第七話 「弓工房」
奴隷生活を続けて一月ほどが経った。
俺は、一日が経つ毎に、寝床の脇の木の壁にこっそり「正」の字を刻んでいた。
その壁の正の字は今では六つ並んでいた。
矢作りの作業をして食べて寝るだけの繰り返しであったが、そんな中で徐々に言葉を覚えることができたのは、大きな収穫であった。
アディが付き添ってくれて、逐次言葉を教えてくれるのだ。
俺も会話ができないのは死活問題だと認識しているからなのか、驚くほどの速さで言葉を覚えていった。
今では、日常会話なら困らない程度に話すことができるようになっていた。
アディも、俺が言葉を憶えていくのを喜んでくれた。
屈託のない、あどけない笑顔を俺に向けてくれる。
仕事や生活以外のことも、話すようになった。
今では、親子ほどの年の差があるにもかかわらず、親友のように親しくなっていた。
そして、今日も矢作り、単純な作業を丁寧に続けている。
作業にはもうかなり慣れたし、コツも掴んだ。
それどころか、俺の作業はとても丁寧だと、褒められることも多かった。
日本人の丁寧さを舐めてもらっては困るのだ。
矢の出来栄えは、狩りでは猟課に影響するし、戦場においては命に関わることもあるだろう。
たとえ使い捨ての矢一本であろうとも、手を抜きたくなかった。
使う人の身になって、使った人に満足してもらえるように、一本一本心をこめて作る。
それが、俺がものづくりに関わる上での、俺のプライドだ。
「ばかやろう!」
作業場内に作業長の大声が響いた。
アディより年上の、俺より作業経験の長い奴隷のサミーが、頬を押さえて作業長の前に立っていた。
不良品を作ってしまい、叱られているのだ。
俺も、時には叱られることはあるが、殴られたことはない。
だがサミーは失敗することが多いので、いつも殴られている。
同じ失敗を繰り返しているからだ。
矢作りでは、一本を完成させる途中に、何度か作業長(奴隷のリーダー的な存在)に見せて、チェックをしてもらう。
矢柄の太さや長さ、焼きの入り加減、矢羽の揃い具合などが悪くないか、製品の品質を途中で確認するためだ。
サミーはよく、細く削りすぎてしまい、叱られていた。
それも、ほとんど毎日だ。
削るときの太さは、見本の矢を与えられているので、それと同じになるように削る。
簡単なようで、やってみると難しいものだ。
俺も最初は何度か失敗してしまったが、削っては見本と比べ、この頻度を増やすことで失敗しないようにできるようになった。
その日の昼食のときに、サミーに話しかけてみた。
「なぁサミー、君は矢を細く削りすぎてしまうことが多いみたいだけど、どうしてなのかな?」
問題を解決するためには、先ずは原因を調べることが大事だ。
サミーは伏し目がちにモジモジしていたが、やがて俺を見て話しだした。
彼が言うには、どうやら彼はひどい近眼らしく、太さを見本と見比べても、差が分かりづらいということだった。
この世界、眼鏡はとっても高価な物のようで、奴隷にはおいそれと手に入れることはできないようだ。
親方が指先の細かい作業をするときに眼鏡をかけるのたが、外した後は立派な箱に入れて大切に保管しているのを見たことがある。
眼鏡は高級品、と。
となると、どうするか……
「ちょっと待ってろ」
と言い残して、俺は廃材が置かれている場所に向かった。
廃材置き場には、大小様々な木の板や棒などが置かれている。
紐や革、石材なども乱雑に置かれている。
いずれ捨てる物なので、自由に使ってよいと言われていた。
俺はそこから手頃な木片、なるべく硬い材料を選んで拾ってくる。
カタカナの「コ」の形をした板状の物を二つ、鋸とノミで作った。
外形は同じだが、コの字の内側の凹みの部分は、それぞれの幅の寸法が違う。
一つは、矢柄が削りすぎて不良品となってしまう細さ、ギリギリOK品の太さと同じ幅にする。
もう一つは、矢柄がまだ太すぎるのでもっと削れと言われるサイズ、ギリギリNG品の太さと同じ幅にする。
それぞれ、インクで小さい丸と大きい丸を書いて、見分けがつくようにしておく。
「サミー、いいかい……」
俺はサミーに使い方を教えた。
「矢を削っているときに、この大きい丸のついた木片を、削った部分に合わせるんだ。
もしこの溝に入らなければ、もっと削る必要がある」
サミーは、ふむふむ、と頷きながら素直に聞いている。
「そして次に、この小さい丸のついた木片を当ててみるんだ。
もしこれがスッポリ入ってしまったら、それは削りすぎということになるよ。
失敗は早めに伝えて、謝ったほうがいいね」
サミーは、わかった、と頷くと、午後の作業の準備を始めた。
その木片を片手に持ちながら。
俺はサミーが教えたようにできているかどうか、じっと観察した。
最初のうちは、どちらの木片を使うのか、混乱して俺に目を向けてくることがあった。
そのたびに、俺は彼にやって見せながら、わかりやすい説明を心がける。
次第に、サミーはその作業に慣れていった。
「ねぇ、シュン」
その一連の行動を眺めていたアディが、俺に声をかけてきた。
「なんだかとても便利なものを作ったね。
僕にも作ってくれない?」
「ああ、朝飯前だよ」
するとアディは、ポカンとした表情で、言い返した。
「いや、さっき昼ごはん食べたでしょ?」
その日を境に、サミーが叱られることは滅多になくなった。
「おい、シュン。
サミーとアディが使っている道具、あれはいったい何なんだ?」
作業長のアンドレが俺に聞いてきた。
「チェックゲージっていうものだよ。
太さを素早く確認できる便利な道具なんだ」
そのしくみを詳しく教えると、アンドレはその有用性をすぐに理解し、全員の分を作ってくれと頼んできた。
「ああ、朝飯前だよ」
するとアンドレは言い返す。
「いや、朝飯はさっき食べただろ……」
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