーを蓄えている。

 それに加え、下顎から伸びる牙が殺傷能力を高めている。

 接近戦ではかなり危険な相手だ。

 

「俺は左をやります!」

 

 右のはエレナに任せたよ、という意味を込めてエレナにそう言った。

 俺は素早くクロスボウを構えると、一頭に狙いをつけて矢を放つ。

 直線的にこちらに向かって突進してくる的は、狙いがつけやすかった。

 狙い通り、俺の矢はイノシシの眉間に命中し、そのイノシシがもんどり打って倒れた。


 もう一頭はエレナが……倒してなかった。

 キャッというエレナの悲鳴が聞こえた気がした。

 悲鳴のした方に目を向けると、なんと、エレナは彼女の右足を地面深くに潜り込ませていた。

 モグラの穴を踏み抜いてしまったのだろうか。

 弓を取り落し、穴から足を抜こうともがいているが、なかなか抜けないようだ。

 そんな彼女に向けて、イノシシが疾走してくる。

 リングウェウは離れた場所にいて、巨木の陰で死角になっているのか、姿が見えない。

 俺のクロスボウに矢をセットしている時間的余裕は、無い。

 このままでは、エレナがイノシシの突進をまともにくらってしまう。

 

 俺は、考えるよりも先に体が動いていた。

 クロスボウを手放すと、背中に背負っていた木刀を抜き、エレナとイノシシの間に素早く移動した。

 エレナに背を向け、イノシシに正対し、木刀を正眼に構えた。

 

「ちょっと、シュン!

 何してるの、危ないわよ!

 逃げなさいよ!」

 

 エレナが俺に向かってそう叫ぶのだが、俺の中に逃げるという選択肢は既に無かった。

 不思議と恐怖は感じなかった。

 何万回と素振りをしたこの木刀は、俺の手に馴染んでいて心強い。

 疾走してくるイノシシがスローモーションのように見えていた。

 

 そして、イノシシが間合いに入ったと感じるやいなや、裂帛の気合とともに俺の足は地面を蹴った。

 木刀を振りかぶり、イノシシの頭部を狙い、袈裟斬りに振り下ろす。

 俺の全力を込めた打突がイノシシの頭蓋骨を打ち砕く感触が、木刀を伝って俺の手に届いた。

 イノシシはその頭を地面に叩きつけるように転がるが、突進の勢いは消えない。

 その巨体は地面にバウンドして俺に向かって飛んできた。

 俺は木刀を振り切った姿勢のまま避けることはできず、飛んできたイノシシの巨体を俺の肩で受けた。

 激突の瞬間、小さく息を吐いて体中の筋肉に力を込めた。

 そのイノシシの持つ巨大な運動エネルギーをまともに受けた俺は、軽々と吹っ飛ばされ、草むらに背中から落ちた。

 

 

 

 エレナが俺の名前を叫ぶ声が、やけに遠く感じる。

 俺の目には、晴れ間の見え始めた空が映っている。

 静かだ……

 その視界が、徐々に暗くなっていく。

 そして、気を失う瞬間、狩りの終了を告げる指笛が聞こえた。

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