第二十八話 「二日酔い」
翌日、目を覚ました時には、すでに日は高く上っていた。
頭がズキズキ痛むし、気持ち悪い。
完全に二日酔いだ。
起きがけに鏡をのぞいたが、ひどい顔をしていた。
工房に向かう足取りは重く、一歩踏み出すたびに頭に鈍い痛みが走る。
工房の一角には、親方と若旦那、そしてジュノが椅子に座っていた。
若旦那は片手を額に当ててうつむいている。
俺と同じく二日酔いなのだろう。
まず俺は親方に、わびを言った。
「すみません、親方。
こんな時間になってしまって……」
「いいってことよ、シュン。
せがれの酒に付き合ってくれたんだろう?
遅くまで付き合わせてしまって悪かったな」
「いえ、俺もついつい飲みすぎてしまいました。
おかげで、頭の中で収穫祭のパレードをやってるみたいですよ」
親方は「がはは」と笑うと、俺にも椅子を勧めてくれた。
俺が椅子に座ると、クララがお茶を入れた茶碗を運んできてくれた。
「あーらシュン、昨日は遅くまでお楽しみだったみたいね?」
俺の前にドンッと音を立てて茶碗を置く。
勢いでお茶がテーブルにこぼれた。
なぜだろう、今日のクララは少し機嫌が悪そうだ。
「お兄ちゃんもシュンも、脱いだ服からとーってもいい匂いがしてたわよ。
いったいどんなお店で飲んできたのよ?」
俺を咎めるように詰め寄るクララに、若旦那がすかさず言い訳がましく説明した。
「いや、昨夜はな、酒場で出会った男の二人組と意気投合しちまってなあ。
ほら、憶えてないか?
こないだ街で絡まれたモヒカンの兄弟。
一緒に飲んでいるうちに仲良くなってな、彼らの馴染みの店に連れていかれたってわけなんだ」
「ふーん。
あの、ガラの悪そうな二人とねぇ。
お兄ちゃんもシュンも、付き合う相手は選んだほうがいいわよ」
そう言い残すと、プイと振り向いて行ってしまった。
機嫌が治るには時間がかかりそうだった。
「さあてと、話を戻すとしようかの」
親方が、気を取り直して、と切り出す。
俺達は、弓の不良品流出事件に対する対応について話を始めた。
今では街のほとんどの武具店から受注がストップしている。
このままの状態が続けば、工房の経営も立ち行かなくなるだろう。
しかし、一度悪い噂が立ってしまうと、そのイメージを払拭するのはなかなか難しいものだ。
俺の元の世界でも、スキャンダルが発覚してイメージを落としたメーカーさんと一緒に仕事をすることがあった。
一度ついてしまった悪いイメージを回復するには時間がかかる。
大事なのは、誠意を持って、正しいことをコツコツと続けていくこと、と社員の人が言っていた。
「うちの製品が悪いものじゃないと、この工房からは不良なんて出しませんと、そういうことをお客さんや武具店の方にしっかりと訴えるべきだと思うんですよ。
なぜなら、うちの工房で作られた弓がすぐに壊れるかもしれない、そういう思いを払拭する必要があるからです」
俺は、二日酔いの頭を無理矢理に回転させ、論理的に考えを述べる。
そして俺は、二つの提案をした。
一つは、完成検査書を添付すること。
弓の、商品としての品質を保証するための検査項目を定め、その検査結果を記した紙を商品と一緒にして出荷するのだ。
武具店に卸す時、そして最終的には商品を手にするお客さんの元に渡る時まで、検査書を一緒にして扱ってもらう。
検査書には工房の責任者である親方の直筆サインと、工房のシンボルマークを封蝋にして押す。
封蝋とは、紙に熱した蝋を垂らして印璽を押し付けることで、固まった蝋に紋章が転写されるものだ。
「封蝋まで使うのはちょっとやり過ぎかも知れないですが、このぐらい強い印象を与えた方が効果があるんじゃないかと思うんですよ」
俺はそう付け加えた。
そしてもう一つの案は、保証書を添付すること。
保証書とは、購入後一定の期間に製造上の不備により欠陥が生じた場合には、無償で新品と交換しますよ、という保証サービスを約束する文書である。
不良品への疑念が拭えない客に対してもある程度の効果を示すと思われるし、製造者として、品質に絶対の自信があることをアピールできるのではないか、と考えた。
俺がそんな風に伝えると、親方と若旦那は深く何度も頷いて、「いい考えだ」と言ってくれた。
「よし、じゃあ、先ずはせがれよ、完成検査の項目を決めて、書き出してみてくれるか?
そしたらジュノ、お前はそれを紙に清書してくれ。
あと、保証書ってやつの文面も考えてくれるか?
俺は印璽を用意しておくわい」
役割分担が決まり、それぞれが自分の作業に移っていった。
「すいません、俺はちょっと、ひと汗流してきます……」
と伝えて、庭の片隅の、俺がいつも体を鍛えている場所に向かった。
汗を流して、この二日酔いをなんとかしたかったからだ。
俺はこの世界に来てから、体を鍛え始めた。
周囲の人達に比べて、あまりに貧弱な自分の体を恥ずかしく思って、という思いもある。
しかし、金も地位も持たない俺にとって、これから生き延びていくためにはやはり力が必要だろうという、確信に近い思いがあったからだ。
俺は、木刀を持って素振りを始めた。
木刀は自分で木を削って作ったものだ。
俺は小さい頃に剣道を習っていた。
祖父が家の近くで剣道場を開いており、小学校を卒業するまでは毎日のように通っていたものだ。
中学に上がってからは、部活でサッカーを始めたが、それでも時折は道場に足を運んだ。
俺は剣道を教えてくれた祖父が大好きだった。
稽古では厳しく、終わった後はとても優しく接してくれた。
俺の記憶にある祖父は、小柄であるが引き締まった筋肉を備えた体をしており、後ろで束ねた長い白髪と同じ色の髭をたくわえていた。
そんな祖父を思い浮かべながら、素振りを続けた。
硬くて重い木材を選んで太めに削って作った木刀を振っていると、すぐに体中から汗が吹き出してくる。
そうして汗を流しながら、この後のことを考えていた。
さらに追加の策が必要だ。
そう簡単には、信用ってものは戻って来ないように思えたからだ。
そして、そのイメージが固まっていく頃には、頭痛も気怠さも収まっていた。
ブンッ、と木刀が風を切る音が、心地よく聞こえた。
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